4月をボソボソと対話する〜1on1オンライン対話で話していること(5/1朝追記)

 3月ー4月、ひたすら話をして来ました。

 それは、ぼくの現在の生業の一つなのです。この休業期間中は腹を決めて、50名弱の先生と、ひたすら話し続けています。

 本日は、昨年から理科教室にも伴走している深谷さんとの対話。刺激的でした。これで、3−4月のオンライン対話が一区切り。

 このタイミングで、どんな話をしてきたかとか、何を感じているかを緩やかに項目を立てて羅列的にまとめておこうと思います。

 合わせたら全ての網羅的な説明になるということではなく、とりあえず思いつくことを書く、という感じですが、多少は役に立てるかもしれません。

 

 え、1on1オンライン対話の中で話したことを公にすると、対話者が損しませんか? という方もいると思いますが、それははっきり違います。1on1対話をしているみなさんには、ここで文字情報「だけ」でみるものと、実際に二人で話し続ける「場」の中で起こっていることとは、全く違うことを了解いただけると思います。まさにそこに賭けて話し続けているということでもあるのです。また、1on1オンライン対話を鏡にすることで、zoomなどの多人数のオンラインが作りにくいものは、「場」なのだということが、ぼくにもよくわかって来ました。

 

 ぼくはあの震災と原発事故でも変われなかったこの国、教育に、結構傷ついています。今回の大きな流れに期待したい気持ちはあるけれど、多くの希望を賭ける勇気は正直ありません。まあ、それでもきっと少し前進するはずだという淡い期待は失わず立ち続けようと思います。

 

【教師の疲弊】

1 小学校の教員は中高に比べても疲弊の度合いが激しい。

2 この理由は、もちろん学齢が低いということもあるが、学校の判断が県立メインである高校や支援学校はもちろん、中学校に比べても概して遅いということがありそう。

3 もう一つは、昨年来お話ししてきた通り、小学校の先生が子どもとの距離が近すぎる(共依存という言葉を使いたくなるくらいの状況もある)ということがありそう。

4 とりあえず今小学校の教員は、特に大規模校の場合は、学年の先生と話はできているが、進め方ややり方の話ばかりが先行している。

5 まず教職員同士がこの2ヶ月強をどんな思いで過ごしているのか、今どんな心情なのか、感情の持ち寄りをしなくてはいけない状況だと思う。

6 朝令暮改の状況の中で、自分のパフォーマンスを下げないために、プリントづくりなどの先っぽの仕事は、自分内60点以下でやる。プリント処理で時間を取らないことも最初から想定しておく。

7 教職についてまともに学ぶ機会・時間がなかったことを思えば、この期間は、とてもありがたいはずで「も」ある。

8 日々を記録する。記録するときは出来事+感情を書く。あとで振り返ることができるような仕組みを作っておく。

9 小さな仲間を学内に作っていくこと。理不尽な要求や非合理な対応について、仲間と一緒に声を上げること。

 

【学校再開への準備】

1 小学校の大規模校の場合は、同僚と、300時間程度も総時間数が削減になることを想定して、教科、領域、単元の刈り込みについて丁寧に話す必要がある。

2 この問題は、文部科学省の話とは別に、具体的な現場運用の問題としてシミュレーションしておかないと大変になる。

3 そうすると、いわゆる芸術・体育・実学系列の教科の削減も現実的に想定されるだろう・・・。

4 それだけでなく国語算数・・・などの教科についても単元の刈り込みと組み替えは避けられない。例えば、話す聞くの授業は当面できないはず。

5 断続的な休校が続くことも想定すれば、既存のカリキュラムに固執しない。

6 9月入学の問題は、学校で何をどう運用するかの議論とは分けて考えるしかない。

7 この話を学年団で丁寧にしておくために、学年の先生方が感情を持ち寄れる関係を、作っていかねばならない。

8 校内研修は、いかにあきらめるか、手放すか。今必要な研修が、一斉指導研修なら、オンライン活用研修なら、状況に応じてどんどん変える。

9 例えば、今年進める校内研修が、本当に協同学習でいいのか、プログラミング研修でいいのか、自分たちの子どもたちを見つめるところから、よくよく考える。

10  こうしたことは、文部科学省の遅い判断に関係なく、学校で「運用」の問題としてしっかり考えておく。

 

【オンライン・プリントなど・・・家庭】

1 オンラインは、オンデマンドにせよライブにせよ、現状では、「補完」にしかならない。

2 ただし「補完」だからこそ、繋がるところから早々に始めなければならない。グランドで鬼ごっこを全員でスタートするのは授業だけ。学校的なものではない学びは、三三五五、心と体の準備ができたものから「いーれーて!」と言って増えていく。wifi普及とかデバイス普及とかの状況に関係なく進める。

3 YouTubeなどでの動画配信にせよ、zoomでのLive授業にせよ、まず、それらのツールを教職員同士が使う(楽しむ)経験が必須のはず。教職員同士の感情の持ち寄りなどに、zoomなどをまず積極的に使うことの方が、子どもに爪先だって始めることの前に重要のはず。

4 学習のオンライン化が進めば、必然的に学ぶかどうかは、学習者側に判断が委ねられる状況になる。

5 つまりオンライン環境のあるなしの前に、そもそも環境があるからと言っても子どもが参加するとは限らない。全員参加の前提はオンラインの場では無化されている。

6 オンラインの場で重要な鍵を握っているのは保護者。多くの場合、保護者が子どものそばについている。その一点だけでも、それはもう「オンライン授業」ではなく「オンライン学習」とでも仮に呼ぶべきものだ。

7 従来型の授業再現オンラインでは、保護者はすぐに我が子の学習に口を挟んでくる現象が起こる。

8 従来型授業の延長なら保護者を制御することになる。リソースとしての保護者を十分に生かしたい。保護者と共同で学びを止めない工夫をしていく。

9 プリント学習でもオンライン学習でも、保護者との共同性は欠かせないポイントになる。

10  優れたパフォーマンス課題を提示し、子どもたちが家庭で探究し続けられるように支えたい。

11 学習内容(コンテンツ)そのものをオンラインで補完しようとするのではなく、家庭で学び続けられる、家庭の学びを支えていく仕組みを考える。そうすると、この点はプリント学習でもオンライン学習でも本質的に違いはなさそうだ。

11 多くの学級が年度始めのスタートさえ切れていないことを考えると、子どもたちとの関係性づくりに注力しがちだ。が、探究学習に関していえば、例えば「見たこと作文」のように、子どもたちが学校の外(含 家庭)で小さなところから転がし始められる仕組みが必要だ。

12 ポイントは、出てきたものに対しての、教師のキュレーションとフィードバック、肯定的な評価だろう。

13 子どもも保護者も学校的な授業時間割を家庭に持ち込まれることを望んでいないふしがある。例えば、オンラインで行う「朝の会・帰りの会」の問題。規則正しく、生活のリズムを創ることの大切さは認めるが、それは学校の生活モデルを、家庭に嵌め込むということでいいのだろうか?

14 オンラインもプリント学習にしても、現場ではほぼ、学習者からその学習がヒットしているのかどうかをフィードバックしてもらうシステムが想定されていない。

15 特にオンラインについては、オンラインの延長で授業そのものについてフィードバックをしてもらっても、子どもは画面の前の人にダメ出しなんてできず、当然忖度して「よかったです」「うれしかったです」などと発言する。

16 「授業感想文」のような、授業の場やパーソナリティそのものと切り離した冷静なフィードバックを得られる仕組みづくりが必要になる。

17 オンライン発信でこぼれてしまう子を丁寧に確認し、複数の教員で情報共有する。そうした子への対応をどうするのか、地方公共団体へ積極的に発信する。

18 この間の家庭引きこもりで、困難な状況になっていることが予想される子どもたちへ、電話対応などでアクセスすると当時に、学校全体の話し合いで共有する。

19 厳しい条件にある子どもがいる教室の担任を孤立させない。

20  オンラインが進んでいるところとそうでないところは、マダラ模様。実はプリント配布にも様々な知恵があり、ここの工夫も、内容も含めて、マダラ模様。

21 手紙・葉書など古典的な手法を見直したい。

 

【休校明けに向けて】

1 一人ひとりの子どもと対話(面談)するところからスタートしたい。

2 休校あけの学校でも子どもたちがまず互いの感情を丁寧に持ち寄れる場づくりから始めたい。いきなり新出漢字をねじ込んだりしない・・・。またプリント回収と答え合わせから子どもの日常をスタートしない。

3 休校明け以降は、学校がクラスターの中心になるだろう。休校・開校は学校や今よりももっと小さな地域単位でマダラ模様に広がる。

4 カリキュラムのミニチュア化では乗り切れない。文部科学省が抜本的な解決に踏み切れるかを注視したい。文部科学省の最新情報を手に入れる環境を担保しておく。

5 三密授業は、現実的には学校ではやり切れないので、運用において、なし崩しになる学校もあるだろう。その結果クラスター化も避けられない。

6 三密対応も、教師によって違いが出てくる。感情の持ち寄りからスタートし、教職員同士で考え方や現状の受け止め方を確認し合っていけないと、学校内部に大きな分断と対立が生まれるだろう。

7 zoomなどでの教職員同士の交流も、丁寧に情報開示する仕掛けなく進めると、分断を生む可能性がある。

8 先端的な対策を進めているように見える学校も、校長のトップダウンがかっこよく見えているだけの場合もある。また内実を伴うところはほぼ例外なくまず教職員同士の関係の中で始めてから、子どもへというプロセスを丁寧に辿っている。

9 登校が再開したら、子どもたちを丁寧に褒めたい。家庭学習の踏ん張りも認めたい。今は血の通わないラベル確認的な評価を教師が一所懸命やるフェイズじゃない。

 

【追記】9月入学の問題については、以前から関心を持っている。これまで国の中でしっかり議論されてこなかったことが話題に上ることについては、肯定的だ。もっとも、この9月にスタートするのは、めちゃくちゃだ。知事会から出てきた辺り、教師を一時帰休させて賃金カットしたいのかと勘繰ったりもしている。ただ、右翼的に、桜の咲く時期がとか、外国人留学生のために合わせるのか、とかいった馬鹿げた議論にも、左翼的に、グローバリズムに飲み込まれるのか、みたいな議論にも、組みしたくない。

日本はもう貧しい国なのだ。一人当たりのGDP比で生活水準を直視すれば、もう先進国でさえない。留学は、きてもらうんじゃなくて、こっちからいって学ばなきゃならない状況なのだ。また、この経済水準で、偉そうにグローバリズムを選択する立場にないのだ。明治維新や敗戦直後のような圧倒的な後進性をみんなが認識しなくてはなるまい。

【再追記】(5/1朝)

学年ごとの「栽培学習」などをどう捉えるのかを話し合う。こういうところでちゃんと立ち止まって対話することで、学校がこれまで背負ってきた問題がとてもクリアに見えてくる、と思う。1年から6年までの対応をみんなで議論できれば、実に充実した校内研修になる。

オンラインで行う「朝の会・帰りの会」の問題。規則正しく、生活のリズムを創ることの大切さは認めるが、それは学校の生活モデルを、家庭に嵌め込むということなのか?

オンデマンド配信もそう。学習者からのフィードバックなく突進する問題。教師の技と撮影編集の技と配信の技とは本来それぞれのプロ領域の問題であることに気づいているのかという問題。万人に向けるのか特定少数に向けるのかの問題、それに付随して撮影中のハプニングに入り込む人間味の問題、つまり「場」の問題。

風越学園(甲斐崎さん)の100マストライがいい。協同で作る。地域を考える。保護者を考える。このトライの構造・仕掛けから生まれる力をどう捉えるか。教材づくりの発想はコンテンツを埋める過程から一歩飛び出して、その教材自体に目を向けたいな。

事実上、上から命令されてやらされていることを、どう楽しくリフレーミングできるかも大切か。

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