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1 若い人が投票に行くことはとても良いことだ。民主党に政権が動いた時も投票率は跳ね上がった。が、その後の失政は深刻な政治への失望につながってしまった。他の県のことではあるが、ぼくは斎藤さんではない候補が当選するといいなと思っていた。しかし多くの若者の投票行動は希望だと思う。
たとえば、パワハラ、公益通報者を保護しないなどの非人道的・非民主的な対応に、ぼくは全く納得していないが、それらの問題よりも別な問題を重視する流れが生まれていることの背景にまなざしを丁寧に向けないと、ぼくが願う政治状況は生まれないことを痛感している。
2 今日はこの後ジャンジャン降るはずだ。
3 うちの娘はまだフォルカー先生に出会っていない。
4 一度だけ、お話したことがあります。
今思えば、ぼくは、合唱団でいろんな経験をさせていただきました。
次々とぼくの青年時代につながる人たちが亡くなっていく中で、ぼくの人生も、残りは、ちょうどぼくが青年期から今までを過ごした時間くらいのものなんだと自覚するようになりました。
年数ではなく、歳月で、時間規模を理解するのが、ぼくです。
ありがとうございました。
5 「蹴っ飛ばされてきたものは蹴り返せばいいのだ」。
谷川さん、きっと蹴り飛ばしてみせますから、たくさんの仲間たちと一緒に。
6 全く書けない。寝るかな。
7 暗い気持ちになる時、ぼくは昔の、あまりにもうまくいかなかった青春時代から青年教師時代(おそらくは他の人よりも長かった時間、ぼくはゆっくりゆっくり歩いた人だったから)を思い出す。ぼく以上にゆっくり歩く娘に、若い日にあまり傷つかないで欲しいなあと、いつも思う。
8 サッカー日本代表。
かつてと決定的に違うのは、インタビューの内容のクリアさだな。
一人一人の話が実にクリアだし、よく喋る。試合の展開も、状況も、自分のプレイの質も、よくわかっているんだなと思う。
もちろん、インタビュアーの質問の質の高さもある。こちらも格段に上がったんだね。
9 名実ともに、うたの時代が終わったんだな。
10 文章を読むということのあらゆる面からの衰退、その大きな失敗を推進する強い力として、加担してもきたわけです。なぜあの時加担することになったのか。ぼく(ら)がどういう世界認識に、あの日立っていたのか。そのことはちゃんと記述されねばならないと思う。
11 どうしてぼくは学級通信を書こうと思ったんだろうか。
12 901号室のおばけ。柴田淳。4年ぶりの新作。
13 パウク。札響との共演がダメになって、結局聴くことができなかったご冥福を。バルトークの2番はこの演奏が一番。
14 若く野心に満ちていたぼく(ら)には何が見えていなかったのか。美しい物語としてではなく、また人生の後半にあけすけにやりがちな懐古的な懺悔でもなく。
楽譜を正確に書くように書かなければならないのだと思う。
15 一年ぶり。石狩市花川。大学。
16 そして、ここ。ブーニン。
17 note かあ。note が震源地か。。。難しいなあ。
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19 座りたいんだがなぁ。ゲルニカ(戸川純)聴いて、気を紛らわせる。
20 今日も、実にいろんなことを考える日だった。明日はどんな日になるのだろう。
21 1時間目の授業は刺激的だった。りんちゃんの「フクシマを持ち寄る」の授業との差異についてもずうっと考えていた。
22 授業づくりネットワーク次号の巻頭言をこの時間になんとか書き上げた。今回はほぼ書き上げていたものを全部捨ててもう一回書き直した。苦心惨憺の4ページだ。最終的な巻頭言のタイトルは、ビジュアル表示からさらに変更して、「教える」と「学ぶ」に橋を架ける、としました。
23 昨日から三人もの方にオンラインの日程を調整していただいて、授業づくりネットワーク次号の巻頭言が書き上がった。ぼくらの団体を作った初代代表は、戦後教育の巨大な転換点になった彼の連載での提案原稿をギリギリに入稿したと聴いたことがある。ぼくはそれを聴いて物議を醸す内容に編集の手が入らないようにするためだろうと思った。でもきっと違うのかも知れないとふと今朝思った。彼はギリギリまでどう書くか悩んだのかも知れない。悩んで書き直し続けていたのかも知れない。
24 秋は、クラスづくりと同様、学校づくりの刈り取り・収穫の季節でもある。
クラスでは、この時期に担任の叱責が増えて子どもたちとの関わりがギクシャクし、子どもたちの心が離れていってしまう。
同様の現象は、職員室でも起きる。
ただ、職員室は大人の集団だ。袋小路に陥っている管理職に、職員がクラスの子どものように陰口と口ごたえをして、結果みんなでダメになっていくことは避けたいものだ。
25 総合的な学習の時間が登場した時。文部科学省は「生きる力」を前面に推し進め、個々の学校のカリキュラム裁量権を広げようとした。ぼくのように教科の枠組みに収まらない学びにチャレンジしたかった人たちには本当にありがたいことだった。が、多くの学校にも教員個人にも正直言って新たな苦行だったのだろうと思う。学校独自のカリキュラムを作成することになるので、同時に「説明責任(アカウンタビリティ)」が求められた。これは、防御・対策のためではなく、積極的な広報活動が推奨されたということだったのだが、学校側はPL法の学校版のように捉えていたと思う。今の保護者クレーム対応の渦は、この辺りからのしくじりの延長線上にある。
26 今週もひたすらユニークな現場に入り続けた。今週は一緒に見てくれる人がいて、ありがたかった。ぼくの見る力は知れている。ぼくと一緒に見たいと言って行動を共にしてくれる方々がいることは、ぼくにとって、いつも大きな、心の支えになっている。
27 時々スマホを思いっきり遠くまで、投げたくなる。
28 早朝家を出て、成田から新千歳。エアポートで手稲へ。今年は飛び飛びの日程になってしまった大学での講義の2回目。3回目は12月末になってしまう。今日はものづくり国語をメインに据えた協同学習。授業もずいぶん変わってきたんだよってことが体験的に伝わるといいのだが。
29 手稲。雪が降り始めた。豪雪予想の冬は今日からスタートだ。
30 今日の講義(演習)、とても楽しかったなあ。学生さんは希望だ。どの子にも一人一人未来があるんだな。
31 ぼくは薄情な人間だ。数えきれない多くの人に出会い、相手はぼくをよく覚えていることも多いのに、ぼくはその人たちの多くをしっかりと思い出すことができない。北海道に戻ってくるといろんな場所で、例えば列車の中で例えば交差点で例えばふと入った店で、人生のどこかである時期ぼくの活動を思いを支えてくれた人ではないかと思う人に会う。向こうの表情に一瞬ぼくと認めたそぶりを見せることも多いのに、ぼくはたくさんたくさん失礼してしまう。
32 今日は左膝だけでなく右膝も痛む。サポーターを持ってくればよかったな。数日前に見た膝にサポーターを付けたおじさんの姿がとてもとてもみずぼらしく見えてしまった。それで持ってこなかったんだよな。ぼくも隠しようもなくみすぼらしい初老のおじさんだと言うのに。
33 とりあえず寝よう。
34 魚は、頭から腐る。そうだな。
35 追悼石川郁夫「その人と作品を語る集い」。これ、ぼくが最後にしゃべるのは、なかなか負担だなぁ。
36 Aooo
疾走感。石野理子素晴らしい。
37 11月の1on1オンライン対話は35時間だった。おそらく、コロナ以降最も少なかった。ぼくの原稿執筆の遅れで、数名の方に日程を調整していただいたとは言え、16件のキャンセルはそれぞれの先生の身の上に降りかかる厳しい状況をよく表している数字なんだろうと思う。苦しいね。