実践者が様々な実践をパクパク食べながら子どもたちの学びを豊かにしていくのは大切なことです。
ですが一たび研究的実践者として自分の実践を発信していく立場状況になったなら、その実践の歴史的文脈をできうる限り丁寧に掘り起こしていくことが本当に大切なのです。発信が簡単になった今だからこそ、本当に丁寧に考えたいことです。
医者は抗生物質を処方するときに、症状がなくなった後も全部飲み終えてくださいと言います。抗生物質に対する耐性を持ったウイルスや菌が、最後まで飲み終わらないと生まれてしまうことを知っているからです。でも少なからぬ人が途中でやめてしまい、結果、次々と新しい抗生物質を開発していかなければならない泥沼にはまっています。
翻って教育実践もまた、まさにその様相を呈しています。「伝言ゲーム」ならば伝言が到達した後に、もとのメッセージが示されて、最後に伝言されたものが正確であるかどうかが確かめられます。その意味でなら、教育実践はいまや伝言ゲームにさえなっていません。実践者が自分の実践の元ネタを大切にせず、実践の系譜・文脈を明らかにせず(引用文献や参考文献を示せばそれでいいという問題ではありません)、講座などでの発表どころか、公に手に取れる書籍の形で「斬新」「新機軸」などと称して発信してしまうことが横行しはじめている・・・。それは、最終的に実践をやせ細らせていくことになることに、思いを馳せることもできない・・・。
授業づくりネットワークNo.30―授業記録を読もう! 書こう!
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今、実践のバトンは伝言ゲームにさえなっていない・・・と思えます。少し悲観的な気持ちになります。