苫野一徳さんが『教育の力』で投げかけた問いに、どう応答するか。
今日は筑波大学駒場中・高等学校のRW(リーディングワークショップ)に入る二回目。筑波、学芸、東大の学生、それにここをフィールドとしている勝田先生と見て、その後、授業者の澤田さんも含めたメンバーでリフレクション。
前回見せていただいた時にも少し話題になったのだが、このRWは、「ぼくら」が見てきた教室の像と反対の方向から「個別」「協同」「プロジェクト」問題へのアンサーを示そうとしていると思えます。
つまり、かつて青山新吾さんがよく使っていた(青山さんは今は慎重に、この表現を避けているようにも思いますが)「集団の中の個」をどう支えるかという表現に引き付けていえば、「個」の集まりが「集団」なんだということを、まざまざと見せつけられる場だなあということです。
ぼくらは、教室で「授業者」として立ちながら、ある時ふと、この子たちは「集団じゃなくて個の集まりなんだ」という当たり前のことに気付かされて戦慄したりします。「個別」「協同」…ということでいえば、「協同」を教室に担保することで、子どもが「個」になれる場面も保障してあげたいというようなアプローチ…。
しかし、澤田さんの授業では、そもそも「個」であることが当たり前だということを前提にして、「個を含む時々集団」が形成されていくというイメージなのです。協同によって「個」も保障されるのではなく、「個」を十分に保障することで「時々協同」も選択できる・・・。
メモ書き、ここまで。