1 朝からデュリュフレ。レクイエム。
2 10月の1on1オンライン対話、46時間だった。体調が今ひとつの中で、それでもよく話し続けたと思う。
3 明日はある意味、天王山だな。コンサドーレがんばれ。
5 11月末まで今年度ぼくとばん走のお約束を交わした学校・団体・個人について優先予約。どうぞ該当の方、ご連絡ください。その後、12月の初めに新規募集。金額が上がりますので継続不可も多いでしょう。
6 財務省は金をケチりたいのだ。給特法そのものも向こう側から見ればこうなってくるとそもそも無駄な支出ってこと。
7 ターリヒ弦楽四重奏団。所沢ミューズ・マーキーホール。ほぼ満席。うまい。実にうまい。カニュカ、ふくよかな音。王道プログラム。アメリカも良かったが我が生涯よりが、ほんと素晴らしい。しかしあのタイミングのスマホはあり得ないな。。。後半は死と乙女!
8 右膝がまずいな。ここしばらくずうっとまずい。
9 白井さんが亡くなった。白井さんが亡くなってしまった。
10 最寄り駅にも柵が設置された。
11 ぼくは一貫して、スクール形式の座席配置は学習内容や方法に合わせた選択肢の一つだと話してきました。今、一貫してスクール形式でやり続ける教室以上に、それ以外の体系をデフォルトにしてスクール形式がない教室のことも気になっている。どちらか、ではない発想に立つのは難しい。また、専科制の侵食も社会の教室文化ベースの発想が変わらない中でとても難しい問題を多様に孕んでいると見ている。
12 やっぱり、おろち、だな。本当に怖かったもの。
13 少し過ぎてしまったが、11月5日は妹の誕生日だ。数字をほとんど覚えられないぼくだが、妹の誕生日は無くなって何年にもなるがちゃんと覚えている。
14 田舎に行くほど、駅と駅との間は遠くなる。
15 感情をぶつけられている、と感じたのは一度だけだ。もっともっと聴くべきだったのだと思う。ずうっと後になってから気がつくことばかりだ。
16 予想通り、トランプさんが勝ちそうですね。日本のリベラル層は、バイアスのかかった情報を浴び続けていることをそろそろ理解して、耳にしたくない情報に身を晒しながら考えなければならないと思う。ぼくは数年前から、キッパリとそうしている。
17 娘が算数で苦しんでいる。
18 学習指導案は大発明だったと思う。
でも既にフォーマットが劣化しすぎてしまったんだと思う。今の授業の変化に対応できるものでは、もう、ない。基本的にはいろんな学校で行われているような「修正」レベルで対応できるものではなかろう。
例えば、必ず課題が示されて、それに対応する評価が最後に示されるフォーマットは、授業の価値を決定的に総括的評価にのみ誘引する。
新しいものに古いフォーマットの修正で対応するのは、日本の社会そのものだなと思える。
多分、指導案をやめるところから、教師の技量形成を考えなくてはいけない。
19 ぼくも新自由主義は大嫌いだ。この数年で、自身の発想や方法が新自由主義そのものだったり大きな影響を受けたりしても無自覚な人がたくさんいることもわかった。高名な方や高い地位の方にも多いことも知った。
もちろんぼくも無自覚にたくさん毒されているのだろう。だから、他人事とは思っていない。
20 世紀の名盤を聴く。かの香織”fine”。特に"DEAR MY BUDDY"から”みちくさ”、そして”放課後のサブリナ”に至る流れは、80年代から90年代の空気感をそのままトレースしたようで、胸が締め付けられる。
21 膝のサポーターを買わなくちゃいけないな。
22 SNSで大噴火中「盗作」問題について少し。これは「デザイン・意匠の盗作」。完全な盗作・剽窃だ。
一方で、だが、そもそものデータに記載されていると思われる内容の多くはこれまで様々な教員が様々な書籍や講座で提案してきたものだろう。
ぼくが、著作に可能な限り実践の系譜にあたる出典情報を明示し続けてきた意味は、そういうことです。
教育書には今や、これまでの実践の劣化版が、文脈と切り出されて大量に流出している。「現場を今すぐ助けるために!」などを免罪符に、手間暇を惜しんで、先人の誰から学んだかも明示しない、文脈から切り取ってコピペし続ける。
そうしてきたことはブーメランになって返ってくるのですよ・・・。
23 わかってもらいにくい方のためにもう少し書く。仮に自分が子どもたちと格闘しながら編み出した結果でも、既に名前がついている手法であれば勝手な名前をつけて広めてはいけない。これは著作権保護とか仰々しい話ではなく、諸先輩、実践者へのリスペクトです。その美意識が受け継がれる限り、実践研究はある程度は「教育科学」の体裁を保ち続けられる。例えば「クロール」という泳ぎ方を自分が現場で発見して、独自の呼び名をクラスでつけるのは一向に構わないが、それを発表する「研究的実践者」になったなら、可能な限り既出の文献や情報にあたり、定着した呼称を見つけて語ることの手抜きは、結果として剽窃・盗作文化に加担することです。
24 今日は、ここ。アンドリューに会いに。ぼくは彼の絵をまとまった形で観るのは初めてだった。胸が詰まるほど感動した。大山崎美術館。
25 子どものことを全部知りたい欲望を手放せない限り「自由進度」学習にはならんよね。ならば全員で同じ問題をやって総括的評価(テスト)すればいいよ。築地久子さんみたいなことはできないから次の一手を考えてるんでしょうに。ましてテクノロジーで管理できそうなんでやり始めるならディストピアだね。
26 今日は、ここ。ミューザ川崎。ノット&東響。デュリュフレ。レクィエム。もう最初から泣きそうだ。
27 今日はとにかく朝からアレルギーがひどい。鼻水が出続ける
発言について「撤回」というのがよくわからない。もう口から飛び出してしまったものの何を「撤回」するというのだろう。なぜそんな言葉が自分の口からでてしまうのか。お詫びして、真剣に前近代的、差別的自分の内側を見つめる以外に、することなかろう。「作家」のはずの彼は自分の発した言葉は「撤回」できると素朴に信じているんだろうか。
28 久しぶりに、叱った。
29 頭数を揃える、ではなく、質を担保するも、とても重要なんです。
30 それにしても、ネット系右翼の方もネット系左翼の方も、放置が一番だと思うんだけどなぁ。
31 それにしても、兵庫県知事選挙のこの地獄絵図も、凝視するしかあるまい。よく見て考えるしかない。でも、ぼくもどこかでそろそろ、これまでとは違う形で声を出さねばならない。声を上げるのでも、黙ってプラカードを差し上げるのでもない。声を出す、のだ。