本なんて何にも読まん、原稿も一文字も書かん、敗戦の日

少し回復基調の父を、なんとか支所まで連れていき、個人ナンバーカードを受領する。このカードを取得するのは、多分、父のためではない。これからのぼくと弟のためです。そう考えると、複雑な気持ちになります。

スーパーに行ってみたいという父を、近くのスーパーに連れて行く。もうすぐ黙祷の時間だよ、と父に話すが、父は「?」となる。自分のことで精一杯になった時、人間は思想も主張も関係なくなるんだよな、と思う。

スーパーの駐車場の車内で、ラジオを聴き、総理大臣の加害責任に一切触れない式辞をちゃんと全部確認したあと、父が自分で買ってみたいという(多分10ヶ月ぶりくらいだ)魚を購入する。冷凍秋刀魚を買いたいというので、ぼくが取るというのだが、もうその時にはすでにトングで秋刀魚を掴み、秋刀魚をフロアに落とす寸前だ。それでも聞かずに、今度は隣の冷凍さばをトングで取ろうとして、(幸いにも)トングをフロアに落とす。そういうことです。

すぐ裏の山に行き、母のお参りができました。父はうれしそうでした。それだけで良いお盆です。

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本なんて何にも読まん、原稿なんて何にも書かん、敗戦の日。そもそも最新の考えとか方法とか、そういうのを読み漁ったり研究会で仕入れたり、そういうことのほとんどない二年間。ひたすらひたすら現場で立ち尽くして考える二年間。それがこの二年だったなあと思います。後半年、頑張ってみよう。

敗戦の日と書くと、何人かが、この言葉に引っかかる、そういう敗戦の日。こだわって使い続ける自分が、アナクロだと思い知らされる敗戦の日です。

見本林が見えました。台風が来ます。