アートを旅する 2021年8月下旬

イラストレータ安西水丸展とムットーニコレクション、コレクション展 受贈記念 夷齋先生・石川淳・・・世田谷美術館

安西は画面に線を引く。それは、自分が生まれ育った千葉の田舎で毎日見ていた水平線なのだという。彼は、その線をシュッと引くことで、世界を彼のものにする。ぼくも水平線がほしい。ぼくは卒業論文村上春樹の作家論。しかもブレイク直前の春樹。扱った資料も書いたものももう一度世の中に出しても良い質のものと思う。死ぬまでにこれを書き改めたい。安西の絵を見ると、初期村上作品を思い出す。もっとも今の村上作品には全く関心がない。ムットーニ(武藤政彦)のからくり文学館は、なんと言っても蜘蛛の糸が面白かった。今度は山月記も見たい。石川淳さん関連の書簡などは、興味深い。ぼくも手紙や葉書を書く人なのだが、電脳空間ではなくこうして届けられていくものの価値について黙考する。

 

六代目三遊亭円楽独演会・・・日本橋公会堂

色物は三増紋之助。吉本に行っても、もりやすバンバンビガロが一番面白いぼくにとって、紋之助は最高だった。ネタバレはしないが、トトロに泣ける。円楽は若い時から華があり色気があり、努力も惜しまずしてきたろうが、センスや天性でここまで歩いてきた人だとも思う。二席とも良かったが、特に順番を入れ替えて最後にした船徳がとてもよかった。一緒に泥舟に乗っているようなそういう感覚にさせる噺(話芸)というのは本当にすごい。


長崎OMURA室内合奏団第16回長崎定期演奏会・・・長崎市民会館文化ホール

直前の蔓延防止対象化で開催が危ぶまれたけれど、閉館での特例措置で演奏。合奏は、精度というよりも指揮なしの息遣いをベースにした温かさの伝わってくる音。特別な状況下での士気の高さもあったのだろうが、芥川トリプティークは求められるシンクロ性も高い良い演奏。古典交響曲も、滅多に聴けないメンデルスゾーンの一番交響曲も、それぞれ表情のある歌心ある演奏だった。

 

藤戸竹喜 木彫り熊の申し子 アイヌであればこそ・・・ステーションギャラリー東京

藤戸の木彫作品は、単体では道内でもいくつも見ているのだが、こうして改めてアートとしてキュレーションされたものを見ると、少なくとも展覧会の会場においては、個性的な一人のアーティストの秀逸な作品に魅入る体になった。すごい、彫り師である。具象にこだわった作家だが、それはしかしリアルの追究ではない。木の中から余分のものを取り除いて中にあるものを出すのだという。彼に見えているものを取り出すのだと思う。もちろんそこには、アイヌの辿ってきた歴史、本来の生活をもがれたうえでの、新たに食べていくための生計と結びついた選択があり・・・。


甲野勇 くにたちに来た考古学者・・・くにたち郷土文化館

考古学は、常に復古主義国粋主義との向き合いをせまられてきた学問だと思う。戦後、国立に住み、学問を市民の真ん中に置くために、各地の博物館建設に関わったのだという甲野は、やはり日本の戦後を生きた人なのだ。私は戦後生まれで戦争を知らないので、と沖縄県知事にある意味愚鈍な程の率直さで話しかけてしまう首相には、こういう感覚はわかるまい。新自由主義が学問や文化を直撃する中で、くにたち郷土文化館は、特別展は原則無料。お金ではない、という気概。

 

江口寿史イラストレーション展「彼女」「北の海辺を旅する」・・・道立旭川美術館

もうファンにはたまらない、江口作品の総覧。旭川美術館で実際に参加者の絵を描いた映像、作品もあり、これはいいね。江口作品を現代の美人画と位置づけたのは適切だなあと思う。これは、なんというか機能も含めて浮世絵的だ。収蔵品の「北の海辺」展は、実はこれ、圧巻である。これまでもいくつも目にしてきた作品だが、北の海辺としてのキュレーションの力はもちろんだが、一つ一つの作品が圧倒的な存在感だ。居串佳一の作品とか、北の海辺を知る者にこそ響くのかな。網走市立美術館にもう30年も前に閉館後の時間に無理を言って開けてもらって見た時の感動の灯が、まだ身のうちに残っている。

 

東混オールスターズ・・・東京芸術劇場コンサートホール

田中信昭さんは93歳。ステージに立つと空気が変わる。かくしゃくとしておられて、特に西村朗作品”レモン哀歌”の抒情表現は、本当に素晴らしい。絶美であった。合唱はすごい。声の表現は、楽器表現とは違って当たり前だがダイレクトだ。歌うということがどういうことなのかを思い出す。優れた高校の吹奏楽団の多くが、ステージで歌う理由がよくわかる。ステージとしては、オールスターズが、ここで歌いたい楽曲を持ち寄ってくる感じがいい。東京混声合唱団の表現幅の豊かを知れる、幸せなプログラムだった。

f:id:suponjinokokoro:20210902114329j:plain