観覧車に乗るために並ぶという問題の問題

昨日、金スマ? をたまたまみていると、和田あき子さんの特集でした。言われなき攻撃や差別をたくさん経験してきた和田さんの話は波乱万丈です。でもね、70年代のはじめに先輩歌手にいじめられてトイレで泣く場面。座っている便器が暖房付きウォシュレットだったりした瞬間に興ざめするわけです。戸川純がウォシュレットに座ったのは1982年だもの…。ファンタジーでもノンフィクションでも時代劇でも、こうした細部のリアリティへのまなざしの不足によって、一挙に興ざめする。

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この夏の研修はなかなかハードでしたが、その極め付けは、いろんな事情から、算数主体の学校研修の場でワークをすることになったことでした。もちろんいろんな文脈の中でお引き受けすることになったわけです。人間社会のやりとりは複雑ですね…。グループ学習や対話を深める話し合い活動などのサブテーマもありますから、いつものように国語や道徳のみでやってもいいわけですが、学校研修に正対したいという思いが強くて、ぼくなりに丁寧に準備をしました。

さて、小学6年生算数の学力テスト問題。大設問の4は、遊園地の問題でした。生活に重ねて思考を働かせるために、まさおくんだの、かなこちゃんだの、いろんな実年齢の子どもが出てくる。そして、生活経験を引き出しやすい場面が出てくる…。でも、「遊園地に並んで入場するスピードは一定とするとか」…。バカを言っちゃいけない。遊園地の入場の時ほどイライラする状況が他にあるというのか…。そのストレス軽減のために、各遊園地が知恵を絞っているのを知らないのか。子どもをバカにするな、と思うわけです。適当に都合のいい実生活条件を示して、それで十分だと思う、出題者側の想像力…。

さらに、観覧車。

ぼくの娘は北海道の北部の小さな町に住んでいます。ひどく貧困なわけではありませんから、小学校2年生までに、全国各地の遊園地施設の経験もそれなりにあります。この夏だって、チームラボやサンリオピューロランドアミューズメントスポットに並びました。でも、娘の友達の中には、夏休みもどこにも行かずに地元で毎日を過ごした子供達もいます。両親は忙しく、経済的にも決して裕福ではなく、特に一番近い遊園地まで100キロも200キロもある道北で、観覧車に乗ったことのない、並んだことのない、子どももちゃんといるわけですよ。当日は、先生方に、実際に観覧車に乗るために並んでみるというワークを経験していただきました。圧倒的にわかりやすい。なってみれば、わかりやすいのです・・・でも、そんな社会的な経験さえ持てずに暮らす子どもたちに、この問題、やはり厳しいでしょ、と思います。

いや、ぼくが問題にしたいのは、問題が公平性を欠いているのではないか、というような話で「も」ないのです。多分子どもの生活経験に重ねるということそのものについての想像力の低さ、想定している生活化の質は結局その程度なんだよな、ということです。

AIがなんちゃらとかの大学教授の想像力の低さの問題以前に、そもそも、子どもたちが直面している現実など、なーんも見えていないところで作問されているんだなあ、というそういうこと。確実に想定されていない子、スポイルされている子がいるんだなあということ。そういうことを感じざるを得ない経験でした。