今朝も安定のキャンセル一名がありました。
この3ヶ月ほどは、1日に数名を予定していても、全員とお話ができる日はわずか、必ずどなたかが仕事のクラッシュでまたは体調不良でキャンセルされます。
今日は先日日程の変更を希望された方と、夜にあと一名。これで年内のオンライン対話は終了します。
最後に少し毒を吐けば・・・学校のすぐそばで学校をウォッチングする中で感じていたことは、コロナに直面した教員の多くは、生産ラインが急に止まっても持ち場を変えずに、ラインの所定の場所の前に立ち続けて、動き出すのを次第にイライラしながら待ち続ける人のようでした。再開したラインにはこれまで以上の生産物が上乗せされてきているのに、それを見ながら、「ぼくは子どもが帰ってきてくれて本当に幸せだとわかりました」などと呟いているやばい感じでした。
学校の教員の仕事は、生産ラインの前で部品を組み立てる感じではなく、自分の手作りの作品を丁寧に持ち寄る感じに近いものだと、心のどこかでまだ思い続けていた自分にも気づかされました。学校はもう、全然違う場所になっていました。
今朝は、リヒター&ミュンヘン・バッハ管弦楽団のブランデンブルグ協奏曲。
ぼくにとっても長い一年でした。もっとも、生涯忘れられない一年とか、そういう陳腐な表現は使いたくない。どの一年も忘れられない一年です。