オンラインの授業(学習)ここまでの雑感 〜1on1対話を重ねながら、ぼく自身が学んでいること・・・〜

オンラインの授業(学習) ここまでの雑感
1on1対話を重ねながら、ぼく自身が学んでいること・・・。

「オンラインの授業(学習)」は、動画を撮影してyoutubeなどで発信するオンデマンド型と各種ツールを使って、授業に近いLiveの形で進めるLive型があるということなのだな(あるいはそのハイブリッド)。
 
特に前者に対する批判が大きい。批判の理由はわかる。
そもそもオンデマンド配信の学習支援にはすでに老舗があり、学校個人や県教委の指導主事が作るよりずうっとクオリティの高いものがたくさんある。
そこでわざわざ教員が作ることにどんな意味があるのだ、というのは、もっともなことだと思う。
 
しかし、少数だが、そこへの反論や反論の萌芽を示し続ける実践者がいて、学びが深い。
Koki Watanabeさんや豊田 哲雄 (豊田哲雄)さん、佐々木 潤 (Jun Sasaki)さんとか、素晴らしいなあと思う。
 
豊田さんは、作った動画にウグイスの声や犬の声が入り込んでしまったことを、むしろ、これいいよね、と言う、ぼくの言葉で言い直せば、それが自分らしいよね、ということなのだ。渡辺さんは、動画配信を、担任から子どもたちへのビデオレターみたいなものだと言う。佐々木さんは、クラスのあの子、この子のために作っているんだと言う。
 
築地久子さんがクラスのたった一人のために授業を作ったというのは、有名な話だ。ぼくも学級通信は、クラスの誰か、ごく少数に向けて、1号1号を書き続けてきた。大人トークも、クラスの誰かやあの仲間、のための実践の積み上げだった。逆説的になるが、そうすることで全員に届く可能性があるのだと、キャリアの途中で気がついた。
 
そもそもオンデマンド配信は、教え方の優秀さ、撮影の巧みさ、発信の狡猾さの3領域のプロの手並が必要になる。教員はせいぜい最初の教え方の優秀さを持ち合わせているに過ぎない。既存のメディアのコンテンツ内容に、かなうわけがない。しかし、豊田さんや渡辺さんや佐々木さんの発想をはっきりと握り締めて届けようとする時に、担任が届ける意味が圧倒的に発生するのではと思う。一所懸命やっている方に申し訳ない感じになってしまうが、県教委などが指導主事を使ってオンデマンド配信しているのが、安倍晋三さんの記者会見を見ているような白けた感じになるのは、まさにそういう、本当は誰一人にも向けられていないものだからだと思う(補足すると、万人に向けて何かを発信して届けられるというのは、虚構である)。
 
zoom等のLiveの方は、何が教室での授業と違うのかをずうっと考え続けている。と言うか、ぼくが「ここはどうしようもないなあ」と感じているところはどこなのかということだ。
 
そうすると、顔以外の所作を教師がほぼ認知できないということだなと感じる。教師は教室で様々な所作や子どもの学習状況が表れるもの、を見ながら、支援の手立てを考えている。zoomではそれはほぼできない。ポイントは、すぐに確認できる、また教師が濃淡をつけて見る、なのだが、それはできない。情報はいつも等価なものとしてこちら側に届けられる。
 
そして、実は子どもの方も、先生が自分を見てくれていない、気がついてくれていない、と感じている場合もある、ということもわかってきたな。


教室の協同学習はざわざわの中で行われる。隣のグループがゴソゴソやっていること、あるいはサボっていること、そういうことが、直接間接に自分の学びに反映される。そういうことを全部含めたものが協同学習の良さなのだと思っている。
zoomのブレイクアウトルームにはそれはない。ちょっときつめの書き方になるが、閉じた監獄のような場所に数名で放り込まれ、解決を迫られる。それが集中を生む人もいるのだと思うが、ぼくにはダメだなと思う。おそらく結構な子どもたちがこれはダメだなと思っているんだと思う。
そういうことをちゃんと子どもからフィードバックしてもらうシステムがあれば、Live系の学習支援のブラッシュアップももっともっと進むのだろうと思う。オンラインによる協同なら保護者もぜひ一員として参加できるようにしたいな。
 
ぼくはLive配信には大きな可能性があると思っている。だが、それが既存のコンテンツとどこが違うのかを丁寧に考え続けずに、最新の手法に飛びつく、これが未来の学校の必須アイテムだ、みたいな形で飛びつく限り、うまく行かないんだろうなと感じている。
 
とりあえず上げておこう。

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