森山大道、神田日勝 アートを充填する

6/6土曜日。

東京都写真美術館で、森山大道

 アートから遠ざかっていた自分を実感。最初は、ぼうっと見えて、途中からようやく、いろんなものにわーっと取り囲まれている自分に出会う感じ。

森山の持つ小さなカメラが映し出す世界は、ぼくが知り始めた東京だ、と思える。「考えるまえに写し撮れ、直感したものはためらわず写すべし」。その後歩く東京の街の一つ一つが、森山のアングルのように見える。田舎に暮らしたボクも、世界中の人々も、東京を森山のアングルで知ってきたのだろう。

 

6/7日曜日。

東京ステーションギャラリー神田日勝

二日目は数十年ぶりだという神田日勝の東京での個展。朝ドラ”あおぞら”ブームの流れもあっての展覧会なのだろう。ぼくは日勝の作品を何度も何度も見ている。最後に担任した子どもたちと一緒に鹿追の神田日勝記念館も見に行ったのだ(彼らは、あおぞらを見ながら、あの日のことを思い出しただろうか? 『しなやか』本にその日のことは書いたのだ)。

学校でしなやかに生きるということ

学校でしなやかに生きるということ

  • 作者:石川晋
  • 発売日: 2016/08/10
  • メディア: 単行本
 

さて、その日勝の作品群を東京のど真ん中で見るということはどうなのだろうと思ったのだが・・・。

なんだろう・・・電車を乗り継いで会いにいくというような場所に居る絵ではない・・・という居心地の悪さ。それを前提に、一枚一枚の絵が、ここにいることの居心地の悪さを主張しているかのようにも感じられる。不思議な感覚。東京と北海道二つの世界を生きている自分の難しさに向き合わされるようで、揺さぶられる。東京駅の宙に舞う半身の馬の居心地の悪さを感じる自分を、どう捉えればいいのだろう。

日勝記念館は小さい、常設展示できる作品は、収蔵の一部。ステーションギャラリーで初めて見る作品もたくさん。充実の展覧会だ。

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