すぽんじのこころでつぶやく 2022年8月下旬

1 少し前から、平河エリさんのLGBTQに関する一連のtweetとそれに対する反応を丁寧に読んでいる。困ったなあと思うのは、様々な立場乱れ飛ぶ中で、初めて聴く用語、耳にしてはいるが微妙な違いやニュアンスが理解できない漢語、外来語が、頻出することだ。ぼくも学校教育界隈でやりがちなことなんだと思うが、これが本当に理解を遠ざけ、コミットしようとする意欲を失せさせることを実感する。やりがちなことと書いたが、そもそも関連する様々な新しい概念を説明する訳語が追いつかないという問題がある。その外来語、その漢語的用法を使うしかないという問題は、分断を生む温床になっていて、きついなあと思う。

2 なんだっけ、クラブハウスだっけ、今はスペース?間違ってどこかのボタンを押しちゃった以外は一度も関わったことがない。ぼくはこうしたものにほぼフォーカスしない。そもそも学校教育に特化してそんなものを聴いている人は本当にわずか。好きな人は大いにやればいい。話題にするのもこれ一回きりだ。

3 趣味的なものと政治的な影響のあるものとが一緒くたにされて見えてしまっているんだと思う。

4 すごい雨だな。駅まで歩けやしないぞ。

5 食器を処分したらこんなに悲しくなると思っていなかった。

6 なかなか多難というか、現状の染み出してくるスタートになりました。昨日から今夜まで1on1オンラインのスタートでしたが、5人の予定のうち出来たのはお二人。コロナキャンセル…これまでにはなかったレベルですね…。

7 今日明日から北海道の学校はスタートだ。二学期が半月長いことは北海道の教室を状況次第でより厳しく苦しくする。せめて初日や最初の数日は午前授業だといいのだが、フルの学校も少なくない。

8 始業の日が午前放課であることの意義は大きい。まだまだ改善されない休み明けの紙提出物の処理ができる。何よりも少し先生側に余裕ができるので休み中の話を子どもとすることからスタートできる先生が増える(増えてほしい)。どうかいきなり答え合わせや回収物の叱責から始まる教室が減りますように。

9 ぼくはFBとTwitterくらいしかSNSを使わないのだが(他も一応アカウントはあって少し見たり使ったりもできる)、このところいろんな方の発信も多くてとてもおもしろかった。要するにお盆は一瞬春先のような解放感が再現される時期なんだな。そして一瞬の自由な時間だけど4月みたいには無垢じゃない(嫌なことやつらいこともいっぱいあったから 苦笑)。なので呟きも書き込みも屈折しているものが多くて、おもしろい。 ぼくも負けずに屈折したのを書こうと思っているうちに、お盆が終わってしまったよ。 

10 ぼくはコロナに関しては、割と素直に国の方針を飲み込んで、ワクチンも打ちマスクもしその他対応もしてきたが・・・この後に及んで全数把握を見直す議論をするとかしないとか…なんというか、議論しない、波風立てないことだけ大切にする、国民の脆弱性をウイルスに見事に突かれている感じね。

11 コオロギが鳴いている。なかなか眠れないことにもう身を委ねて美しい声を聴いている。

12 エピソードにエピソードを持ち寄って重ねていく、みたいなことが求められているのだと思う。

13 学校教育はビジネス動向からも周回遅れか。元々教員はボランティア気質だ。結果次々オンライン無料セミナーを打つが実践衰退を徹底加速させるだろう。お金を出して参加する質の担保にみんなが心を向けないと実践のデフレ化が加速する。質の高いものを見合った対価で提供することが基本にならないと…。

14 80年サイクル説を小声で唱えている。明治維新から太平洋戦争終了まで80年。そこからまた約80年。西洋的な価値ベースのシステムづくりを日本的マインドとすり合わせると80年で疲弊するのではという極めて雑な感覚的提案だ。無論これは西洋を受け入れるべきではないというつまんない話ではない。

15 かつての民間教育団体の研修会は手弁当。合宿形式日程の中で同志が志で講座をするのが普通。80年代に登場した民間研修団体は謝金や交通費を補償する形を目指したのです。ボランティア精神に寄りかかる運動は続かない。情報には応分の対価があるべきと。今の状況はある意味逆戻りだと感じている。

16 多分、日本は、教育にかぎっていっても、横井さんみたいになっているんだと思う。もう戦争が終わったことを(つまり敗戦を迎えたことをわからずに)戦い続けている感じなのだと。

17 日本中の中学生がおくのほそ道序文は「暗唱させられている」と思うのだがTVでは「白河の関とは?」が特集されていた。日本人のコモンセンスの崩壊と捉えるか、興味や関心のあることじゃないと知識と実際は繋がらない例と捉えるか。いずれにしても後に残るのは「国語の授業って何よ?」感である。

18 言葉は伝える不備を本質的に抱えている。この当たり前のことが了解されていない節がある。物語も説明文も作文もスピーチも取扱説明書ですら本来伝わらない営みそのものなのだ。したがってそこではどうあっても読み手が想像力を発揮することが前提だ。そしてそこに問い・仕掛けが立ち現れるのだと思う。

19 研究とは本来ほとんど全部失敗するものだと思う。ノーベル賞を取る研究なんてそこまでの夥しい失敗、それに伴う時間や金銭や感情の消費によってたどり着いている。学校研究だけが常にできるかぎり失敗のない成功を求められていると感じる。もしぼくが感じている通りなら、こんなものは研究ではないよな。。。


20 そういえば、リッツァのマクドナルド化する社会の指摘は素晴らしかったが、ぼくらのケツはマクドナルドの硬い椅子でもずっと座ってられるようパワーアップした気がする 笑 マクドナルド化は適応と際限ないチキンレースだな。

21 神楽見本林の駐車場でかなしくなっている。泣きたいがぼくはもう自分のためには何年も泣けていない。代わりに泣いてあげなければならない人にたくさん出会います。

22 ずっと本を縛った。最後まで貰い手のつかなかった本たちと別れが近づいている。一冊ずつ丁寧に紹介できればきっと手元に置いてくれる人もいたろうに、ぼくにはもう時間も気力も残っていなかったんだものと、斎藤喜博『君の可能性』を縛りながら思う。歳を取るということは可能性を失うということか。

23 あっちこっちの街灯にヤママユガ

24 昨日は街灯に集まるヤママユガの量にちょっと驚いたのだが、今朝はさらにびっくりした。朝から主にはハシボソガラスハクセキレイヤママユガ朝食祭りになっていた。彼らはきれいに羽を食べ残す。

25 よく尋ねられることに北海道の学校給食素晴らしいのでしょというのがある。そんなわけない。財政再建団体寸前の多くの市町村が給食費回収に四苦八苦。絶望的に地方が疲弊していることを都市部の人たちは理解していないことも多い。自然が豊か、温かい人のつながり…ある種のファンタジーとさえ言える。

26 ぼくは、対立を煽るために作品を振り回したりするのが嫌なんですよね。

27 ぼくの中でのどらねこ文庫は今日で店じまいです。雨の中、最後に残った本を搬出します。

28 気持ちの立て直しが難しい。いつかの夏の終わりにも一度だけそんなことがあったろうか。ノリウツギの花が森の青さに埋もれていく季節。父は実家に来るのが精一杯で、母の墓参りには行けなかった。

29 裏の家の壁に倒れかかってしまったので、ノコで切る。いつもはエゾシロチョウの勢いに押されてしょんぼりと実をつける樹が今年は切った枝よりも重くずっしりと生った。自分が根元から倒れもう死んでしまうことが樹にはわかっているのであろう。

30 判例が確定したら、ボランティア業務をしない運動を起こそうかな。そろそろぼくも何か目に見える動きを作らなければならないなと思っている。思想的な立ち位置に寄りかからないトピックベースの行動主義的な運動(闘い)。

31 ぼくはこの裁判勝てないと思っている(シビア)。でも業務内容が詳細に明示され結果的にボランティア業務が規定されるのはむしろありがたいかも。ぼくは働き方改革(この言葉も大嫌いですが)は教師のマインドの問題も大きいと思ってるから、教師側にバトンが渡されることにはとても意味があると思う。教員(教師から言い方を改めます)権利を闘って獲得することに長けていたのですが、今は年配層以外そうしたノウハウだけでなく権利獲得が闘い(バトル的狭義の意味ではなく)によって獲得されてきた歴史にも暗い。そもそもそういう考え・意識がない(考えていいと思っていない)という事もあります。この辺りをもう少し丁寧に考えて、部活動関連働き方問題がどうにもしくじって見えている(分断や不安を生んでいる)ような流れではない、権威や思想に寄りかからない自然な声のあがり方(上げ方ではない)を考えていかなくちゃいけないと思っている。先頭に立つ覚悟も少しずつだが出来てきている。

32 ディノス旭川ディノス狸小路も閉鎖になる。旭川シネコンがやってきて中小の映画館が次々閉鎖した時の喪失感はものすごかったのだが、そにシネコンも淘汰される時代になり。。。すごい時代になってきたんだな。

33 鈴虫が鳴いている。桜の樹上から聴こえてくる、この光景が、ぼくを今もこの場所に住まわせる理由の一つだ。北海道で暮らしていたぼくの、知らなかった光景だ。

34 出勤は一学期より遅め。徐々に戻すか一気に戻すか。徒歩や自転車あるいは自家用車で出勤していた北海道の田舎時代は生活が公共交通機関の運行時刻刻みに規定されるという日々を正確にはイメージできていなかったと思う。

35 ぼくは方々の中学校の合唱指導に入ったけど、合唱指導に苦しんでいる音楽の先生はとても多かった。音楽の先生ならみんな合唱指導できるでしょ、みたいなのは、ひどい誤解だよね。合唱指導って、音楽の指導の中でも今や特殊分野だろうと思う。

36 昨日も収益確保しないとしたい活動を積み上げていくことは難しい・・・と、信頼する若い仲間とじっくり話した。で、改めてぼくの場合は収益を確保するチャンスを自分のこだわりで逃しているなあと思う。でも半径3mくらいの影響力で確実に届けるのが身の丈に合っていると認めざるを得ないもんな。その背景には、これも話した中身でもあるのだが、届かないことに十二分に傷ついてきてしまったということがある。届かないことでの傷つきを癒すのもまた届けることの積み重ねだとわかってもいるが、その一歩を踏み出すのは大変なことである。

37 ぼうっとしていたらいすみ鉄道に乗り損なってしまった。