掲載予定だった幻の原稿を公開します・・・授業づくりネットワークNo.36(通巻344号)―学級崩壊を問う!

授業づくりネットワークNo.36(通巻344号)「学級崩壊を問う!」

出来ました。毎号渾身の内容に仕上がっていると自負しています。今号はライター陣を見れば、ご存知の方々には驚きの方々の執筆とおもいます。またそれだけみなさんの危機感が本物だということでもありましょう。

学級崩壊に直面したサバイバーの方にナラティブな原稿を書いていただいたものもあり、そちらが「どう記録するか」にこだわってきたぼくらの真骨頂でもあります。

学級崩壊は、当事者がその学級を建て直すのは無理でしょう。ですが、いずれにしてもその後、自身がサバイブできる場合は、崩壊の瞬間・プロセスを克明に記憶・記録できている人だけだという仮説を持っています。そうでない人は、たまたまうまくいくことがあっても、別な機会にまた崩壊する。ぼくは、そう考えています。

このサバイバー部分の原稿は、プロジェクトを組み、何度も書き直しをお願いし、本当に申し訳ないなあと思いながら、妥協せずに作りました。ぼく自身がサバイバーです。そこで、今回は、ぼく自身の経験を元にモデル原稿を書いて、みなさんにお示しして執筆いただきました。紙幅の都合で、ぼくのモデル原稿は本誌に掲載することなく終わりました。

こちらに紹介します。どうぞみなさん、最新号をお読みください。重厚です。読みにくいでしょうけれど、キラキラした話題の方ではない、学校・授業の今を考えるための先頭を走る一冊になりました。

 

学級崩壊の瞬間を記録する   石川晋


一 新卒2年目での崩壊体験
 私は、新卒2年目に初めて学級を担任した。生徒数十六名、中学校一年生である。海辺の小さな中学校だったが、学校は赴任時から大変な荒れの中にあり、私はもとよりベテランの先生方の授業の成立も覚束ない状況であった。
 2年目で担任をすることになったこの学級は一学期の6月で手に負えない崩壊の状況になった。もう自分ではどうにもできないなと感じたのは、六月最後の日の学級日誌「一日の感想」の欄に、Mさんが「お前なんて、先生とは思わないからな」と、凶暴な文字で一言だけ書いたのを見た瞬間ということになる。
 学級が崩れてしまうまでの三ヶ月間には、生徒の言動の中に、たくさんの「きざし」があった。しかし、学級がどの時点で崩壊したかということを当時の記録を振り返りつつ考えると、この瞬間であると、はっきりと断定できると考えている。

二 家の前の落書き
 当時私が住んでいた家は、学校のすぐ前にあった。そして玄関の前は、広くアスファルトで固められていた。駐車スペースである。車を三台ほど横に並べられるほど広い。
ゴールデンウィーク明けの夕方である。帰宅すると、この駐車スペースの路面に、石を使って、大きな落書きが書かれていた。たわいもない内容である。キャラクターの絵が描いてあり、吹き出しで「こんにちは」とか「バイバイ」とか、書いてある。
 それは私への親愛の表現でもあるのだろう。が、既に学級の中がガタガタし始めている中で、当時の私にはその小さなメッセージを微笑ましく楽しむ余裕が全く残っていなかった。こんなことは社会的に全く認められないことだ、と腹を立てた。

三 学級崩壊の瞬間
 翌朝、学校に着いてすぐ、早めに登校していた男子生徒Dくんに尋ねた。学級の女子生徒OさんとSさんの二名だとDくんは言う。学級の中では比較的おとなしい二人だった。
 朝の会で「あれは誰が描いたのか」と尋ねた。教室の空気が一瞬にして冷える。「立ちなさい」と言ったが、誰も立たない。そこで、こちらからOさんとSさんの2名を名指しし、全体の場で説諭しようとした。ところが二人とも自分たちが書いたことを認めない。「やっていません」「なぜ疑うんですか」と言う。私は、「君たち二人だと言うことはわかっている」と言うと、周りの女子生徒が騒ぎ始めた。発言力の大きな女子生徒Aさんが真正面から反論した。「書いたかどうかわからないのに、疑うなんてひどい」と、彼女は言った。朝、私に2名の生徒の名前を教えてくれた男子生徒Dくんは黙っている。その生徒に、「OさんとSさんだよな」、と尋ねると「俺、知らねえ」と彼は言った。完全に行き詰まった。
 結局OさんもSさんも書いた事実を認めず、学級の騒然とした状態を収めることもできなかった。
女子生徒を中心とした猛烈な抗議を浴びながら、「人の家の前に落書きをするのはいけないことだ」というどうしようもない一般論を語って朝の会を終え、教室から職員室へ戻った(逃げ帰った)。
 おそらく二人にはそれほどの悪気があったわけでもない。他愛もない出来事である。二人を呼んでそれとなく説諭することもできただろう。そもそも「素敵な絵をありがとう。今度は画家のサインも書いてね」とか言ってニッコリ笑って、その日の予定を伝えるくらいの程度で良かったはずなのだ。
 この朝を境に、早速この日の授業から、子どもたちの反発がひどくなる。女子生徒全員での授業中の無視など、目に見えて教室の中が落ち着きをなくし、授業が崩れていく。私は実はこの教室を、このまま中学校3年生まで三年間持ち上がっていくことになる。年度代わりに担任を降りることもできたはずだが、崩壊の過程で、ある種の共依存のような関係も生まれていき、冷静さを失っていたのだろう。この学級を手放すことができず、子どもたちにも自分自身も大きな傷を負うことになった。
 中学校三年生の卒業式前の教室で、私は子どもたちに、ひどい三年間になってしまったことを詫びた。そして、「こんな教室大嫌いだっただろう、教室にある掲示物はみんな剥ぎ取ってしまっていい」と言った。男子数名が猛然と掲示物を剥ぎ取っていくのを茫然と見ていたことも、はっきりと覚えている。

 

『説明責任時代の生徒指導力 (学級経営力を高める)』(明治図書、堀裕嗣、桑原賢、石川晋、2005,3)に当時の詳細を記録しており、それを元に再構成した。

授業づくりネットワークNo.36―学級崩壊を問う!

授業づくりネットワークNo.36―学級崩壊を問う!

  • 発売日: 2020/08/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

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