すぽんじのこころでつぶやく 2021年8月上旬

1 「社会の解像度」が新しい言葉が出るたびに低くなっていくのが怖い。熱が出た。足が痛い。喉がガラガラする。お腹が痛い。頭が痛い。そういうのを中等症とか軽症とか、そういうカテゴライズをして問題分析していいのは、医療従事者だけだと思う。症状はみんな固有のもので、それぞれ辛く苦しい。

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2 行事で集団への求心力を高めるのは10数年前から学校では難しくなっています。そうすると社会の真ん中で起こっていることは推察できます、彼らが大人になるのだから。五輪で盛り上がっても多分政権浮揚にはならないでしょう。ここをそもそも見誤っているのだろうと思います。

 

3 もうずうっとこの厳しい状況の中で、社会運動や共同体のことを考えている。外山恒一柄谷行人を読んでいるのは、彼らの主張に共鳴しているわけではなく、彼らのこの時代に生まれたものとしての使命感や倫理観や立ち方に共振しながら考えたいと思うからである。

 

4 8月後半は地方の皆さんとお話できるのを楽しみにしていたのだが、宣言延長では難しそうだな。正直、色々おもうことはあるね。そこでしか出会えなかった人も物事もあっただろうが、例の巨大イベントだけが暴力的に進められていくのをどう受け止めればいいのか。怒りを溜めず正気で暮らすのは難しいね。

 

5 私立保育園の園児バス取り残し事件。どう考えれば良いのか。。。

 

6 記録、大事。ほんとに大事。不都合な記録を見ないようにする空気の中で、市井の人々のカウンターは、これに尽きると思う。

 

7 痔がひどい。久しぶりに薬を使う。1日1日、正気で過ごす。

 

8 半月ごとのtweetを振り返ってブログにまとめることで、ようやくぼく自身も正気に戻り、忘れそうになっていたことを思い出す。

 

9 うららといると、自分のクラスに居た何人かの子どもたちを思い出す。ぼくはその子たちに実にたくさんの「普通」「標準」「学齢基準」を良かれと思って押し付けてきた。輪切りの時間サイズに押し込めることがぼくの仕事であり、子どもたちの幸せであると思っていた。浅学で無知で愚かであった。とりあえずうららさん夏休みの宿題完了。誰かがそばにいて見守るということ(だけ)が本当に大切なんだと思う。辞典が引けない躓き原因もそうっと見ているとよくわかった(想像もしないところだった…)。アドバイスは十分な観察を経て本当に必要なタイミングで必要としていることだけ。支援者・援助者のいろはだと思う。とはいえ、ぼくもイライラするし、先回りしたくなる。支援や援助はいつも「対象との距離感」と「想像力」が要になければならない。学校の先生って難しい専門職だと改めて思う。

 

10 今年も黙祷できた。黙祷で一年のサイクルを知る日に終わりが来るのだろうか。

 

11 夏休みタブレット持ち帰りを停止にする学校の大きな理由は「Youtube見すぎや深夜利用などのトラブル」に対応できないからだ、と。それを責める人も多い、家庭で解決させればいいじゃないか、と。でもこの問題ちゃんと考えたい。確かに学校が「対応」すべき問題じゃない。しかしそもそもこうした問題発生しがちな家庭・保護者の現状への想像力はどのくらいある? まさに「自助」という名の棄民。

 

12 密室で偉い人たちだけで決めて、受益者に下ろすというやり方はまさに学校が長いことやり続けてきたことです。これをやっても概ねOKなのはトップの政策判断に信頼が置かれている場合だけ。政治も学校も政策判断する側が自分たちは信頼されていると未だに勘違いしているのかなと。

 

13 そうか。あの戦争を止められなかった一つの要因は経済を握る人々の「お金」の問題だったんだなあ。ちゃんとわかった気がするというかよく理解していなかったなあ自分は。

 

14 何十年か社会運動も社会活動も教育運動もやってきた。それが仲間との協同であることも本質的に孤独の歴史であることも知っている。仲間とも、独りでも、やれる。

 

15 とりあえずアナフィラキシーはなし。この後、どんな副反応が起こるのかはわからない。

 

16 メディアスポーツの問題は前世紀の末には既に問題になっていたにも関わらず、そして心ある教員によるいくつかの実践が世に問われていたにもかかわらず。多くの教員には、そもそもオリンピックとメディアとの結びつきについては、今回初めて考えたという人が多いのだな・・・誤解を恐れず呟けば・・・ぼくは、アスリートが資本と結びついて支援を受けながら競技生活を続ける構造は事実上の「搾取を生む構造」だ。アスリートには申し訳ないけれど、これにきちんとNOを突きつけていくのは、アスリート自身の仕事だとも思っている。ぼくにはコロナで朝令暮改のお達しが降りてくるたびに予定を立て直して何事もなかったように進めていく教師たちの姿と、政治やスポンサーの意向にほとんど文句も言わずに耐え続けるのが本務でもあるかのように戦略を練り直し続けたアスリートの姿はそっくり重なって見える。つまりアスリートにも教師もそうであるように明確に責任があるというのがぼくの立場(考え)だ。

 

17 この悲惨なオリンピックへの邁進の中で、批判的批評的思考を育てる機会として、タブレット持ち帰り活用は、何か機能したのだろうか。

 

18 小さな悲しいことが続いている。いや小さいと自分に思い込ませようと思ったがどれもとても大きなことばかりだと気づく。

 

19 ショスタコーヴィチ。Sym15.マキシム・ショスタコーヴィチ&モスクワ放響。

 

20 本当、専門家をちゃんと専門家として処遇できない政治、国民、途方に暮れてしまう。

 

21 東京五輪はいろんな問題をぼくらに提供したが、学校という視点で言えばバッハさんと橋本さんのスピーチを校長スピーチに重ねることの社会の納得感が一番だった。話の長い校長が教師の成れの果てであることを思うと、これはもう学校教育ど真ん中の問題なのだが学校はどう受け止めたろう。

 

22 独りで歩きながら組織とばん走しようとするという矛盾、と向き合っているんだな。

 

23 新卒の時の学級崩壊。ぼくは大丈夫ですと言い続けた。ほんの何人かの心優しい子どもたちを指さして「子どもはぼくの気持ちをわかってくれている」と思った。自分に都合の良い部分だけを見続けて結果相互に深い傷を負った。今の政権を崩壊学級に喩えるtweetがよく理解でき、そして刺さる。

 

24 そうそう、ムックリ。ぼくは結構上手なのだが、20代音楽を教えていた時期にムックリづくりにチャレンジした。調べてみるとわかるよ。北海道には元々竹も凧糸もない。土産屋さんのものは当然元々のクオリティのものではない。

 

25 アフガニスタンソビエトへの侵攻。その後のアメリカ。超大国が最後は自助を掲げて撤退していく様を見ていると、日米安保の本質もおんなじなのだろうなと思う。

 

26 遠くでハネナガキリギリスの鳴く声。

 

27 うーん、誰にでも何にでも反応しなくちゃいけないってことはないはずなんだ。難しいのは関わらないことがそれを認めていることになるのではというような空気が一方であること。

 

28 自分もあなたもそうなる可能性があるから・・・とか、有益な仕事をする可能性があるからとか(そもそも有益無益ってなんだ???)そういうことではないんだよなあ。全ての人々に幸せに生きる権利があるんだよね。これが一連のつぶやきの質を見極めるぼくにとっての唯一のものさしです。

 

29 授業づくりネットワークの総会が終了。ほんの短い時間だったがとても疲れた。今回で退任される理事のみなさん本当にありがとうございました。たくさんの方々が往来する場所。ぼくは交差点。