2022年最初の一冊。静かな部屋でしゅうっと読んだ。
見事な散文詩。苦心の訳だった。
22/1/14 金曜日 連続講座16(札幌)
22/1/15 土曜日 連続講座17(仙台)
22/1/16 日曜日 連続講座18(水戸)
22/1/18 火曜日 連続講座19(国立)
22/1/23 日曜日 連続講座20(名寄)
22/1/27 木曜日連続講座21(甲府)
22/1/30日曜日 連続講座21(新大阪)
22/2/4火曜日 連続講座22(徳島)
22/2/5水曜日 連続講座23(高松)
22/2/6 日曜日 連続講座22(大阪、佐藤隆史さんと)
22/2/8 火曜日 連続講座23(あざみ野)
22/2/9 水曜日 連続講座24(国立)
22/2/16 水曜日 連続講座25(天王寺)
22/2/23 水曜日連続講座26(稚内)
22/2/27 日曜日連続講座27(名寄)
22/3/3 木曜日 連続講座28(園田)
coming soon
22/3/16 水曜日 連続講座29(国立)
coming soon
22/3/17 木曜日 連続講座30(大宮)
coming soon
22/3/18 金曜日 連続講座31(本八幡)
coming soon
22/3/22 火曜日 連続講座32(新山口)
coming soon
22/3/23 水曜日 連続講座33(博多)
coming soon
22/3/27 日曜日 連続講座34(札幌)
1 久しぶりの文芸研の詩の授業だった。しみじみよかった。一貫した社会認識を背景とした授業。授業がアート(芸術)なのである。
2 こういう道が好き。バスや電車から降りて今日の学校まで歩く、こういうわずかな道を歩くのが好き。毎朝その道の途上でぼくは息を吹き返す。
3 自分がやられてることを子どもにも同じようにしているのである。指導も評価も。
4 考える時間がほしい。来年度は貧乏でもいいから考える時間を確保したい。
5 ぼくにとって話すことは広く考えることであり、書くことは深く考えることである。
6 餌を前に置いて、お預けして、忍耐力を育てるとか、もう学校はしつけの場所なのか、って感じ。タブレットの指導をめぐって、教職員の諍いと分断が起きて、誰得なんだよって感じ。理想を振り回す段階は終わりに近づいていないか? そろそろ冷静に考えなくちゃいけないよ。
7 ねほりんぱほりん。児童相談所職員。今日もすごい・・・。若い時児童相談所職員になったばかりの若い職員に失礼を言ったことを覚えている。もっと言い方があった、と時々思い返す。ぼくの認識もあまりにも浅かったのだ。学校の大変さばかりを言い募ったが、当時から児童相談所は大変だったのだろう。
8 「変化が激しく不透明な時代」に対応できる「探求的能力」がいかなるものかを確定することは、論理的にも時間的にも実践的にも不可能なのである。 『追いついた近代消えた近代』(苅谷剛彦、岩波書店、2019,170頁)苅谷さんの諧謔的高踏的でニヒルな言述にイラッとするのは的を射ているからだな。
9 まあ冷静に考えれば、「予測不能な社会変化に対応する力を育てる」なんていうのはよく言っても「地震予知能力付けましょう」みたいな話とさして変わらない。そもそも人類は未来が予測可能だったことはないのである。
10 午後は床に倒れて寝ていた。その間にテーブルの上にあったチーズケーキをらんちゅう(ねこ)が食ってしまった。歳を取ると慣れてだらしなくなる。俺と同じだ。
11 東響と札響のトップ奏者によるアンサンブル。水谷晃さんの美音を中心に、暖炉を囲んでいるような気持ちになる演奏でした。北の星座音楽祭。EN-RAYホール、今年は何度か聴きましたが、良い響きです。
12 ミュージカル嫌いのぼくがアイの歌声を聴かせてがOKなのは、この作品が突然歌い出すことそのものが歌い出される物語だからだ!
13 今日はここから羽田経由で横浜まで辿り着き徳島へ入れるはず。久しぶりの夜行バス。全てがうまく流れますように。
14 京急蒲田のスイッチバックが好き。遠軽を思い出す。進むために戻る。
15 夜行バスはいろんなことを思い出す。チップスター食う。
16 タブレットが、いろんな意味・場所・角度で、旧来の学校が持つ価値観や指導観とぶつかって、先生、子ども、保護者、みんなが傷つき、教育委員会の仕事が増えるという事案が、どんどん耳に入るようになってきた。
17 結局、欲望を抑え込むという話になるはずなのだ。
18 企業を突き上げていけるだけのパワーが市民にない。なので企業主導のぬるいサスティナブルが進んでいく。企業主導のサスティナブルを全く否定しないが、それが企業自身の生き残り策であることはちゃんと考えておかねば。
19 働き方改革大賛成。だがおそらく失ってしまうものも大きいだろう。これまで学校が人海戦術で提供してきたボランティアに等しい仕事は教職員の社会的信頼を担保する機能も担っていた。現状、運動としては典型的な権利主張の構図なのだよ。どっちに進んでも、大雪原なのである。メリークリスマス。
20 この時期の空港は、怒っているお父さんやお母さんの声で、いっぱいだ。
21 今日は飯村さんと2時間話す。素敵なお客さんに囲まれながら、二人で丁寧に話す。出会ってからもう10数年。若手と中堅の関係だったぼくらは、すでに、お互いの見ているものを持ち寄る中で気づきを深め合う友人である。年末に深々と良い時間であった。
22 本日、1on1オンライン対話二名の方と。これで2021年のオンライン対話は終了しました。12月はわずか41時間。リスケがたくさんあって現場のしんどさを肌で感じる12月でした・・・。
23 ハンス・シュミット=イッセルシュテット&ウィーンフィル。第九。どこまでも誠実。最も安心して聴ける名演。タルヴェラがすごい。
24 多分、肋骨にヒビが入ってるなぁ。
25 ぼくは、来年度から現場に半分戻れるわけだが、おそらく「探究」も「個別最適な学び」もしないと思う。ただただちゃんと腰を据えて「授業」をするのだと思う。 「探究」も「個別最適な学び」も目指すものではなく、結果としてそうなったものにつけられた暫定的な名称に過ぎない。「目指した結果実現したと称されるもの」のほとんどがろくでもないものになることは、歴史が雄弁に証明してきているはずだ。
26 何かを変えてやろうと強く思いつづける限り、それは自分を変えようとするものへの強い絶望や抵抗感として顕れて、自分をも蝕み壊していく。ぼくらは、一人一人、真剣に自分のできることを、自分の場所でやればいいのだと思う。ぼくは実は、それが「政治」なのではとも思っている。
27 十二月三十一日 言葉の旅
西暦二〇八年、セレヌス・サンモニクスはローマで『医の本』という書物を著し、治療術に関する彼の発見を記していた。
二人の皇帝に仕えた医師にして詩人、当時最良の書庫の持ち主であった彼は、さまざまな治療術をその書で明かしたが、そのなかでも三日熱に効いて死を追い払う確実な方法を提案していた。ある言葉を胸にぶら下げて昼も夜もそれをお守りとするというものである。
それがアブラカダブラという言葉だった。古ヘブライ語で「死ぬまで、自分の火を送れ」という意味で、現在もそういう意味である。
(『日々の子どもたち あるいは266篇の世界史』岩波書店、エドゥアルド・ガレアーノ、久野量一訳、2019 二八四頁)
2021年の自分を説明するのにふさわしいものを。
どうしても下半期のものが印象が濃くなってしまうわけだが。
各ジャンルのベスト1を。
芝居など
2月21日。こんにゃく座「森は生きている」(世田谷パブリックシアター)
二兎社の空気vol.3も印象深かった。
コンサートなど
12月7日。フォーレ四重奏団「ドヴォルザーク、ムソルグスキー」(トッパンホール)
N響定期のメナ&ペリアネス、石川さゆりのアコースティックライブ、中川敬の葉月ライブ。オピッツとACO&スダーンのベートーヴェンピアノ協奏曲全曲演奏、札響&小菅優のバルトーク3番、オーケストラトリプティークの芥川のトリプティークもよかった。
映画など
いとみち、17歳の瞳に映る世界、星の子なども印象深い。
展覧会など
8月26日。「木彫り熊の申し子 藤戸竹喜 アイヌであればこそ」(東京ステーションギャラリー)
書籍など
苅谷剛彦『追いついた近代 消えた近代: 戦後日本の自己像と教育』(岩波書店,2019)
他で言えば、なんと言っても『アイヌ通史』(岩波書店、2021,シドル、ウィンチェスター訳)。
音楽アルバムなど
該当なしと言いたいところだが。頑張ってあげるとすると、本日休演”MOOD”かな。
北の星座音楽祭(名寄EN-RAYホール)
今年は、これ一公演。東京交響楽団のトップ奏者と札幌交響楽団のトップ、それに地元のピアニストとの公演。とても上手だったのだが、とても微温的。BGMのように聴こえてしまうのは、ぼくだけだったろうか。ラズモフスキー3番、とても好きな曲で、これはこれで良い演奏なのだけれども・・・。
九州交響楽団西宮公演(オーケストラキャラバン、兵庫県立音楽ホール)
初めての九州交響楽団。指揮は、沼尻さん。ソリストは神尾真由子さん。遅いテンポで情感豊かに弾き切った一楽章がまさに神尾節。ぼくはちょっと苦手だけど、でも説得力あり。九州交響楽団、とても上手、チャイコフスキー4番も見事な迫力満点の演奏。しかし、これは、スラブではなく、なんというか、ラテンだ。 笑
ゲルハルト・オピッツ&愛知室内オーケストラ「ベートーヴェンピアノ協奏曲全曲演奏会」(紀尾井ホール)
二夜にわたり、ヴァイオリン協奏曲のピアノ編曲版まで含む6曲の演奏会。指揮がシェーファー、ケーニッヒと二転三転し、最後になんとなんとスダーン! スダーン指揮のACOは若く分厚い情熱に溢れた渾身の演奏だった。もちろんオピッツの誠実な虚飾のない演奏が、彼らをどんどん奮い立たせていったということだろう。年末に、ちょっと滅多に聴けない名演を二日間聴くことができた。先日のフォーレ四重奏団に続いて、圧倒的な超一流の演奏に接して大満足だった。
苅谷さんの、「自分は誰とも違うんだよ」的な高踏的な書きぶりに、馬鹿にされたような気持ちになったことのある人はぼくだけではあるまい。しかし、今作も圧倒的な読書量・洞察力、完敗の一冊だった。彼の本は、新書を読んで読んだ気になったりしてはいけない。
今年の教育書では一番かも知れない。コロンブスの卵の一冊だった。「今までもやっていた」と、簡単に言ってはいけない。丁寧に調べてみると、特別支援学校の学習指導要領解説の中には、自立活動について、この本の発想を支えるような考え方が示されているようである。とはいえ、こうした考え方は通常学級においてはほとんど一般化されていなくて、その点で、土居さんがここを全面的に押し出してくるのは、ある種の発見、革命的だ。ぜひみなさんに読んでほしい本である。
待ちに待った一冊だった。ありがたいありがたいと思う。
斉藤ひでみさんの仕事をリスペクトしている。しかし、一方で斉藤さんは既に名もなき教師たちの代弁者ではないとも思う。この本には、本当の意味での「現場実践者」は誰もいない。教師のバトンで起きた大惨事をちゃんと語っていい人はどんな人(たち)であろうか、と、深々と考える。
毎日読むは、難しかったが、一年をこの本と過ごした。
・Gear
天草ショーゴさんの出番ではない日を初めてみた。
そもそも観るのは数年ぶりだったが、細かな演出のバージョンアップ、プロジェクションマッピングの進化、いろんな進展があった。若いパフォーマーの真剣勝負は、ここおrが動くなあ。
ハイドン軍隊は残念ながら退屈。とにかくオケとしての音量が足りないんだ。第九は力演。指揮の長峰大輔さんは超快速を選択した結果、細部はご愛嬌だが、歌心と勢いが出て、これでオケが息を吹き返す。市民合唱団もややフラット気味だが力演だった。。ソリストはさすがの三原剛さん。テノールの田代さんはひどく不調。多分喉を壊していた。残念。
ドヴォルザークのピアノ四重奏曲2番。ムソルグスキーの展覧会の絵。アンコールも三曲。とにかく素晴らしい演奏だった。生涯数本指に入るだろう、ぼくにとっては、これまでの全てのコンサート体験の中での最上のものの一つだった。自立した表現者が卓越した技を持って協同的に創り上げる最上の質のものを聴いた。展覧会の絵は、キワモノ的に捉えられそうだが、実に音響的にも織り込まれた編曲。しかし、この四重奏団だけができる演奏とも感じる。キエフの大門では、涙が出てしまった。
・Goodmorning No.5「異常以上ゴミ未満、又は名もなき君へ」(小劇場B1)
前作にも増して、細部に至るまでの圧倒的なクオリティの高さを、馬鹿馬鹿しいほどの破壊力しかないパフォーマンスと膨大な言葉に刺し込みねじ込む。中村中の曲がまた素晴らしい。ものすごい芝居だった。ストレートなメッセージもある。それを咀嚼する余裕を観劇するぼくらは十分に与えられてはいない。それをどう捉えるか。でも、ぼくは今のところ、この疾走感がいいと感じる。今作も感動してしまった。
・彫刻(りったい)絵本4 おもいでのおくりもの(旭川市彫刻美術館)
ぼくとうららの二人だけ。素晴らしい彫刻があり、コンセプト展示にも力が入っている、そもそも旧偕行社という最高のロケーションなのに、勿体無い。楽しい展示だった。
指揮 / 広上 淳一 ソプラノ / 砂川 涼子 メゾソプラノ / 谷口 睦美 テノール / 清水 徹太郎 バリトン / 甲斐 栄次郎 合唱 / 札響合唱団
広上さんらしいリズミカルな力感のある良い演奏だった。マスクをして歌う合唱団は非力。ソリストは砂川さんの声、得意ではないのだが、すごい存在感だった。
2 ぼくのエンドユーザーは、子どもではなくて教師なんです。
3 今日の河内松原の学校での授業(プラタナスの木)は本気で『なってみる学び』を読み解いてチャレンジしていた。2年目の先生とそれを支える中堅の先生のトライに胸が熱くなってしまった。ぼくでは力不足な一時間二十分、でも精一杯一緒に動きながら検討した。授業も2本させていただいた。
4 大好きな、プレミアムカー。
5 ザ・タロー・シンガーズ。小さな空。
6 京都の大学。講義をしながらたくさん刺激をいただく。ロレンゾの、ぼくの定番道徳授業。昨日は学生さんからのフィードバックにとても揺さぶられた。いやあ、ありがたかった。人間ルーラーではなく、葛藤のトンネルを当初選択していたことには、自分の中の勘が働いていたんだ。気付かされる。
7 京都はぼくが生まれ育った場所とは全然違うな。ここで生まれ育った人たちは、やっぱり北海道のぼくとは違うメンタリティを宿すだろうな。久しぶりに日なかを歩く。
8 京都のバスの運転手の車内放送は音楽に聴こえる。 ♪うしろとびらがしまりませーん、もういっぽまえにでてくださーい。
9 おや、つぐみが鳴いている。
10 奈良フィル。第九。ハイドン軍隊は残念ながら退屈。音量が足りない。第九は力演。指揮の長峰大輔さんは超快速を選択。これでオケが息を吹き返す。市民合唱団もややフラット気味だが力演。ソリストはさすがの三原剛さん。テノールの田代さんは不調。ドンマイ、どこかで良い時を聴かせていただきます。
11 エルンスト・オッテンザマー(クラリネット)/ヨハネス・ヴィルトナー(指揮)/ガブリエル・マーティン(オーボエ)/シュテパン・トゥルノフスキー(ファゴット)/ウィーン・モーツァルト・アカデミー。今朝はこれから。どの演奏も穏やかで安定の名演。
12 頭が痛いな・・・次年度は、一月に入ってからの日程検討に入った学校・個人の調整は、とても付けられそうにないぞ・・・。
13 大切にされてはいないんだなと思うことは無論ある。そういう時はまあ目をつむる。距離は時間と共に変わっていく生き物みたいなもの。その時本当に必要とされていた、それは本当だ。そこからいろんなものが遠くなっていくことをぼくの仕事は静かに受け入れねばならない、むしろ喜ばしいこととして。
14 今日は珍しくスマホ(キャリアなし端末だが)を自宅に忘れてしまった。乗り換えもわからなくて不便。でも、びっしり本が読めた。この方がいいなあと思う。
15 子どもたちは一斉授業的・従来の教室的なデザイン、一斉授業的・従来の教室指導的な声掛けや声質の前で、見事に一斉授業的な身体になると感じている。これは本当に凄まじく、そうなのだ。同化するにせよ、拒否するにせよ。
16 ぼくは人生の中で後何回イヤホンの絡まりをほどく朝を過ごすのだろう。3年間お世話になった江戸川区の小学校のばん走も今日で一区切りになった。ずっと演劇的なアプローチにチャレンジしてくださってきたが、今日は心が震えるくらい素晴らしい授業だった。感謝。本当に何者かもわからぬぼくに賭けてくれて感謝。
17 誰とでも議論して傷ついたりはしない。というか議論するまでもないことまで議論するのは「議論の文化」なんかじゃない。
18 通級も固定級も個別支援も巡回指導も、通常級に子どもを戻すための下請けじゃないんだぞ 怒
19 あざみ野、5名の先生と。今日はちょっといつもとは趣向を変えて進めたが、なかなか良かった。この方法、少しやってみよう。夜はオンラインお一人。しんどさが伝わってくる・・・。大変だな。明朝はお二人。
20 朝から、FBで。尊敬する先生の授業参観報告を見て、少し複雑な気持ちになる。「優れた実践」とはなんだろう。そういうことを考えて心がぐさぐさする。もやもや、ではない。ぐさぐさである。
21 今日は都内の老舗の私学。低学年棟にシンボリックな中庭。砂場や遊具で、木漏れ日の下、木の葉に包まれながら、歓声を上げて子どもたちが遊ぶ。樹上にはひっきりなしにヒヨドリ。ここでは鳥たちは逃げないのだ。
22 ぼくは学生を育てるということについては、継続的にどっぷりやりたいという思いは相対的には低いんだなと、自分と対話しつつ今のところそう感じている。
23 SNSを介して学生の思いに触れ、支援要請を受け入れて協力する。するとしばしば別な企業、個人、団体からアプローチがある。難しい。学生や若手イノベーターのすぐ外側に「金」を巡る策謀が渦巻いているんだなあと実感する。それを用心深く排除していくのは学生や若手には難しいことだろう、とも思う。
1on1オンライン対話。昨日の夜は三人。今朝はお二人。しかし辿り着けたのは五人のうちお二人だけでした。しんどい季節です。みんな、なんとかなんとかしのいで欲しい。この時期の感じを「しのぐ」という言葉で表現した野中信行さんのセンスは残念ながら一層輝く状況になっている。。。
24 ぼくはぼくのところまで辿り着けた人しか助けられない。正確に書けば、辿り着けた人のうちのさらに少数の人を助けられる可能性がある。
25 小谷美紗子が沁みる。ピアノの和音一つ一つが杭になる。
26 いろんなことへの無力感を、建設的に積み重ねた1日。札響の第九は、広上さん、厚みのあるダンス。ああ劇音楽なのかも、と思った、そんなことを思ったのは初めてだったと思う。合唱団はいまひとつ。ソリストは声質は苦手だったが、良かった。
27 ぼくは50歳になって東京に出てきた。出てくるまで、ぼくは日本が本当はどんな国なのか知らなかった。日本は差別と貧富、不平等の国でした。土や風や緑や生き物、そして人は全く大事されていない国でした。
28 別に死にたかったわけじゃないのに、気づいたら(気付くことなく)飛び込んでいたという人もいるのだろう。電車の灯に眩惑されて。眩惑とは、まあそういうこと。人もまた蛾のようなものか、時として。
29 Mr.children“SOUNDTRACKS”
30 毎日毎日、小さな跳躍を繰り返す仕事なのである。
31 久しぶりの文芸研の詩の授業だった。しみじみよかった。一貫した社会認識を背景とした授業。授業がアート(芸術)なのである。
2 ぼくのエンドユーザーは、子どもではなくて教師なんです。
3 今日の河内松原の学校での授業(プラタナスの木)は本気で『なってみる学び』を読み解いてチャレンジしていた。2年目の先生とそれを支える中堅の先生のトライに胸が熱くなってしまった。ぼくでは力不足な一時間二十分、でも精一杯一緒に動きながら検討した。授業も2本させていただいた。
4 大好きな、プレミアムカー。
5 ザ・タロー・シンガーズ。小さな空。
6 京都の大学。講義をしながらたくさん刺激をいただく。ロレンゾの、ぼくの定番道徳授業。昨日は学生さんからのフィードバックにとても揺さぶられた。いやあ、ありがたかった。人間ルーラーではなく、葛藤のトンネルを当初選択していたことには、自分の中の勘が働いていたんだ。気付かされる。
7 京都はぼくが生まれ育った場所とは全然違うな。ここで生まれ育った人たちは、やっぱり北海道のぼくとは違うメンタリティを宿すだろうな。久しぶりに日なかを歩く。
8 京都のバスの運転手の車内放送は音楽に聴こえる。 ♪うしろとびらがしまりませーん、もういっぽまえにでてくださーい。
9 おや、つぐみが鳴いている。
10 奈良フィル。第九。ハイドン軍隊は残念ながら退屈。音量が足りない。第九は力演。指揮の長峰大輔さんは超快速を選択。これでオケが息を吹き返す。市民合唱団もややフラット気味だが力演。ソリストはさすがの三原剛さん。テノールの田代さんは不調。ドンマイ、どこかで良い時を聴かせていただきます。
11 エルンスト・オッテンザマー(クラリネット)/ヨハネス・ヴィルトナー(指揮)/ガブリエル・マーティン(オーボエ)/シュテパン・トゥルノフスキー(ファゴット)/ウィーン・モーツァルト・アカデミー。今朝はこれから。どの演奏も穏やかで安定の名演。
12 頭が痛いな・・・次年度は、一月に入ってからの日程検討に入った学校・個人の調整は、とても付けられそうにないぞ・・・。
13 大切にされてはいないんだなと思うことは無論ある。そういう時はまあ目をつむる。距離は時間と共に変わっていく生き物みたいなもの。その時本当に必要とされていた、それは本当だ。そこからいろんなものが遠くなっていくことをぼくの仕事は静かに受け入れねばならない、むしろ喜ばしいこととして。
14 今日は珍しくスマホ(キャリアなし端末だが)を自宅に忘れてしまった。乗り換えもわからなくて不便。でも、びっしり本が読めた。この方がいいなあと思う。
15 子どもたちは一斉授業的・従来の教室的なデザイン、一斉授業的・従来の教室指導的な声掛けや声質の前で、見事に一斉授業的な身体になると感じている。これは本当に凄まじく、そうなのだ。同化するにせよ、拒否するにせよ。
16 ぼくは人生に中で後何回イヤホンの絡まりをほどく朝を過ごすのだろう。3年間お世話になった江戸川区の小学校のばん走も今日で一区切りになった。ずっと演劇的なアプローチにチャレンジしてくださってきたが、今日は心が震えるくらい素晴らしい授業だった。感謝。本当に何者かもわからぬぼくに賭けてくれて感謝。
17 誰とでも議論して傷ついたりはしない。というか議論するまでもないことまで議論するのは「議論の文化」じゃない。
18 通級も固定級も個別支援も巡回指導も、通常級に子どもを戻すための下請けじゃないんだぞ 怒
19 あざみ野、5名の先生と。今日はちょっといつもとは趣向を変えて進めたが、なかなか良かった。この方法、少しやってみよう。夜はオンラインお一人。しんどさが伝わってくる・・・。大変だな。明朝はお二人。
20 朝から、FBで。尊敬する先生の授業参観報告を見て、少し複雑な気持ちになる。「優れた実践」とはなんだろう。そういうことを考えて心がぐさぐさする。もやもや、ではない。ぐさぐさである。
21 今日は都内の老舗の私学。低学年棟にシンボリックな中庭。砂場や遊具で、木漏れ日の下、木の葉に包まれながら、歓声を上げて子どもたちが遊ぶ。樹上にはひっきりなしにヒヨドリ。ここでは鳥たちは逃げないのだ。
22 ぼくは学生を育てるということについては、継続的にどっぷりやりたいという思いは相対的には低いんだなと、自分と対話しつつ今のところそう感じている。
23 SNSを介して学生の思いに触れ、支援要請を受け入れて協力する。するとしばしば別な企業、個人、団体からアプローチがある。難しい。学生や若手イノベーターのすぐ外側に「金」を巡る策謀が渦巻いているんだなあと実感する。それを用心深く排除していくのは学生や若手には難しいことだろう、とも思う。
1on1オンライン対話。昨日の夜は三人。今朝はお二人。しかし辿り着けたのは五人のうちお二人だけでした。しんどい季節です。みんな、なんとかなんとかしのいで欲しい。この時期の感じを「しのぐ」という言葉で表現した野中信行さんのセンスは残念ながら一層輝く状況になっている。。。
24 ぼくはぼくのところまで辿り着けた人しか助けられない。正確に書けば、辿り着けた人のうちのさらに少数の人を助けられる可能性がある。
25 小谷美紗子が沁みる。ピアノの和音一つ一つが杭になる。
26 いろんなことへの無力感を、建設的に積み重ねた1日。札響の第九は、広上さん、厚みのあるダンス。ああ劇音楽なのかも、と思った、そんなことを思ったのは初めてだったと思う。合唱団はいまひとつ。ソリストは声質は苦手だったが、良かった。
27 ぼくは50歳になって東京に出てきた。出てくるまで、ぼくは日本が本当はどんな国なのか知らなかった。日本は差別と貧富、不平等の国でした。土や風や緑や生き物、そして人は全く大事されていない国でした。
28 別に死にたかったわけじゃないのに、気づいたら(気付くことなく)飛び込んでいたという人もいるのだろう。電車の灯に眩惑されて。眩惑とは、まあそういうこと。人もまた蛾のようなものか、時として。
29 Mr.children“SOUNDTRACKS”
30 毎日毎日、小さな跳躍を繰り返す仕事なのである。
31 久しぶりの文芸研の詩の授業だった。しみじみよかった。一貫した社会認識を背景とした授業。授業がアート(芸術)なのである。
2021年11月に次年度の方向・内容について下記にまとめました。
さて、それで、具体的なことが決まってきましたので、お知らせします。
まず月曜日から水曜日に入る小学校は横浜の公立小学校。ぼくが暮らしているところからは少し遠いですが頑張って通います。
ついで、ばん走をご希望される方は、下記の日程をご覧いただいて早急にお知らせください。「東日本」「西日本」「全国」などと書いてあるところが入ることのできる数少ない日程です。
代わりと言ってはなんですが、夏休みの学校研修は次年度は積極的に引き受けます。1日研修でもOKです。遠慮なくご相談ください。1日研修でも学校ばん走と条件は同じです。すでにいくつか打診をいただいています。
なお、表にない、木曜日金曜日については、要相談です。調整は可能です。熱意や事情・金銭的条件によっては、入らせていただきます。
なお、下記はまだ仮決めです。おそらく3月から4月一週にかけて、折り合いがつかず、日程をリリースする学校・個人が出てくると思います。その場合すぐに情報開示しますので、そのタイミングでマッチングできる場合があると思います。