最近読んだ本から その29

『教室DXで「未来の教室」をつくろう』を読みました。

一見全然違う話から始めようと思います。
上富良野後藤純男美術館。中札内の小泉淳作美術館。北海道では一流の日本画家の絵をまとまってみることのできる数少ない場所です。どちらも大好きで何度も足を運んでいます。ご存知の方も多いかと思いますが、この二人の作家の作風作品はとても対照的です。
後藤の作品は大胆豪放。圧倒される画面構成。壮大な風景をどこかの丘の上からうっとりと眺めているような気持ちになります。近寄ってみると、実は樹木も山肌も、詳細に書き込まれているわけではありません。全体が整うように、つまり遠くから見た時に美しいバランスになるように言葉を弄さず言えば粗く書かれていて、一本一本の木の息吹が感じられるわけではないのです。
一方の小泉の作品は詳細で複雑。例えば大根のひげ根に至るまで詳細に描きこんでいます。その細部へのこだわりは異様なほどです。その結果、全体のフォルムも時としてゴツゴツざらざらとした触感になり、多分苦手な人もいるんだろうなと思います。

ぼくは、いつも、自分の仕事へのアプローチの仕方は、小泉の仕事にとても似ているなあと思います。そして、後藤のように遠景から美しく全体像を仕上げられる人はすごいなあと感心します。ぼくにはない力であり、本当にすごいと思うのです。

 

この本の筆者浅野さんは、数年に亘り、たくさんのものを見聞きし知ろうと、常人ではできないタスクをこなしてきたのだろうと思います。心からの敬意を表したい。そして、後藤も小泉も観察の人です。生涯にわたってたくさんのものを取材し、実際に現場に足を運んで描き続けた人です。でも、そもそもの見え方が、お二人では全然違っているのだなとも作品を見ながら感じます。たとえ同じ場所に足を運んだとしても、そこで見ているものも見え方も当たり前のことですが違うわけですね。「個別最適な学び」はそういう違いに「優劣の彼方で」相互に想いを向けられるかってことが前提だなと考えます。

 

ゴシック太字の檄文がたくさんある、最近流行りの教育書のような体裁になっていました。学校教員はもうこんな体裁じゃないと本を読まないと、作り手も思っているのかな。そこは筆者の責任なのかどうかは判然とはしませんが、なんだか哀しいなと思います。みんなが読まなければならない骨太の提案に見合った体裁だったらよかったのにと率直に思いました。少し骨が折れるくらいでいいのです、本は。そういう自分は書物至上主義の古い人間ってことでしょうかね。

 

いずれにしても、先生という仕事の層を支えていた一定の学力水準=マルチタスクな力は、採用崩壊と共に、見事に失われつつあります。現実には、今、先生方に必要なのは、絶望的だと感じる人もいるのかも知れませんが、新しい施策ではなく、ケアでしょうなあ。