授業感想文について考えた

昨日の夜は、長く一緒に研修する中堅の先生から、ぼく自身の発信の仕方のまずさを指摘されて(ぼくのことだけでなく、長い経験を持つ先生方のしばしば見られる傾向についての指摘も含んでいたものと思う)、痛撃と共に、リフレクションの起こる感じであった。

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今朝は早速1on1のオンライン対話があったので、自分にとっては仕切り直しでもあるという思いで、一つずつ自分の発言を反芻しながら話すように50分の話をした。書いたものと話したこととの違いについても色々と思いつつ。

今朝のオンラインでの話題の中心は、理科専科の小学校の先生の授業アンケートの分析だった。わかりやすさと楽しさの二項目がシンプルな選択肢で記述できるようになっており、さらに自分の(先生の)教え方についての100点満点での採点とその理由を文章記述する。A4判面のみの授業アンケートである。

このアンケートを見ながら、ぼくは、上條晴夫さん−池内清さんラインの「授業感想文」のことを思い出していた。ぼく自身が中学校でほぼ同じように活用していたものである。彼らのものは、アンケートではなく、授業者の授業の進め方への採点+理由の記述というシンプルなものだった。上條さんご自身に直接聴いた記憶を辿れば、あるいは授業づくりネットワーク誌上に掲載になった授業記録などを見れば、採点部分(100点満点で86点とか、5段階評定で4とか)ではなく、それに基づいて書いてくる理由の記述の確保と分析及び改善にこそ、この実践の肝があるということになる。事実、ぼくのクラスでは100点を付けている子が記述欄に「漢字の書き取りも入れて欲しい」と記述してきたりするわけで、上條さん−池内さんのいう通りだなあと思っていた。

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しかし、今日も最初は、記述そのものの質と量に目がいっていたのだが、途中から、アンケート部分の集計に意識が向くようになった。詳述は避けるが、4年生5年生6年生の3クラス(単学級)のアンケートの数値に違いがある。当たり前だが、その数値比較で、おおよそそれぞれの学年の授業への前のめりの度合いが見えてくるわけである・・・。

それで、実践者としての自分はどうだったのかなと改めて内省が起こった。ぼくの場合は、個々の子どもについての学習参加の状況は「授業感想文」を通じてよく見えてきていたと思う。しかし、クラス全体の学習参加の状況の理解などには、あまり関心が払われていなかったということになる(いや、払うべきだったのだが)。というか、授業感想文ではそこは見えなかったのだなと思う。

上條さん−池内さんラインの授業感想文が、典型的な小学校学級担任クラスの授業を想定した感想文だったからだな、と、今日のやりとりの中で気付かされていった。中学校の複数の教室をまたいで授業する立場(増え続ける小学校の専科授業者の立場)では、どんなものが望ましいのだろう・・・。

ちょっとまだうまく言語化できないが、これはとても大きな発見だった。