【雑記】学習者中心の授業、活動中心の授業を、どう記録するか

かなり手前味噌のことをちゃんと書き残そうと思います。

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ぼくは今、いろんな事情で、NPO授業づくりネットワークの理事長をしています。この団体の仕事の価値はどの辺りにあるのかというと・・・。

授業づくりネットワークの教育実践研究史上の最大の仕事は、学習者中心の授業、活動中心の授業を、どう記録するかということを考え抜いてきた団体だということだと思います。先代の代表だった上條晴夫さん、現在も事務局長を務める佐内信之さんらが、本誌上で何度も何度もトライしてきた特集記事は、今主体的・対話的で深い学びの生まれる授業記録をどう書いていくかを考えるための、僕らの国の宝物だとさえ思っています。近刊で言えば、こちらですね。

授業づくりネットワークNo.30―授業記録を読もう! 書こう! (授業づくりネットワーク No. 30)

授業づくりネットワークNo.30―授業記録を読もう! 書こう! (授業づくりネットワーク No. 30)

 

思えば、1980年代中盤に登場した教育技術の法則化運動は毀誉褒貶著しい活動でした。けれど、代表の向山洋一さんが一斉型の授業記録の再現性を極限まで追究する授業記録文体を開発して運動を進めたことが、巨大な功績です。そしてあの運動を日本中に広げることになった肝だったわけです。

ぼくらは1990年代中盤から繰り返し「学習者中心の授業」を記録する方法に挑戦してきました。総合的な学習の時間も、インクルーシブな授業も、アクティブ・ラーニング授業も、そうした文体改革なくして、授業を広げていくことは難しいという判断があったからです。また、それは、間違いなく正しいと思います。

今、やっぱりこの問題と本気で向き合うムーブメントを起こさないと、授業改善の機運は、急速に萎んでしまうだろうと思っています。かなり絶望的だけれど、少なくとも出来ることは、それをまっすぐやり続けることしかなかろうと思うわけです。