すぽんじのこころでつぶやく 2024年9月上旬

1 音楽をゆっくり聴く時間がなくてしんどいな。この流れで9月を乗り越えられるのかな。

 

2 とても久しぶりだな、水戸。

 

3 すごく疲れた。土日は休まないとダメだね。。。

 

4 例えば、いろんな研修会の案内で、講師の方が、これまで主催の研修会には1000人が参加したとか、今年の研修会に集った方はのべで800人に及ぶ、とか書いて研修会の宣伝に使うケースをたくさん見る。

そんなこと言ったら、ぼくの研修会に集まった人はのべで10000人は優に超えるだろう。だが、それがどうしたというのだ?年間に80本くらい研修会をするので、そこに平均10人くらいは集まるから、では年間1000人くらい集まっているのだろうが、それがどうした? 何か意味があるのか?

こういうレトリックというか、数字で実績を誇るやり方が本当に嫌だ。たくさん人が集まっているから信頼されているみたいに見せようとしているのだとしたら、本当に気持ちが悪いと思う。

 

5 勉強が苦手な子どもにとって、宿題は本当に邪魔なんだよな。自分のペースで戻って学ぶ余裕なく全くわからない内容を写経させられるだけになる。

また、親が子どもの学ぶペースに合わせて勉強しようとする時に、宿題提出は子どもにかかる呪いのようなものだ。

 

6 旭川のラーメンが食べたいな。蜂屋が食べたい。

 

7 神の音楽だ。ペレーニ。ハイドン2番。3楽章。

 

8 ガザ。虐殺。

許しがたい。

ほんと、許しがたい。

 

9 ドレミのうたってよくできた歌だな。

 

10 例えば、整列して全員で、特別教室(理科室とか音楽室とか体育館とか)に向かうと、その教科への個々の子どもの思いの強さ弱さも見えにくくなる。バラバラで行けば、とてもよく見えてくる。

 

I11 CT界隈の方は生産性というのを口にするわけだは、学校教員は、学校が本質的に生産性で測れない場所だと知っているんだよね。FBに石川県の副知事も教員養成に関わって、「デジタル使えば要らぬ苦労・・・」というようなことを書いていたが、またぼくもその理路は整然としているなあと思うのだが、この整然が、見事に分断を生んでいるのだろうと思う。学校教育に関わるもろもろを外にいる人に生産性の定規で測られたくないと、多くの教員は思っている(もっとも、ほとんどの教員が評価の基準を学校の外に置いていることに気づいていないという事実も同時に存在しているのだが)。いずれにしても「生産性が向上するんですよ、すごいでしょ」っていうのは実に無邪気だなあと思う。

誤解のないように補足するが、ぼくは上記の件について、生産性向上の指摘についての賛否は全く示していない。どう受け止められている可能性があるかということを書いている。ぼくは教育実践者だが、一方で長く民間教育運動を牽引してきた運動家でもある。一人の運動者の視点から書いている。

 

12 95秒間。ハナレグミの歌に付き合う。

 

13 それにしてもサイゼリヤは安いな。不安になるほど安い。

 

14 HINOTORI。すごいな。

 

15 阪急。大阪梅田駅。杖を付いた方を見て急に父を思い出し悲しくなった。父はカッコ悪いと言って、最後まで杖をつこうとしなかったのだ。

 

16 遠くへ行きたいな。

 

17 リフレクションの時間の最後に偏頭痛が出てしまった。駅までの道は光でよく見えなかった。

 

18 この時間の中央本線は、ずうっとトンネルみたいだ今日も甲府の5人の先生とじっくり話ができた。明日は溝の口。今のところお二人の参加者だ。

 

19 9.11 うちでベロンベロンに呑んでいたあの日の父と青野武を思い出す。

 

20 今夜の最後の音楽。安藤裕子。大阪で聴くつもりだった3回目のLIVEは聴けなかった。そのままになっているんだ。

 

21 多分日本は一度も一億総中流だったことはない。まあ何を中流というかによって捉え方の幅は広くなるけれど、でも、そうだと思う。素晴らしいのは、一億総中流と国民の多くに思わせたことだろう。そういう政治的政策的機能が、今も別な形でちゃんと発揮されてこういう国民意識になっているのか、上手く機能させられなくなっているのか、よくわからない。ぼくは振り返ってみて、ああそうだったのかと思う程度の技量はあるが、未来を想定できるほどの技量はない。世の中には、遥かにすごい人も存在するのだろうと思う。