境界線が不明確だからこそ、立つ場所をクリアにする必要があるんだな・・・

授業づくりネットワークの次号は、「学級崩壊」と向き合う号である。編集部から少しずつ依頼を進めている。前回の校内研修号もそうだったが、出来るだけ「リアル」に近いものを書くというアプローチは、依頼を受けた側にとって極めてハードルが高い。いろんな条件をかいくぐらないと掲載にたどり着けない。たくさんの方からお断りをいただくことを覚悟しながら丁寧に依頼をするが、依頼を受けた方はことごとく悩むわけであり、本当に申し訳ない。依頼する私たちがこれほど心苦しいのだから、依頼を受ける方の逡巡は想像するに余りある。

 

60年代、70年代の教育実践書の圧倒的な濃密さに惹かれる人は多い。それは本当に魅力的だ。だが、あの質の教育実践論文を積み重ねていくことは、現代では至難の技だと言える。圧倒的な実践家(目指してはいけないレベルのスーパー実践家)というのは、「おおむね」圧倒的な保護者・子どもの信頼(つまり、全ての保護者・子どもと信頼関係を築けるわけはないから、不満が出ないほどの圧倒的な最大公約数という感じかな)の上に実践論文を書き残してきたのだと、改めて思う。もう絶望的に時代が変わってしまったのだな。しかも、そのようなことで書けてもなお、今度は多くの識者が指摘してきた通り、教育実践論文の自分語り性の問題を飛び出すのは難しい。それでも記録するということに、どれほどの意味があるのだろう(いや、もちろんぼくはあると思っているんだ)。

 

塩崎義明さんが、FB上で、今の学校の教員が、条件設定そのものは疑わずに、できる限りの授業保障(ここは、塩崎さんと少し認識を違えているかも知れないが、ぼくはこの状況は授業保障という名の学校的活動の延命だろうと思っている)をする様を、「ステイホーム学習」と名付けている(笑)。塩崎さんのこうした揶揄とペーソスと暖かな眼差しとのちょうど真ん中くらいの名付けは、すごい。これは川柳なんだな、と思う。塩崎さんは市井の感覚を失わない人ってことなのだな。

 

オンライン学習の話を少しだけ書くと。在宅になっている娘は、お父さんと一緒に一日の生活表を手書きする。自転車に乗るとか、勉強するとか、本を読むとか書いてあるが、実際にはその通りには全く生活しない。しかし、書かれていることについては、一日の中のどこかでやりたがる。これは「流動的な一人学び」である。翻って、学校がリモートコントロールで在宅の子どもの学習を日課的に縛ることにはどんな意味があるのだろう(それでいいのか)と熟考してしまう。娘は昨日エゾサンショウウオを取ってきて、今度はサンショウウオと娘(とぼく)の日課表を作り、先の日課表の横に貼った。二枚の日課表を組み合わせながら生活する(どうやってするんだよ)という。そう言っている矢先に、今度は家猫(名前:らんちゅう)が糞尿を撒き散らす事件が起こる。娘は、したたかに叱られた猫をしばらくかわいそうだと言い続けた後、テーブルに向かって二時間ほどA4判6枚の作文を書き上げた。読ませてもらうと、らんちゅうを語り手にしたこの日の顛末を書き綴った物語であった。吾輩は猫である、だ。日課表には作文とはどこにも書いていないが、学び(遊び、かも)は不意に降り注いでくる。時間割は、時として降り注いでくる学びを遮断するのだろうと実感する。

 

1on1のオンライン対話をしているぼくの活動を見て、ぼくがオンラインに長けた人と認識している人が少なからずいることがわかった。ぼくの活動は、まだ感覚的にしか説明できないが、zoom的なものに絡めとられない近接領域をウロウロするという選択だ。zoomの場にある相互のルール設定とぼくの1on1対話に内在するルール(認知されている非認知であるに関係なく内在しているルール)とは、はっきり違っている。それは、つまり「場が違う」ということだと思う。zoomのすごい使い方は、誰か別な人に訊いてください。

 

かつての同僚が、小規模校での大枚の学級通信を送ってくれた。手書き通信でとても好きな通信である。若い頃手書きにこだわったぼくを、たしなめる研究仲間はたくさんいた。当時は、手書き(初期はガリ切り)かワープロ(パソコン)打ちかの二選択だった。しかし、今や手書きのもの自体を普通にデータ化できる状況の中で、境界線は限りなく曖昧である。曖昧であるが故に、一層どれを取るかによって明確なメッセージ性を帯びていくということがあるのだなと思う。彼女の手書き通信、教室の匂いと彼女の語りとが立ち上ってくるようである。その匂いをかげない人、その語りを感じ取れない人、がいても仕方ないが、ぼくは歳を取ったけれどまだ感じ取れる。彼女の教室の子どもだったらしあわせだな、と思う。

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例の「ゆとり教育」へ舵を切る際の国民への強いメッセージは、「土曜日休校」だった。始めは週一日、やがて週二日と、ステップを踏んで土曜日休校に向かっていく過程は、学校がいろんなことを手放すという明確なメッセージにはなっていた。もっとも、この出来るだけハレーションを起こさないように少しずつというのは、実に日本的だった。そのアプローチがインパクトを弱めてしまったフシもあったように思う。
さて、まあ、九月入学は、最初は五月、次いで七月、なんて風にはいかないわけよ 笑