オリンピック終わりにメモを書き残しておく

オリンピックが終わったので、少しまとまったものを、生煮えでも、それでも書き残しておきたいと思います

「復興」「コロナに勝利」「アスリートファースト」「次世代へのレガシー」など、次々と当事者や科学者、実務者には何の確認もした形跡のないスローガンを垂れ流し、事実上一つも実現することなく、二回目の、そしておそらく最後の東京オリンピックは終わりました。
4年生のぼくの娘でさえ、「オリンピック中継見るのは楽しいけど、やっていいかどうか考えちゃう」と言わしめ、伝家の宝刀「子どものため」にも概ね裏切られている感じなわけです。

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かなりの程度のSNSウォッチャーを自認するぼくの見ている範囲でいえば、今回のオリンピックに関わるやりとりで、スポーツがどれほどメディア利権と結びついているものか本当は初めて知った教員が多いのだと思いました。

メディアが大きな影響力を及ぼし個々のスポーツのルール改正などにまで手を突っ込んできた歴史について、多くの教員が無知であったとすれば底冷えするほど悲しいことです。

メディアスポーツの問題は前世紀の末には既に問題になっていたにも関わらず、そして心ある教員によるいくつかの実践が世に問われていたにもかかわらず・・・。ここにも積み上げられた歴史や実績・研究の成果ががほとんど継承されてこなかった「事実」が見えてきます。
例えば、体育同志会などは2000年に『教室でする体育』(創文出版,2000,出原泰明他)の二冊(小学校編と中学校編)の本を発表しており、その中ですでにメディアスポーツを取り上げた授業実践が紹介されています。この時期には『メディアスポーツの視点』(学文社,2001,神原直幸)などの書籍も既に発表されていました。つまり、こうした教室での取り組みはちゃんと継承されてこなかった。丁寧に扱われることもなかった・・・というか、多くの先生にはそんなことはどうでもよくて、多分、学習指導要領の学習内容を教えることに「夢中」だったのでしょう・・・。
ぼくは、ぼくなりに学級活動で、まだ自由度が高かった道徳で、そして国語の雑談の中で、学級通信で、こうした問題を子どもたちと共有してきました。

この悲惨なオリンピックへの邁進の中で、批判的批評的思考を育てる機会として、タブレット持ち帰り活用は、何か機能したのだろうか。

あ、そうそう・・・ぼくは元々教師であり、今もマインドも立ち位置も教師と自覚しています。で、この書き始めた文章も「学校」ということからできるだけそれないように書いていこうと思っています。

2000年前後にぼくがメディア・リテラシー実践に傾注したのもまさにメディアの暴力に立ち向かう教育が必要だと家族の事件をきっかけにして感じたからでした。

批判だけでなく発信力をというその後のメディア・リテラシー教育の流れにどうしても乗り切れなかったのもそもそものぼくの切実さがそんな方向には向いていなかったということでもあります。批判的思考と発信が一体的に機動しなければならないという理屈は理解していても、です。一貫して初等中等教育においては批判的思考を育てれば十分だろうと思ってきました(今も半ばそう思っているし、今回のオリンピックに関わる様々な報道を経て、その意はさらに強くなっています)。

ディジタルシティズンシップを、というのはよくわかるのですが、結局、デバイス活用を推す教職員や研究者は、GIGA政策が国策であるが故に、この意味不明なオリンピックに竿刺す動きは、ぼくの知る限りほとんど起こすことはなかった。GIGAを推進する人々は表立った政権批判も資本批判もできず概ねなんのカウンター勢力にもならないかたちでこの状況を追認したと見えます。

現状追認に終始する教師がばんばんタブレットを「使わせた」ところで、批判的思考も論理的思考も育て切れないだろうなと、かなり悲観的な気持ちになります。持ち帰りのタブレットは、批判的批評的思考を育てる最高の機会に、どの程度機能しただろうか・・・。

いずれにせよ、教育の世界から、「子ども連れて引率するのかよ」というようなうめき以外、ほとんどなんの批判的な発言も動きも見えなかったことは、予想されたこととはいえ、衝撃でした…このタイミングでぼくのようになんとか自分の言葉で語ってみようと思っている人もいるのならいいのですが。

最後になりますが、ぼくは、アスリートが資本のパトロンによって支援を受けながら競技生活を続けるという構造は「搾取の構造」だと思っています。アスリートには申し訳ないけれど、これにきちんとNOを突きつける、声を上げていくのは、アスリート自身の仕事だと思っています。

 

 

すぽんじのこころでつぶやく 2021年7月下旬

1 いかに「正気」で暮らし続けられるか。

2 つぶやきは本来自分にだけ聴こえればよいこと。

3 身の危険を感じる程度は様々だ。自分基準で考えるのを横に置かないと…。怖いと感じる人には本当に怖いのだ。ある人には普通にフラットな道と思えても、ある人にはジェットコースターのレール上のように感じられている。コロナは個人の感受の違いという当たり前を顕在化する装置になっている。

4 結局ちょっと腫れたかなという程度。手が上がらないとか、そういうほどではなかった、一回目。ファイザー

5 ま ほんとに先生が子どもを(誰かを)評価できる、評価することが教科指導であると、思ってるから、こうした議論になる。評価そのものが評価者と被評価者の「評価ごっこ」だと現行の学校制度化では相互了解し合うことでしか乗り越えようがないんだ。 と毒を吐く。

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6 オリンピックの組織委員会にはたくさんの志を持った人たちが集まっているのだろうが、エンブレム、競技場のドタバタから、遂には直前まで開会式の音楽一つ決められない状況の中で、とても苦労しているに違いない。リーダーの馬鹿な判断の積み重ねは、結局実務者を苦しめる。教育の世界とも似ているね。

7 7月20日。ハネナガキリギリスがもう鳴いている。旭川

8 携帯の充電が切れた父。急いで充電したのだが、再び電源を入れればパスワードを要求される画面。何を要求されているのかもわからぬ父。パスワードを打ち込めない。電話としてしか使えないが、スマホはほぼ唯一の連絡手段なんだ。10年くらい後の、テクノロジーに対応できないぼくの姿を重ねてみる。

9 立憲民主党川内議員のtweet天皇に言ってほしい発言)。。。強くて力がある。知名度がある。そういう権威や権力に自分の意を代弁してもらいたい。そういうさもしい感情が左から右までに頻繁に現れる状況になった。政党政治を前提とする議会制民主主義への幻滅は、年々大きくなるね。。。翻って…ぼくの1on1オンラインも、ぼく程度の知名度と影響力でもYesと言ってもらいたいがために寄りかかってきている人はいないのだろうか、そういうことをいつも考え考えしている。

10 誰かが何かが変えてくれるというマインドが覆ってしまうのが嫌なんだ。

11 ここからしばらくはじいっと息を詰めて、見聞きしていこうと思う。ぼくももう先が見えてきた。一緒にやれる人、一緒にやれない人、一緒にやりたくない人、そういう人を、自動的に炙り出してくれるオリンピックマシンはありがたい限りである。

12 そこに近寄らないという選択をする人がいる。そこで自分なりのメッセージを発信すると決める人もいる。どちらの思いもぼくなりに受け止められる。

13 池のカモに鍵盤ハーモニカで「海」を聴かせる少年。最高だった。中島公園

14 ぼく自身の個別固有の実践例を持って全体を語ったり断定したりしない。一方でぼく自身の個別固有の実践例でしか語れない豊かさを自信を持って示したい。この違いをわかってもらうことがとても難しい。

15 映画を見たり、物語を読んだりする時、何かが大きな出来事が起こることが前提になってるんだなと感じる。というか本の中で映像の中で何かを変えてくれるのを待っている。読む側観る側が想像力を求められることに、もう耐えられなくなってきているんだと実感する。

16 丁寧なことば。引き裂かれている真ん中に橋をかけようとすることば。

17 大橋選手の金メダルの瞬間は空港ロビーにいた。多くの人たちがほとんどモニターを見ていない。いや、チラ見している人もいる。金メダルの瞬間も何の反応もない。ぼくだけが小さく拍手する。蓋をされた感情がやがて腐り、悪臭を放つ瞬間を想像する。何もかも苦しくなったな。

18 これは本当にそう。学校支援•教員支援の現場では、熱意を持って取り組まれている先生に「それじゃないんです」を伝えるのはすごく難しい。EM菌でプール浄化みたいな馬鹿げたものでさえ、頭から否定することが難しい局面があることを経験的によく知っているので、この指摘は重い。

19 10年前の授業をほぼそのままやってみる。先生方が指摘する問題点をお聴きして、この10年に起こったことを実感する。これはなかなかおもしろい試みだな。もう少しやってみたいかも。いずれにしても・・・今日は、少しはっきりし過ぎる言葉、強過ぎる言葉で、話し過ぎたな。断定できることなんて、ほとんどないのに。

20 日本の学校は教室サイズも定員も概ねルールに基づいて同じ。でも、崩壊学級も幸せな学級も出てくる。教師の責任かというとそう単純ではなく様々な要因による。ルール通りなんでどこも崩壊しませんと断定する学校はさすがにあるまい。あ、これは医療崩壊しませんって話を聞いて思ったことです。

21 大きな声でモノトーンで断定的に発言する時は、当事者の声を聞いていない時がほとんどだ。当事者は多様だから、しっかり話を聞けば聞くほど、声には色が生まれてくる。

22 喩えの力。言葉・文学・想像の力。でも、このアプローチが届かない人たちであることが、もう一方の大きな壁なのだよな。

アートを旅する 2021年7月(安西水丸、恐竜ショウ、生命の不思議な世界、いとみち、PMF、夏N響室内合奏団 追記)

安西水丸ポスター展」世田谷生活工房ギャラリー。

世田谷文学館で行われている本展のスピンオフ展。無料。最終日に滑り込む。小さな展示スペースだが、ポスターという、広告・CMとの関係の深い形態で、彼の作品を並べると、より、あの時代に安西がどのように受け入れられたのか、その空気が如実に伝わってくる。やっぱりこっちなんだろうな、と思います。世田谷文学館の本展はいつ見ようかな。

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プラネタリウム「生命の不思議な世界」(なよろ市立天文台きたすばる)。

なんだかぼんやりしていて、これといった印象の湧かない作品だったが、でも、プラネタリウムは格別に気持ちのいいところだ。4回くらい寝たらしい。客は二人だけだったから、問題なしだ。プラネタリウムという場を、映像アート表現の場とリフレーミングした人たちが作品を次々と生み出してきた昨今の流れは、とても嬉しいことだ。そもそも名寄市には映画館はないのである。

リアル恐竜ショウ 恐竜パーク(旭川市民文化会館大ホール)

これは苦しかった。おそらく元々は様々なアクティビティが行われるショウなのだろうと思うが、コロナで接触できない状況では、アクターの演技力とおしゃべりに頼るしかなく、でもそれには限界があり・・・。陳腐な音響付きパペットショウに付き合わされている感じだった。運営の方々のことを色々と思ってしまった。PMFオーケストラJAPAN札幌公演(札幌コンサートホールkitara

当初は苫小牧で開催予定で、聞けないものと諦めていたので、嬉しかった。しかも改修後初めてのkitara.オケは、今年は修了生主体のオケで素晴らしい反応。レベルが高い。原田慶太楼さんの指揮は、奏者を刺激していくようなタイプ。またアメリカ仕込みのエンターテイメントで、今回の楽曲群はもうマッチングが素晴らしかった。ガーシュインのピアノ協奏曲。ピアノの三舩優子さんはぼくの中では小品のピアニストというイメージで、音量の不足はやはり少し気になったが、健闘。アンコールにアイ・ガット・リズムを二回。それにしても素晴らしいコンサートだったのだが、客の入りはひどい。コロナ対応で座席を減らしているのかと思ったが、隣の客(内情に詳しそうだった)に聴くと、チケットが全然売れなかったのだ、と。こうした催し物・展覧会・研修会・・・ものすごい自粛風が吹き荒れている。回復はコロナ後も厳しいだろう。

映画「いとみち」(テアトロ梅田)

横浜聡子監督作品は、大好きで、ほぼ毎作観ている。こんな脚本もこんな撮り方もする人なのか! 音楽に人間椅子紋別で若い時にコンサートを見たのを思い出した。
ふすまを両開きに開け、玄関を両開きにし、内と外とを行き来する、玄関の扉を両開きにして父娘を外へ追い出していく祖母は、過去と未来を行き来させる・・・巫女(シャーマン)のようでもある。寺山の「田園に死す」へのオマージュか。

それにしても、たまらなく美しい場面がいっぱいでした。

駒井蓮さん、今この時しかない輝きに満ちていた。大女優になるのでは、と思う。津軽三味線を弾く場面は圧巻だった。

フェスタサマーミューザ・N響室内合奏団。篠崎史紀さん素晴らしいなあとしみじみ思う。前半のシュトラウスはまあ楽しく。後半のマーラー交響曲第四番の室内楽版(K.ジモン編)は、うーん精度の高いアンサンブルと、儚げなソプラノ(盛田麻央さん)を楽しめたが、やっぱり室内楽で聴く良さがよくわからない感じでもあり。客席は3分の1くらいか。それよりも川崎の人の多さに恐怖を感じた。

 

最近読んだ本から その22

ずうっと少しずつ読んでいる本があり、自分の体調のバロメーターにもなっている。調子が悪いと、ぼくの場合は、自分が本当に必要としている本については、読み進めることがとても困難になってしまう。それでも色々読んではいるのだが、どんどん本が溜まっている・・・。

 

児童書・絵本・文学・全集などの処分第二弾です

ご存知の方も多いと思いますが、ぼくの家は、北海道で最初の家庭文庫でした。

今その撤収作業にかかっています。

膨大だった蔵書はだいぶ減ってきましたが、まだたくさんあります。先日第一弾でダンボール30箱が嫁入り・婿入りしていきました。

今回はその第二弾です。

条件は次のようなものになります。

1 一箱手間賃として2000円ほどいただきます。

2 着払いですのでご了解ください。

3 家庭文庫で活用していたものですからブックポケットがついていたり、色々痛み始めている(読めないものはありません)ものもあります、要するに中古です。

4 ダンボール一箱に詰められるだけ詰めてお送りします。

5 ご希望の学年・種別などがありましたら、あまり情報が多くならない範囲でご連絡ください。善処します。

6 今回は父の書籍(文学系)も対象です。写真をご覧いただいてご連絡ください

7 辞書や美術全集などについては、一部別な方法を検討しているものもあります。

8 箱数はお一人5箱の範囲で対応します。財布と相談して決めてください。

9 作業は8月中旬を目処に完了し、お盆明けを目掛けて発送します。

10 希望の方は、メッセンジャーで連絡してください。情報の出どころが色々になると大変なので連絡はメッセンジャー一択にします。ご了解ください。

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すぽんじのこころでつぶやく 2021年7月上旬

1 ネットの工事が始まった。そう、餅屋は餅屋に。いろんなことをちゃんとシンプルにしようと思うんだ。

2 民間教育運動(研究)団体は集合離散が本質だったとさえ言える。それは個人にとっては出会いと別れの繰り返しでもある。さようならに耐えられる人だけがそこで何事か爪痕くらい残すことができる。さようならさいなら。ぼくは背中を向け合って去っていくよりも相手を見送るのがいい、小さく手をあげて。

3 行政執行する側からすれば全ての教室が安定して同じように行政が必要とすることを過不足なく教える状態で運用することは宿願なのだろうな。問題はそこに自分が学び手としていたいかどうかだがそういう自分の問題として考えられる人は少ないのか。様々な先生がいる場から学んだ経験は大きかったがなあ。

4 他の人がしないことをしていれば、比べられることはない。同じ土俵には登らない。他の人が思いつかないもの、できれば怒られそうなことをもっともらしくやりたい。競合他社(他者)がいないこと。ぼくの憧れの人は、シュバイツァーや田中信昭さん・・・自分とはそもそも領域の違う人で、だから方法とはくっついていない。方法とくっつきすぎる人は、ぼくにとっては、憧れの対象にはならなかったなあ。民間教育研究の世界のトップリーダーには、これまで、比喩として、武道の世界を持ち出す人が多かった、でも、それは持ち出す本人たちも、途中から比喩でなくなっちゃった感がある。別に教育は武道じゃない。何かと何かの共通点は、その気になれば、あらゆるものに見出せる。鍋の蓋でも子どもの喧嘩でも動物飼育でも、学校教育との共通点を語ることはできる。比喩は、わかりやすさのためのものであり、そのものを指し示す道具にはならない。そのものについてを惜しみなくそのものとして理解しようと試みることを避けてはいけない。

5 結局、大きな傷を負ってしまったな。万国競技会の名前の前で判断を間違えてしまう。ある意味愛おしいほど人間的ではある。ぼくはぼく自身が人格形成に及ぶひどいいじめ加害を受けた被害者だ。だが一方で間違いなくクラスにいたアイヌ系の友人をいじめた加害者でもある。ぼくは当時彼や彼女へのいじめがアイヌ系子女であることによるものだとわかっていなかった。無知は深い罪であり、過去にはできない。忘却が罪であることもある。

6 行事をメインにして学級の団結力を高めようという実践は中学校においてはもう20年近く前から終わりに向かっていて、先生方は苦心している。合唱コンクールも体育祭も子供たちは確かに楽しむけれど、それが学級の求心力につながりにくい。翻って、時代が変わった今、オリンピックで団結を高められると思っている為政者は、やはりオワコンとしか言いようがない。オリンピックは成績次第でそれなりに盛り上がるが、それが国や政権への求心力に結びつかないと、とりあえず予言しておく。

7 スター教師像も、教育状況や社会状況とくっついている。状況が変わった今、それらも大きく変わったはずなのだが、かつてのスター教師像を追いかけるほんの一部の若手教師が、大多数の学校教師が捉えているものと、大きなずれを起こしてきているのに、そこに気付いていない。

8 みんな夏休みに入る前から、夏休みに教材研究する話をしているんだなあ・・・。こういうの、昔からそうだったとも言えるが、かつては、プラス1のために、だったとも思う。今は夏休み明けの日常を支えるためにって必死のストック作りという文脈なわけで、これは・・・。

9 ポリコレか・・・この流れを推し(押し)進めることで、どのように幸せになるのか。巨視的歴史的に見れば、強者のポジションの奪い取り、マイノリティとマジョリティの入れ替わり、分断の強化なのではないか。そう自問自答する。運動に力がついてくる時に本当に必要なのは推進する側の内省・自分に問い返す力だと思う

10 詩の言葉評論の言葉がないまぜになって今を語るものが読みたい。詩人の言葉評論家の言葉ではなく。

11 中野・高円寺。妹が暮らした町。たった一度だけ泊めてもらった安アパートは一体どの辺りだったのだろうか

12 それでもプレイヤーが頑張るしかないのが学校教育。これだけ非科学・似非科学陰謀論が溢れ始める状況を食い止めてきたのが学校でもあるのだが、プレイヤーにもこれらの信奉者がたくさん入り込んで来ると、これはもうほんと厳しいよ…。

13 ヤナギランが咲いている。この花が咲き始めると、Yさんのことを思い出す。ヤナギランが大好きだった。発達支援のあるお子さんを苦にし、家族をあやめてしまった。

14 うーん。「学ぶ」ことのゴールが「ぺけぺけ資格を取る」というところに暫定的に行き着いてしまうことにすごく違和感がある。それを目指す人を否定したいわけではないので慎重に発信しなくちゃいけないのはわかるが、○○士、△△免許を持っていても、また□□チング学んでます、◉◉リング学びました、●●テーターの資格があります、が、内実を伴わない例もたくさん見る。一方で、そんなもんなくても、素晴らしくできる人たちもいっぱいいる。その違いはなんだ? 日ぺ○の△子ちゃんあたりに端を発し、□ー△ャンあたりまで行き着いた資格認定主義は、内実を伴わないただのお墨付きで、社会に貢献できてないじゃんと思えてしまう。 社会のお墨付きがないと学んだことにならない、技量が認められない、ってことが普通になってるのならやばいよなあ。難しいなあ、資格ビジネス時代…。

15 寝るつもりだったがもう一言だけ。某官僚さんが、「教師のバトン」を話題にして「過剰労働問題に憤る学校の先生たちにかなり盛り上がっていただいていることを知る」と書いている。「盛り上がっていただいている」………。なんだろう、この上から目線は。結局最初からずうっとこの辺りの話に乗れないのは、実務者をコマのように見ている匂いがぷんぷんしてくるからなのだ。それにしても、すごい表現だな。かなり絶望的な気持ちになる。ぐっすり倒れて眠れそうです。

16 さて、寝よう。明日の運動会は、「同居親族2名以内のみ参観」。ぼくは「同居」じゃないんでね・・・どこかの隅っこから、見るのです。学校って、どうしようもなく面白いところです。なんというか、まあ学校劇場は、悲喜劇の舞台です。

17 カルトやトンデモ本、悪徳セミナーの情報案内などが、SNS上のぼくの知人の中からも湧き上がってくるようになってきて、哀しくなる。ぼくに洗脳を解く力はないから、そうっと目を閉じて、その場を離れるしかない。

18 この「態度」の評価について、多くの教員が受容してしまっているように見えるのはどういうわけだろう。自分の「態度」が評価されても受け入れてしまえるってことなのか。。。

19 マキシム・ショスタコーヴィチ&プラハ響のショスタコーヴィチsym5。気が付いてなかったが最後の一撃の前にマキシムの唸り声らしきものが入っている。彼は唸る指揮者なのか?!

20 接種30分。副反応って難しいよね、判断。ぼくらは普段は身体のいろんな部位の反応に関心を寄せたりしていない。でも接種の後はあっちもこっちも気になる。そうするとなんかだるいような痺れるような痛いような気がしてくる。そもそもぼくらは本物の副反応がどういうものか身体感覚としては知らない。

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探究する教室・・・授業づくりネットワークNO.39刊行です

(僕が書いた、巻頭論文から一部分・・・)
井上実践、深谷実践、あるいはかつての「見たこと作文」実践などの授業記録を読めば明らかですが、探究は学校・授業・教科の従来の枠組みを吹き飛ばしてしまいかねない強靭な魅力を持っています。パンドラの筺を開けてしまうような、と言えば良いでしょうか。冒頭でも述べたように、その魅力と難しさは果てしないのです。
そう考える中でぼくが思い出すのは、佐藤広也氏の一連の実践群です。北海道東部の浜中町で八十年代末にスタートした佐藤の「ほう、そうか探偵団」実践は、鈴木正気氏らの社会科探究実践から連なる実践の一つです。佐藤は札幌市の小学校に転出後も探究実践を推し進め、それらの実践は、いくつかの書籍、例えば『子どもたちはワハハの俳句探偵団―俳句づくり・学習実用アイテム』旬報社、1997)『動物園のアニマシオン わくわく探偵団』(柏書房、2004)などでほんの一部に過ぎないのでしょうが、読むことができます。彼の実践を改めて読み返しながら、破天荒だが時として壮絶に追究し続ける子どもたちの姿に心が動かされます。また、会うたびにやんちゃな子どものような表情を見せながら実践を語る佐藤の姿が思い浮かび、「ああ、優れた探究実践は、教師自身が優れた探究者として探究を楽しむ人である時に生まれるのだな」という至極当たり前のことに思い至ります。
昨今の学校・教師が膨大な課題に押しつぶされようとする日々の中で、果たして個々の実践者は、佐藤のように、探究を楽しみ続けられる存在で在れるのか。探究実践の存立は、実践者が自由に羽ばたき続けたあのマインドを今に持ち寄って歩めるかという、実は一番難しい問題とくっついているように思えます。
 
<目次>
探究する教室
【巻頭座談会】
探究を何のために使うのか
奈須正裕×藤原さと×田中理紗×川本 敦
誌上レポート
プロジェクト型学習のリアルとカオス~深谷新教室の「探究」する学び~ 佐内信之
巻頭言1 授業づくりネットワークと「探究」 石川 晋
巻頭言2 『アプレ・クー(事後性)』という未目標―予定調和の無い学びの場 木幡 寛

パート1 どうやる? 探究学習
みつかる+わかるスパイラルで探究をデザインする 市川 力
自分に繋がり、社会に繋がるための探究 青木芳恵
イエナプランスクール大日向小学校での実践~ワールドオリエンテーションの探究~ 原田友美
「算数アドベンチャー」算数の美しさとは? 伊垣尚人
生徒も教師も変わる「質問づくり」〜中学校理科の授業記録〜 井久保大介
〝活動あって学びなし〟に陥らない まだまだ遅くない一人1台端末の利活用と総合的な探究の時間の一歩目 横尾圭二
定時制高校にサリサリストアをつくる~「ふまじめ」な授業づくりが「探究」を加速させる~ 伊藤晃一
子どもたちが地域を変える! ~外部人材と協働したコラボレーション授業~ 菊地南央
探究的な学びとクラスづくり 小川雅裕

特別寄稿
「追究の鬼」を育てる有田和正の授業と「探究」 古川光弘

パート2 「探究」を考えるための本
『見たこと作文でふしぎ発見』阿部隆幸
『授業をみがく─腰の強い授業を』長瀬拓也
『「追究の鬼」を育てる』樋口綾香
『PBL 学びの可能性をひらく授業づくり』京野真樹
『共に学び共に生きる1・2』片岡利允
『ロウソクの科学』『雑草のくらし あき地の五年間』小島章子
『だれもが〈科学者〉になれる! 探究力を育む理科の授業』佐藤充
『子どもの「問い」が立ちあがる』サルバション有紀
『山の村から世界がみえる』藤倉 稔
『「探究」する学びをつくる 社会とつながるプロジェクト型学習』井上太智
センス・オブ・ワンダー』藤原由香里 

すぽんじのこころでつぶやく 2021年6月下旬

1 中央と地方との関係は中央に近い人ほど、単純化して捉えがちだと感じる。中央と地方との構造はいわば逆マトリョーシカなんだ。外にいるものはすぐ内側の人形しか見えない構造になっているんだ。一番奥に押し込められているマトリョーシカ人形を想像するのは簡単ではない。ぼくだって北海道の旭川という、北海道では人口第二位の街で暮らしている時はわかっちゃいなかった。圧倒的な漁村や疲弊する農業地、ゴミ処分場を誘致するしか生き残り策のない地域、そういうところで暮らすまで、地方の中にも果てしない格差が入れ子状になって存在していることに本当には気づいていなかったんだよな。ちょっと田舎に暮らしていた人が、東京を眩しそうに見上げて田舎を語ってもいいが、辺境の壊滅的な現状まで語れていると思ってはいけない。ぼくにだって全然語れないよ。。。ICTが助けになるなどと、簡単に言うもんじゃない。

2 日本の後進国化はIT化の状態やワクチン確保接種などから、それと見て取れるわけだ。が、特に年配層中心に、国を覆うマインドはそこまでの事実認識を共有できていない。こうしたケースは、これまでも歴史上繰り返されてきたものだろうか? スペインは? 大英帝国は? 同じようなことが起こったのかな?

3 それにしても「これこれをこのように名付ける」「〇〇理論と呼ぶ」というのに付き合うのはぼくには苦痛だ。個々の人間に果てしない興味があるが、それはそのように考え振る舞う個々の人間そのものにであり、理論には限定的固有な身体がくっついてるもんでしょう、としか思えないのである。

4 そうか、柄谷行人が「探究」で意識的に行ったことは、論理的・体系的な書き方をやめて、エッセイとして書くことだったのか。とても示唆的だな。1984年。

5 目玉焼き。美味しいな。がんばれそう。

6 リスクを分析する主体とリスクを管理する主体とが独立した関係にならないと正常な判断と政策執行が難しいというのはそうだろうと思う。だがそれは難しいよね。普通は管理するために分析するんだもの。

7 この季節の週末のTLは、うまく行かない悲鳴と、できる人の実践見せの両極だな。たった二ヶ月前の、あのきらきらtweetはどこへ行ってしまったのだ、と毒を吐いて潜る。

8 ずうっと目が痛い。乱視と遠視の現実とちゃんと向き合わないと良い原稿は書けないな。

9 安心安全なところにいてそこから発言して一向に構わないんだけど、自分は安心安全なところにいて発言してるんだって、たしなみだけはちゃんと持っていたいよね。。。自戒を込めて。

10 なんかよくわかんないけど泳ぐ。もう泳ぐと決める。まあ、ずうっとつらいんだとおもう。つらいのをこらえたり、しのいだり、しているんだ。でも、一つ一つの仕事のクオリティを絶対下げたくない。7月末まで、ちゃんと足の裏を一回ずつ地面に付けて歩き続けたい。

11 いい立地のホテル。大浴場もある。だけど・・・とても残念なことにDHCだった。もう使わない。

12 ここからぼくは、全てを、感動や努力や情熱や団結で、全力で上書きしようとする流れに、ちゃんと正気でいたいと思う。

13 ぼくの公的な書き始めは、間違いなく児童文学評論だった。その後教育実践記録を書く機会が増え、そちらが中心になっていく…。ぼくにとって書くことは自分の表現欲求の充足の側面が大きいということは、そうした「出自」から考えれば当然だ。だがそれで何が悪いと、居直りたいとも思っているのだ。

14 様々な国語教室で「まいごのかぎ」の季節。教室で暮らしにくいりいこの物語が教室文化に落とし込まれて「教えられる」日々に胸が苦しい。りいこの心中にまだちゃんとある羽ばたきをファンタジーなどという言葉に回収してはつまんない。教える先生、学ばされる子どもたちのど真ん中にある呼吸困難。

15 オープンクエスチョンは、既存の授業の価値観の転換・更新を迫るんだなと改めて思う。これまでの授業観を変えずにそれだけ持ち込んでも、どうにもならないのかぁ。

16 ひどい。ひどい鼻水だ。

17 久しぶりに、八島太郎の「からすたろう』を読み、うなってしまった。来週入る教室で、6年生に読みたいと思う。この時代背景や時代風景が伝わるか、とか、そういうことではない。まさに「普遍の価値」が作品に宿っている。やっと少しだけ、そういうことがわかるようになってきたということか。

18 今朝も1on1オンライン。若手から中堅に差し掛かり急激に力をつけている先生。しかし今回の授業づくりは苦戦中。ぼくと友人とが二人で書いた10年以上前の本を参考にして授業を創ってくれている。感激すると当時に、穴があったら入りたい気持ちになる。不備だらけの実践、不足だらけの原稿。書き残すとは、そういうことだ。「自分の未熟」の記録でもあるんだ。文献情報を付しているので、原実践に当たって、ぼくの実践の薄っぺらさに気づくことはできる。文献記述にこだわって書き記してきて、よかったなあと思う。

19 結局実践者としての自分は、今のところ斎藤武夫さんの足元にも及ばないという自覚がある。誕生日詩集・・・珠玉の実践。高野山の宿坊で多分1996年にいただいたものだ。武夫さんは圧倒的なロマンティストであり、自分との思想的な隔たりの問題は別として、教師はロマンティストであるべきなのだろう。ぼくは、一般的な教師よりはずうっとリアリストなのだと思う。

20 そもそも「教育再生実行」っていう名称にカチンとくるもんな。これは、自分たちの教育施策が、再生させなきゃならないほど破綻しているという自己批判の言葉じゃないもんね。プレイヤーの尻を叩いてもっと走れって言ってるようにしか聞こえないもんな・・・。

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アートを旅する 2021年6月後半(東京シティフィル、野外劇団楽市楽座、アマービレフィル)

東京シティフィル、オペラシティ定期。

高関のブルックナー5番。眠くなるかなと思ったが、緊張感と高揚感のある、良い演奏だった。2、3楽章をしっかり聴かせる集中力(オケ)と構成力(高関)はさすが!

野外劇団「楽市楽座」。国立矢川上公演。初日。ゲストのストリッパー牧瀬茜さんに痺れた。萌さんの伴侶が加入後は初めて見たが、劇団の表現の幅が明らかに広がり、脚本も見通しが良くなった。衣装も素晴らしいし、おりからの雨だし、もう言うことなし。

アマービレフィルハーモニー管弦楽団兵庫県立芸術文化センター神戸女学院小ホール。松岡究&大森香奈。日本オケ連加入記念のコンサート。メンデルスゾーンのイタリアを初めてライブで聴けたのも良かったが、なんと言ってもチンチェンリンのマリンバ協奏曲5番「竹取物語」での大森のパフォーマンスが良かった。小編成のオケにピタッとハマる選曲。松岡さんは瀬戸フィル、東京ユニバフィルでも感じたが、合わせるのがとても上手。

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それでもリアルにこだわって・・・7月の研修会です(仙台、市川・本八幡、伊豆大島、横浜・あざみ野、国立、新大阪)

2021年度、研修会日程。

それでもリアルにこだわって開催します。

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22/7/4 日曜日 仙台2 13:00-15:00「対談:鈴木優太さんと」

21/7/7 水曜日 本八幡11 19:00-21:00「教室読み聞かせの基本」

21/7/8  木曜日 大島12 18:00-20:00「協同学習で授業を改善する」

21/7/14  水曜日 横浜・あざみ野14 19:00-21:00「教室読み聞かせの基本」

21/7/15  木曜日 国立15 19:00-21:00「石川実践とはどのようなものだったのか 2」

21/7/24 土曜日 札幌 17:00-19:00「探究を考える」

 21/7/25 日曜日 新大阪4 16:00-18:00「対談:武田緑さんと」