10 月中旬をトボトボ歩く

10 月二週の週末は予定が白紙になりました。

早くに中止を決断した授業づくりネットワーク新潟集会は、結果正解でした。そして、翌日の多賀先生との神戸の会も、在来線が全部止まってしまい、東京に留め置きでたどり着けませんでした。ポッカリ開いた二日間を上手に使えたわけでもありませんでした。だんだん明らかになっていく台風19号の被害をぼうっとテレビで見ていました。

14日は京都女子大学での二つの講義。村井尚子さんのお誘いです。徹底した活動メインの授業体験90分の講義、そしてアジテーションに近い祈りと願いを込めたプレゼンテーション主体の90分講義。二本は完全に違う中身にしました。

翌日は白浜町立白浜中学校。一年ぶりの来訪。昨年先生方と共有した授業の実感を、白浜の先生方は思い思いに膨らませてくれていました。感動的でした。子どもたち(集団)のやわらかな変化をしっかり受け取ることができました。授業がまた素晴らしかった。。

16日は羽曳野市立駒ヶ谷小学校。梅谷さんの教室、とても穏やかで暖かい教室に育っていました。読み聞かせを一時間、ミニビブリオバトルを一時間がぼくの仕事。子どもたちと語らいながら日々が編まれているんだなと思いました。夜は、やや体調不良だけれど無理を押して、ザ・シンフォニーホールで、関西フィル神尾真由子。神尾は昨年のミューザ川崎サン=サーンスがなんとも響いてこない演奏で残念でしたが、今回のウォルトンはよかったです。この曲、もっともっと弾いて欲しい。メインはハチャトゥリアンの二番交響曲「鐘」。藤岡とオケの熱はビンビン伝わってきて、熱っぽい体調でも最後まで楽しめました。でも、なんだろう、この巨大な音像の伽藍のような曲は。何度も聞きたいとは全く思えない曲でした。この曲で、関西フィルの技量を捉える技量はぼくにはありませんでした。体調も悪かった。舞子まで電車で移動し、バスで徳島へ。かなり悪寒がきている感じでした。

17日は徳島市立新町小学校。八波田さんの教室も子どもたちが伸びやかで、幸せを感じる時間でした。読み聞かせ一時間がぼくの仕事。でも少しゲームもしました。今回は来月の総合の授業の打ち合わせもずっしり。八波田さんに呼んでいただいてたくさんの話ができる幸せを、なんと表現したらいいのか。その後、夕方遅い便で大阪へ戻りました。大阪でちょんせいこさんと編集者と3人で打ち合わせ。いつ終わるともつかないこの書籍へのレッスンも、そろそろ決着をつけないといけないのです。

18日は大阪市立豊里南小学校。吉永さんと久しぶりにゆっくり話せました。吉永さんの道徳、あたたかい日差しが差し込んでくるような時間でした。吉永さんの授業、ずいぶん変化したんだ、と思いました。吉永さんの教室での「紙ふうせん」「水のこころ」の詩の授業、他クラスでの「同じなかまだから」という道徳教材での授業が、ぼくのミッション。研究授業は実力派の先生の海のいのち。演劇的手法。授業を見るというのは、身体を見る、身体を見せられている、そういうことなんだなと、最近本当に強く思うのです。夜はco-arcでリフレクションを考える会。苦しい季節の入口に10 数人も。ありがたいこと。彼ら一人ひとりに伴走し続けるのも、また自分の働き方の一つだな、と揺れます。最終便で新横浜まで戻りました。

今日は移動日という名のフリー。注文していた絵本も受け取ることができました。ぼくにとって、自分のことを苦しくなく、でも切実に考える時間がたくさんあって、良い日です。

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いろんなことを認めながら、暮らしていく、しかないという時、その一番は、結局老い・衰えを少しずつ受け入れていくということなのだと思います。