すぽんじのこころでつぶやく 2022年12月上旬

1 結局、学んだことはシンプル。本務から遠いことは、違和感やズレを感じる時は引き受けない。これに尽きる。それが自分にも相手にも幸せなこと。結果として申し訳ないことをしてしまったな。実践者に社会的責任を期待するのは自由だけど、実践者は目の前で起きていることを丁寧に持ち寄るところまでが限界だよね。もちろん分析も検討もするけど、それはあくまでも「サンプル1」だもの。無論サンプル1をたくさん集めることは重要だけど、どこに集めるかどう集めるかは、自分が決めることだ。結局悶々として明日の講義の準備が不十分だ。しっかり準備したいので、今日の夜は頑張ろう。たいていのことに功罪・光影がある。ぼくも50代半ば、そのくらい知ってる。それともそんなこともわからん頓珍漢だと思われてるのかな。最初からポジティブに発言したいと言ってるのに、なぜネガティブな視点を持ち出してコメントしてほしいと思うのかなあ。僕が不寛容すぎるのだな、多分。すごく、色々がっかりした。ぼくの電話嫌いはぼくと仕事する人にはよく知られている話で、<ほんとに熱意があれば電話してくる人もいる>みたいなことを言われると、なんと言ったらいいのかわからなくなる。まあ、ぼくが偏屈過ぎるんだろうな。申し訳ないです。おやすみなさい。

 

2 最近舛添さんのツイート面白いな。何というか、どこかだらしなくていいね。

 

3 私は、それぞれの職域の人間がそれぞれの職域の圏域を背景に語りうることだけを語ろうとすることについて、むしろ誠実であると感じる。「あなたは自分は実践者であると語って一々茶々を入れるのですか」などと言われたのは、教育の世界に足を踏み入れてこの方初めてのことだった。記者はしばしば実践者に解釈やコメントを要求しがちだが、その気持ちはわからないでもないが、本来実践者は自分の実践を差し出すことで精一杯なのである。まして教育一般や教育行政一般へのコメントは職責に誠実であればあるほどし難いことだと考える。タブレットで学びに向かいやすくなった子どもの姿を見ているという目前の事実を丁寧に場に持ち寄ったのみである。ICT賛成反対との二項対立で語ることは分を出過ぎるから慎重に回避しているに過ぎない。ICT導入に賛成のようですが、などという問い掛けは、そもそも実践者の矜持と分別を理解していない。

 

 

4 私を学校に呼んでばん走してほしいという若手・中堅の少なからぬ人たちがまさに直球の正攻法で立ち向かい玉砕するのはどうしたわけなのだろう。まだ仕事の名称さえ定まらない、社会的な価値も認知されていない私の仕事・立場を、公的な組織・機関が簡単に受け入れると考えるのは、いくらなんでも、いささか想像力が不足しているように思える。そもそも学校には正式な授業ゲストや研究講師以外の人間を受け入れる前例がほぼない。学校は役所だから基本的には前例主義だ。だから経験のないケースについては大抵うまいこと知恵を絞るしかないのである。知恵の絞りポイントは「ああ、それならいいんじゃない」と思わせるってことになる。そう考えると、直球勝負じゃうまくいかないだろうと思えると思うのだが・・・ましてほんの僅かではあっても交通費や対価を個人が支払うなどともなればなおさらである。受け入れられない管理職がいるのは当たり前で、管理職の気持ちを考えればそれは当然だろうとなあと思う。したがってその辺りをしたたかにしなやかにくぐり抜ける術を考えなくてはならないケースが大半だろうと思う。こうしたことはぼくにとっては実は言わずもがなの当たり前のことなのだが、多くの若手・中堅にとってはそうではないようだ。そこには何というか正しいこと・善なることをしているのだから受け入れられないわけがないという思い込みがあり、実際受け入れられない事態になってはじめて呆然とするみたいなことが起こるらしい。「自分の成長のためなのに」なんて組織維持より優先されることじゃあないんよ。この辺り・・・これは少し穿った見方をすれば教科書を使うのは当然、学習指導要領は間違いのないもの(それなら見直ししなくていいでしょうに)みたいな丸呑み感覚と同型をなしているようにも感じる。管理職の立場ならどうだろうかという想像力の欠如もあるのだろう。ちなみにそうした経緯で動き出した話が御破算になるとお話をくださった若手・中堅どの方も打ちしおれて申し訳ないを連発されるが、大丈夫、こちらはもう何十回も経験していますよ。どうぞ今回のことを、学校に自分が入れたい誰かを入れるための貴重な経験にしてください。きっと次はもっと上手にやれるでしょう。それにしてもなあ・・・先にぼくに聞いてくれればいいのに、と思う。まあ、何の心配もしていないから正攻法一辺倒で行っちゃうのだろうとは思う。が、学校に人一人入れる方法なんていくらでもあるし、上手に誰も困らない形で忍び込ませてきた先生・事例はたくさん知っているのになあ。まあちょっとぼくも忙しくて丁寧さを欠いているんだな。そうしたことをちゃんと言語化して伝えることだって広い意味での教師教育の一部なのだろう。

 

5 ピリス。シンフォニーホール。息を呑むドビュッシーであった。言葉がない。どう弾いたならこんな音が出るのだろう。

 

6 そもそも「原理」というもの自体が、わかっちゃう人にとっては笑っちゃうくらいに簡単なんだと思います。でも、わかっちゃっていない人に、腹の底からわかってもらうのはとてもとても難しい。

 

7 サッカーの狂乱の最中に、与党二党は「反撃能力保有で合意」よね・・・。公明党は与党の中にいる意味を失ってしまったな。日本は事実上戦争ができる国になっていく。日本の70数年に及ぶ世界史上あまり例を見なかったチャレンジはなし崩し的に終焉を迎えつつある。

 

8 旭川空港バス。120円も値上がりしていた。驚いた。

 

9 長い長いロードがまもなく終わる。明日のことを考える。これも丁寧に。

 

10 この一週間はもう、ボロボロだ。仕事の質は徹底できたと思う。その分、他のことは全てボロボロだった。冬休みまで、ずうっとこの状況か…アートが足りない。

 

11 今日は授業がとことんダメだった。よーく考えてみる。オンラインも先方からのキャンセルや変更が相次いでいる。そういう季節なのだ。

 

12 それにしてもスタジアムの周囲のぐるりの広告。日本企業はほとんどなくなってしまった。かつては世界中のどこで行われるスポーツイベントでも日本企業の広告だらけだったと記憶している。

 

13 目次を作るのに1時間半かかって、でも完成しなかった。怖くて数えていないが200ページ超えているのか。。。ちょっと絶望的な幸福感を抱えて、一時間遅れで退勤する。

 

14 それにしても今夜の堀米ゆず子アファナシエフは本当に素晴らしかった。アンコールのブラームスの瞑想曲?まで2時間、時に経つのを忘れるという表現がぴったりの場を久しぶりに体感した。·後半のアファナシエフは衝撃的だった。彼の強靭な音楽は堀米とバッティングするのではと思ってが、シューベルトの歌心溢れる掛け合いは素晴らしく、ブラームスの雨の歌は一楽章の冒頭から、ちょっと記憶にないほどの個性的な語らいを経て、最後は素晴らしいタペストリーを織り上げる場になった。堀米がデュオの相手としてアファナシエフを選んだのは冒険だと思うが、その試みは圧倒的な音楽的成果として示されたと思う。感動的な夜だった。堀米、アファナシエフ。圧巻のブラームスでした。明後日のミューザも聴きたいくらいでした。

 

15 【八戸 12/26 9:20-  情報シェア歓迎】

八戸市小学校生徒指導研究会の冬期講習会の講師として12月26日八戸市スポーツ研修センター2階第1会議室で午前9時20分から休憩を挟んで2時間ぐらいお話しします。私に連絡いただければ参加できます。

依頼の内容は、「日本中を駆け回っておられる石川先生の目に映る今の小学校で起きていること、先生が日々感じておられること、これからの学校や教員に必要なことなどを語っていただきたく思っております」とのことなので、コロナ以降の時間の中で見聞きしてきたことを丁寧に持ち寄ろうと思っています。演題は「コロナ下の学校をとぼとぼと歩きながら考えていること」この会、私にご連絡いただければ、参加できます。青森にお伺いする機会は滅多にありませんので、お近くの方で興味のある方、どうぞご連絡ください。青森の皆さんへの情報シェアも大歓迎です。

 

16 もう真っ直ぐ行くしかないな。

 

17 真珠湾攻撃、そしてジョンレノンの命日、昔の彼女の誕生日が、目白押しの今日らへん。

 

18 学校は以前よりは「選択」の機会に心配りをする先生は増えたけれど「どちらか片方だけ選んでください」になるケースが多いように思います。教職員(に限らず)は二項対立的に捉えてしまうことが多くて、子どもが行ったり来たりできる学習設計をもう少し頑張らないといけないなと感じます。 ← 今ここ

 

19 昨日は晩秋・初冬の美しい風景を纏った校舎の隅で、幸せな時間を過ごした。若い友人の試行錯誤に関われることに感謝でいっぱいだ。なんと素晴らしい時間をお裾分けしていただきながら、ぼくはここまで歩いているのだろう。昨日の都内の私立小学校は、長いおつきあいになった若い友人の年3回程度のばん走である。基本は彼を基軸にして校内のほぼ全ての学年に絵本の読み聞かせで入る。それで良い。いや、それが良いのである。

 

20 学校っていうところは、学びやすさと教えやすさという二軸を仮置きするならば(上條晴夫さん起源の言葉)、最大限子どもの学びやすさを考えたいのはいうまでもないけれど、教師の教えやすさは無視できない場所なんです。学習が属人性の奴隷になっていいのかという思いも共感できるけど、人がやるんだもの。そして人がやることにこそおそらく価値があるんだもん。教師の教えやすさという制限がかかった中で、どうするかってことを生温かく考える余地をちゃんと残さないといけないよね。。。例えばスポーツもアートの世界もそういう制限とのせめぎ合いの狭間に最も美しいものを生み出してきたわけで。。。

 

21 三原選手に優勝してほしいな。

 

22 今日は午後から失速したが、この体調ではまあ仕方がないかなと思っている。

 

23 きちんと泣きたい。

 

24 やった! 三原が勝った!

 

25 新幹線開通は、まあ、ロマンだよね 笑

 

26 ちゃんとあきらめるってこと大切なこと。ちゃんとあきらめられるってことは大切な力。結局あきらめられない場所に発生する磁場がこの国も教育も人もより一層苦しくしていく。

 

27 もう一仕事してから離道。がんばれ自分。

 

28 今朝はいつもより15分早く動き出す。心配な朝は先に動く。自分にとっても定跡でもある。授業はまだ悩んでいる。

 

29 雨だ。読みを誤ったな。

 

30 このどん詰まりに至って気がついたのだが(どん詰まりに至るまで気が付かなかったのだが)、3クラスの学習過程を「揃えよう」としているぼくに問題があるのだ。最後の1、2時間は講義メイン、『学び合い』、ケーガン協同でそれぞれ授業を進めてみよう。

 

31 約20年ぶりに梯さんを昨夜聴きました。ヴァイオリンも素晴らしかったが、やはり梯さんの温かく柔らかで透明な音は無二でした。長いことご無沙汰をしてしまいました。また必ず聴きに来ます。

 

32 やまなし。今日も迷っている。予定より2時間時間確保が減るので、謎解きのレクチャーをしなくちゃいけないんだなと思っている。作家の時間の製本は結構壮絶な時間になりそうだし。

 

33 コロナを挟んで急速に行事見直そうやめようの気運が下がってしまったが、ぼくはやっぱりこの辺り考えなくちゃいけないと感じている。ポイントは、行事を精選する、ではなくて、行事中心行事メインの考え方とカリキュラムデザインを辞める、だと思っている。

 

34 今日は予定していたばん走先に急遽入れなくなったので、本当に久しぶりの休養日になった。昼まで寝ていた。とても疲れているのだと思う。昨日はあざみ野での講座があったのだが、音読の方法やや教室の声のあり方について、少し丁寧に話すことができた。その後帰宅した後1on1のオンライン対話があったのだが、相手の先生のご苦労を思うと胸が潰れる思いだった。ずうっとお話をお伺いしているが、よくこの半年立ち続けてこられたと思う。現地に赴けないもどかしさも感じた。ぼくはぼくの「ばん走」について、自分の中でそう呼ぶための明確な線引きがある。オンラインでの対話の時間をばん走とは呼んでいない。その限界をよくよく感じているからだ。現地まで足を運べる。最低でも年に2回は運べる(2回では全然足りないが)、それでもってやっと少しは本質的な話ができる。そうした教職関係者への働きかけ、学校や学校研修への働きかけができる状況の場合のみを、自分にとってのばん走と呼んでいる。もちろん教員が子どもの伴(ばん)走者だなどと言ったことも一度もない。ぼくのクライアントは教職関係者(児童・生徒ではない)なのである。まあ、そもそも名前もない仕事である。ぼくが何をしているのかわからない人が自分の理解に基づいて色々考えるのは仕方がないことである。それにしてもとても疲れていたのだなあと自分でもよくわかった。なんとかここまで辿り着いたということだ。

 

35 実はこのどん詰まりの時期にぼくにもタブレットが支給された! さてこのタブレットを使って何をしようか。空き時間が全くないので、タブレットの使い方を試したり、必要な情報を確認したりする時間もない・・・どうしたもんかなと思う。来週少し時間に余裕がありそうな気がする。うまく活用したいな。

 

36 イチョウの木はまだ箒になっていない。ってことは東京にも冬が来たときっぱりとは言い切れない。

 

37 ぼくは新卒の時分から性に関わることや排泄に関することなども(まあこの二つを列挙するのも微妙だが)結構あけすけに話してきたと思う。新卒の学校が壮絶に荒れており、荒れた教室や授業において性や排泄に関わる用語が汚いことを示すものとして大量に投げ込まれることが民主的とか人権とかそういうことの崩れを象徴する事態なのだと感じてきたからでもある。今、学校は狭い意味での公序良俗の範囲を出る言葉を教師も生徒もそれがまるでないかのように透明化している。その矛盾は至る所に噴出してきている。この傾向はいわゆる人権活動家の過剰なポリティカル・コレクトネスの状況とそれを巡る深刻な対立と軌を一にしているのかもとも個人的には考え始めている。少なくとも学校において抵抗する子どもたちの一定数が取る態度の一つは人権的に許されないと学校的に見なされている行為発言の発動である。

 

38 ボールト。最後の惑星。なんと美しい。

 

39 走ったんだけどな。乗れなかった。後10秒早く立川に着くことはできなかったのかね、5分遅れのあずさよ。