誤解を受けそうですが・・ぼくは、人の狂気、あるいは狂気の人に、触れるのが好きです。梶原末廣さんというある種の狂気を孕む人が、鹿児島で積み重ねてきた時間と場所の目撃者になりたくて、ここに何度か赴いているのです。
霧島プロジェクト、今年で20回目だそうです。
今年の会場は、ここです。
桜島や海を見ながら、昨年もいろんなことを考えました。
今年もまた、久しぶりの方々に会いながら、いろんなことを考えてみようと思います。
今朝、考えたことも書き残しておきます。
ツイッターなどのやりとりを見ながら、考える、働きかた問題の問題。
要するに…。
教師自身がルールを作る当事者ではなく、ルールを守る(守らせる)だけの当事者に成り下がっていることに自覚的でない…のだと思います。
「部活動の実施ガイドラインを守らない教師がいる、守らせろ」などという書き込みも見るわけですが、結局当事者同士の十分な対話もなく、権威的な存在に決めてもらった規則の下請けしているだけに過ぎない…。いや、部活動主義者が学校の中で幅を利かせていることは、長く中学校教員だったぼくはちゃんとわかっている。が、黙して語らず、ツイッターで匿名で吠えるで何をどうしようというのだろう…。ちゃんと学校の中で自分の言葉で発言する先生方の姿も教師生活の中では何人も見てきたし。
先生の言うことをひたすら信じて守らせることが自己目的化する小学校高学年の学級委員長タイプのようだ。一番めんどくさい対話のところを人に預けて、自分の都合のいいように解決させようとするさもしさが、お上から職員室、教室まで地続きになっている…ここに気づいているのか。
そもそも既得権を持った人たちに発言することは、大変なわけだけれど、教室の中で子どもたちには、自分の意見を表明しろと、教師は強要に近く主張するわけだし。それが同じ構造になってることになぜ気がつかないのだろう…。
まあ、そういうことを考えている、朝です。
意見表明もまた学校という社会の中で教え育てていかなければならない力であると考えると、まともに意見表明できない先生が、子どもを育てていくという無間地獄なわけです。