1 今日は、ここ。千歳市。小学校。
2 中東。絶句。
3 昨日娘からの緊急の電話を聴きながら(ぼくは電話が嫌いなので家族とさえほぼしない)娘をめぐる学校の対応には、やはり親としてそろそろ言わねばならないかなと思った。部活をめぐる問題へのぼくの立場は、在職時代から一貫して、「示しがつかないとか」「他と横並びで」とか、そういう問題ではなくパーソナルな問題で完結することだと思っている。周囲との関係が難しくなるとか、そういうことは申し訳ないが子どもが責任を負う問題ではなく、教職員がそうした古い価値観を払拭するべく指導を重ねるべきことだろう。まして子どもの発言は大人の都合の良いように(あなたのことを思ってとか言って)歪めるべきではない。この件はクラスの子を巡って同僚にもずいぶんガチで言ってきたことだ。宿題についても、委員会や局の要請や圧力によって学校が疲弊していることは気の毒だが、だからと言って、一律学力養成などというものを名目に個々の子どもに同じような内容を課すべきではないことは当たり前だ。何しろ「個別最適化」を文部科学省推奨する時代である。ぼくはそれなりに有名な教員でもあり、これまで学校への要望などは言い始めれば学校が気の毒なので自制してきたが、勉強も人間関係もゆっくりゆっくり学ぶ娘のことを温かく見守って励ましてもらえない状況が続くようなら、娘のために話せねばなるまいと思い始めている。
4 今日は、ここ。魚沼市。中学校。
5 今年も、講座に人が集まりにくい季節になってきた。
6 今日は、ここ。吹田市。小学校。
7 残念ながら動き出した汽車は止めるのが難しいのです。
8 石破さん、なんでここまで全部妥協になっちゃったのかな。
9 今日は、ここ。江古田。大学。
10 ブロムシュテット&ゲヴァントハウス。ジュピター。そういえば最晩年のスクロヴァチェフスキーもどんどん闊達で自在になっていった。2006年5月3日に聴いた快速のジュピター。あの演奏の感動を思い出した。
11 京都はぼくには限りなく遠い街だ。北海道で育ったぼくには、日本が遠い場所であることをいつもいつも思い知らされる場所である。
12 ずうっと寝ていた。
13 なんと素晴らしい。ブランデンブルグ協奏曲。今日の夜のご褒美だなあ。千葉の私立中高国語部とガチで話し合い。学芸大の院生さんと電車で1時間対話。夜は3人の先生とオンライン対話。江東区、仙台市、守谷市。猛烈な1日だった。これで21連勤、一旦終了。
14 袴田さん、よかったです。本当によかった
15 今日は全く外に出なかった。さっき外に出たら、雨が降っていた。とても寒かった。そうだ、もう10月だったんだな。部屋にこもっていたけれど、ほとんど何もできなかった。原稿も、最初の数行しか書けなかった。
16 これはまあ、雪虫じゃないんですよね、厳密には。ケヤキフシアブラムシ。トドノネオオワタムシはもっと情緒があるんだけどね・・・。
17 たとえ、不達となっても、誤配となっても、メッセージ(手紙)は送られるべきなのだ。そこにある感情は、どこにも行きつかなくても、表明されるべきものなのだ。
18 今日は、ここ。雨の東高円寺。小学校。
19 今日は、ここ。いすみ市。小学校。
20 夜は、数年ぶりのムジカーザ。風邪らしく、調子が悪い。ネットワークの座談会収録と時間が重なったが、こちらのチケットが先だった。ゆるして欲しい。
21 風邪だな。あまりよろしくないな。
22 今日は、ここ。江戸川区。小学校。
23 とても久しぶりなSalyu.
24 保守・革新という古臭い分け方を使うのもどうかと思ってはいるが、とりあえずそこは目をつぶっていただくとして・・・。革新(左派)からは革新内部(左派)の違いはよく見えても、保守内部(右派)の違いは見えない(関心がない)。保守(右派)からは保守内部の違いはよく見えていても、革新(左派)内部の違いは見えない(関心がない)。そういうことなんだなと思う。
25 今朝はミシェルベロフ。メシアン。ぼくは初めて聴いたメシアンが、幸せなことに、ベロフの演奏だったと思う。だからメシアンは今に至るまでずうっと最も美しい音楽の一つであり続ける。
26 それにしても、この数日、国語の権力性や差別性に向き合わされることが多くてしんどい。文章(原稿)を書くということは、ぼくには何から何まで苦しい行為だ。
27 久しぶりにバスに乗る。新幹線工事で札幌駅周辺は本当に不便になってしまった。しかも開業も延期で、ひどいものだ。駅から遥か遠くにバス停は散らばされ、バス会社はよく忍従しているなあと思う。
28 本当は、大彗星が見たいんだ。
29 話す聞く領域の登場がはっきりした時に、ぼくは北海道国語連盟の全道大会の旭川大会で、話す聞くの年間指導計画の試案を作って、それを提言資料にした。それを作っている過程で、なんでこんなことを国語でやらなくちゃいけないんだと、半ば呆れていた。当時ディベートを一所懸命やっていたぼくは、それをカリキュラムに位置付けられることだけは嬉しかったけれど。結局四半世紀経って、国語の授業の超絶の劣化は、危惧した通り、話す聞く領域の他領域へのおぞましいほどの侵食にあると思う。今や、書くも読むも、全部薄っぺらな話す聞く領域の授業みたいになってしまった。
30 これを見る。きみの色。
31 きみの色。観客はぼく含めて3人。間に合った。山田尚子監督らしい、全編繊細な感情に溢れた佳品。小さな劇場でやればよかったのにな。ひたすらゆったりとじんわりと、年寄りのぼくは、人生のさまざまな瞬間を不意に思い出して動けなくなりそうだったよ。
32結局、思想のない国語教育なんてあり得ない。当初は、思想だけ脱臭したふりをし続けていたわけだが、結果として、それがもうほとんどの先生には身体化されてしまって、もうまともな「読む」の授業なんて、誰もできなくなってしまった。