嫌なことを言いそうな週末

嫌なことを書いてしまうと思います。

10月中旬を過ぎて、厳しい状況を迎える学校教室が多くなる季節を迎えました。

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今日は朝から、しかも移動があって早くから出かけたこともあって、ぼうっとフェイスブックのタイムラインを見ていたのですが、耐えがたいくらい嫌な気持ちになってしまいました。

見なきゃいいだろうという話がよくあるのですが、ぼくはそれは実は、強者の言い分なんだよなと思っています。うまく行っていない人ほど、じわじわとぐるぐると見てしまう。そういうもんじゃないでしょうかね。

ぼくは、今、学校現場に外部から支援の形で入っている人間としては、日本有数の立場だろうと思います。今月でいっても、入る学校は(学校ではない支援現場もあります)16校。飛び込み授業が30時間程度。関西圏、北海道、四国、東北、関東、中京です。全国様々な学校に入ると、この季節、学校・学級が本当にしんどい胸突き八丁であることを実感する場面もたくさんあります。職員室も、職員同士もしんどいところはたくさんたくさんあります。明日学校に行けるかどうかわからないぎりぎりのところで働いている先生だっていっぱいいます。

ところが、この週末ぼくのタイムラインに流れてくる記事といえば・・・こんな素晴らしい授業です、こんなすばらしいカリキュラムです、こんなすてきな取り組みです、雑誌に素晴らしい原稿を書いたから見て下さい、こんなすごい先生の集まる凄技研究会で学びました、こんなあっぱれな子どもたちです・・・身震いするほどのすばらしい世界であふれかえっています。

いや、秋は刈り取りの季節です。実りの季節です。わかるんです。

でも、ぼくが見ている学校・教室の状況と、なんだかずいぶん違うのですよね。

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なんといったらいいんだろうか、もう少しだけ想像力を働かせながら、発信したりはできないもんだろうか、と思うんですよね。そもそも学校っていうところで働く人は、そこには見えていないもの、そこにはないもの、それとそれとの狭間にあるもの、そのすぐ横に横たわっているかもしれないもの、そういうものへどれだけイメージを働かせることができるかっていうところで勝負するもんなんじゃないか、と、思うのですよ。

刈り入れの秋の週末は、なんというか、残酷すぎる、今日のタイムライン、ほんとにうんざりでした。