港区立赤坂中学校へ 2019.1.15

甲斐利恵子先生の国語教室へ。

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一昨年の12月以来です。

やっと見に来ることができました。今日も心が動きっぱなしでした。

終了後2時間リフレクションができたのも嬉しかったです。

これが甲斐先生の教室に来る3回目でした。今回は澤田英輔さんにお誘いを受けての訪問。聖学院の筑田周一さんが一緒。それに定点観測している筑波大学院生の米田真琴さんも。

2時間目と6時間目を拝見する予定でしたが、2年生がインフルエンザ・・・。2時間目の中学校3年生クラスのみを拝見。

今回の授業は「おくのほそ道リレー音読発表会」。

10のペアが、あらかじめ渡された15のおくのほそ道の章段から選んだ章段を、原文朗読と訳文朗読をそれぞれが担当して交互に朗読していく。その後、それぞれがその章段へのコメント発表する。数名から朗読+コメントへのコメントをもらう。甲斐先生が少し解説を入れる。とてもシンプルな授業の流れ。ペアはくじ引き。子どもたちが選んだ章段を「持ち寄る」ことで、おくのほそ道の世界が開かれていく。昨年度(2017年12月)に見せていただいた「フクシマを持ち寄ろう」の単元にも、どこか構造的には似ています。

授業を見始めると、もうぐるぐると自分の中で内省が起こり始めます。我が身を、我が授業を、二組の子どもたちの発表に、そして、子どもたちの力とそれから発表の場の力を信じる甲斐先生の姿に、立ちつくしてしまいます。

例えば、原文と訳文の交互読みは、ぼくは教室でしていました。教師と子ども、子ども同士という形。さらにぼくが原文や訳文を飛び飛びに読み、子どもがそれに対応するそれぞれを読んでいくというような・・・。でも、これは美味しくない古文にふりかけをまぶして食べさせているような活動なのだ、と胸を突かれます。甲斐さんの教室の子どもたちは、ペアで読み楽しみ、読み味わっている、全然レベルが違い過ぎます。見ているもの、見えている先まで違うんだと思う。

日本中のどこのクラスもそうであるように、ルーツの違う子もいるし、発達の凹凸の大きい子どももいる。だが、学習記録をメインの媒体として進められていく一人一人への深い理解は圧巻ですし、それを基盤に進められていく国語教室は、本当に豊かです。中3のこの時期に、直接受験とは無縁にも見えるこうした単元活動を、子どもたちの納得の中で実現していくことの意味も価値も、ぼくはわかっているつもりです。

ああ、そうでした、過去二回も、ぼくは甲斐先生の教室で、自分にはもっともっとできることがあったのでは(あるのでは)という深く重い問いに向き合ったのだった。

見る視点が多様で見る力が高い3人の方と見るのはとても刺激的です。

平素の甲斐学級を時折解説してくれる院生の米田さん、甲斐先生のさらっと話してしまうポイントをこだわって問い直す澤田さんと筑田さん。またそれぞれのこだわりのポイントが違うから面白い。澤田さんが自分のカンファランスとの違いをクリアに言語化するのもすごいなあと思いました。

甲斐先生の言葉にはしびれました。いくつか書き残しておきます、自分のために。もちろん文責も、ぼく。

・インタビュー三昧。その子の前で書きながら。話題提供してから聴く。

・鋭いことを言うことが素晴らしいことだと思い込んでいる。鋭いことは、人の心に届かないのよね。

・言いたいことが山のようにあって、それを切り捨てられない子だった。

・受験勉強も気になるけれど、ぼくらが教室で勉強するということは、そういうことではないと思うんです。

・言い換える力。

・手を挙げるという壁

・批評の言葉をためる。

・名前を呼ぶことでコメントした甲斐があった。

・他者がいることでどれほど自分を伸ばすのかに気づいている。

・朗読とコメントを聴いた後、Aさんがコメントを発表している時の表情を見て、ああ自信をなくしたなと感じたので…。

 

澤田さんの振り返りは、こちらです。これがまた、すごい・・・。


askoma.info

それにしても、今日はなんだか興奮しました。

ボイスレコーダーで直前のコメント発表の子の音声を全体の場で聴かせた理由に「遭遇」した時、感動と、彼我のあまりのレベルの差とが、ごちゃ混ぜになって一瞬、泣きそうになリました。まだぼくには公教育の現場でやれることがたくさんありそうだ、と思いました。

 

6時間目が無くなってしまったので、まっすぐ空港へ。

雪の北海道へ。千歳空港は結構強い雨。冬の北海道は、数年前から軸がずれ始めていると思います。北上するに連れて、みぞれになり、雪になり、大雪になりました。北海道も明日から学校が始まります。