2022年4月からのばん走について(1/20付)

2021年11月に次年度の方向・内容について下記にまとめました。

さて、それで、具体的なことが決まってきましたので、お知らせします。

まず月曜日から水曜日に入る小学校は横浜の公立小学校。ぼくが暮らしているところからは少し遠いですが頑張って通います。

ついで、ばん走をご希望される方は、下記の日程をご覧いただいて早急にお知らせください。「東日本」「西日本」「全国」などと書いてあるところが入ることのできる数少ない日程です。

代わりと言ってはなんですが、夏休みの学校研修は次年度は積極的に引き受けます。1日研修でもOKです。遠慮なくご相談ください。1日研修でも学校ばん走と条件は同じです。すでにいくつか打診をいただいています。

なお、表にない、木曜日金曜日については、要相談です。調整は可能です。熱意や事情・金銭的条件によっては、入らせていただきます。

なお、下記はまだ仮決めです。おそらく3月から4月一週にかけて、折り合いがつかず、日程をリリースする学校・個人が出てくると思います。その場合すぐに情報開示しますので、そのタイミングでマッチングできる場合があると思います。

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おそらくは、猛烈に場違いな原稿を載せていただいている。

算数の授業中、どうしても落ち着かず教室内をぐるぐる立ち歩き始め、周囲の子どもにも話しかけたり関わったりしようとする場面も見られる。「どうしても落ち着いて説明が聞けないようなら、廊下で少しクールダウンしようか」と先生に言われ、「○○(先生 の名前)クソだ、クソだ」とぶつぶつ呟きながらも、自分専用のタブレットを持って廊下に出る. 。廊下に出たその子は、入口付近の床に座り、タブレットをいじり始める。もっとも何かを熱心に見たりしているわけではない。全然楽しそうではない。その子のそばにそうっと寄って行って座り,インタビューする.。

「算数の授業面白くないのかい?」
「算数だけじゃない,他の授業も」
「好きな授業はあるの?」
「ない」
「学校でどんなことができれば楽しく通えそう?」
YouTube とか,時間に関係なく見れればいい」

・・・・・・

 

旭川駅のイオンのフードコートの真ん中でこの記事を書いています。

そこにはフードコート唯一の電源テーブルがあり、ここが開設された当初は若者がいつもここを占拠していました。でも、コロナが始まる少し前くらいから、ここに座り、フードコートではなく、イオンの食品コーナーや周辺のショッピングセンターで購入した安い惣菜を持ち込んでスマホを充電しながら座っている高齢者の姿をたくさん見るようになりました。

今日は旭川の最低気温は氷点下12度くらい。この時期の旭川なら普通の気温だけれど外で過ごすのは厳しい。今ぼくの横に座ってスマホを見ているおばあちゃんもまさにそういう一人で、よく見ると、カラオケショップ(まねきねこ)の手拭きがあり、大きな荷物をイオンのカートに載せている。メガネをずらして、数センチの距離まで目を近づけてスマホで何かを見ている。その姿は、多分、この国に生きる限りにおいてすぐ未来のぼくの姿でもあるだろうと、容易に想像しうるわけです。

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国際大学GLOCOMの豊福晋平さんが、『智場NO.124』への原稿依頼をくださいました。「晋さんの見ているものを、ICTとかにこだわらず書いてください」という依頼。おそらくは、猛烈に場違いな原稿だと思うのだけれど、それがこの本にあるべきだと考えた豊福さんに深い敬意を表します。

みなさん、ぜひ読んでみてください。

 

今日という日に

今日の自分に。いつも音楽を探して最後にたどり着く一枚、世界最高峰のピアノコンチェルト録音を。

コンチェルトが好きだ。ピアノコンチェルトの録音にしても、本当に素晴らしいものがたくさん残されている。だが、それらの中でも今のところ、そしておそらくこれからも、これを超えるものは自分の中にはないだろうと思っている名盤である。

四捨五入すれば今日で還暦だ。

夕方に生まれたのだと、聴いたことがある。本当だろうか。

 

最近読んだ本から その34

これは、コロナウィルスと向き合う今だからこそ、経営・雇用・資本・経済…そういったものについて、日本の歩みをちゃんと振り返ってみようという本だった。別にコロナウィルス感染が広がる今だから慌てて過去から学ぶのではなく、目の前のことを、過去を参照しながら考えていくのはいつにおいても当たり前のことだ。その作法を専門家としての視点を大切にしながら差し出してみせてくれる一冊ということになる。それにしても専門を突き詰めて考えていくということは、いつもどこかユーモラスだ。学問を軽視するという態度は、この探究に伴うユーモアを排除することでもあるのだと痛感する。

ぼくにとって特別に大切な絵本。絵本を大切にしてきた人には、一冊一冊にしばしば、特別な感情や場面や体験が伴っている。

先日関西の小学校で読み聞かせした絵本たち。

 

歩いて行き来する

車をやめたので、1キロと少しの雪道を歩いて、うららの小学校まで出掛ける。参観日だ。うららは昨年4月の転校以来、新しい学校に馴染めず苦労している。ぼくにとっての小学校4年生は半年間に及ぶ厳しいいじめに直面した学年だった。だからというわけでもないが、4年生になったうららのことについて、いじめられているわけではないし、まあいろんなタイミングや折り合いがうまくいかなくて、孤立傾向になったりするのは、担任が悪いわけでもクラスメイトが悪いわけでも本人が悪いわけでもないと思っている。そういう一年間も、人生には確実にあるということだ。

様々な学校に入ると、「参観日に石川先生に授業を観に来られたら担任もううって思うかも知れませんね」とか「参観日で石川先生は教室や授業のいろんなことが気になって話したくなるでしょう」とか聞かれることがある。

確かにぼくは一応その分野のプロだから、授業を観ながらいろいろ思うことはある。だが、それよりも何よりも、これだけの子どもたちと(それは人数の多少の問題ではないのだが)一年間向かい合いながら授業・教室を展開していく担任(ここでいう担任とは、当たり前だが、教科担任も、個別支援で入り込む教員も含めている)はすごいなあということを思う。ありがたい、と思う。

ぼくはたくさんの教員と日々関わっている。学校運営や学年運営、教室経営、個々の授業の進め方などについて、ばん走しながら様々なことを一緒に考える仕事をしている。しかし、いつも思うのは、この子たちのことを誰よりも広く深く知っているのは担任の先生だなということだ。ぽっと学校や教室に入ったぼくには到底及びもつかない広さと深さを背景に担任は子どもたちと接している。担任は自分が担当する子どもたち理解のプロなのだ。それが学校の先生という仕事の一番重要で本質的な価値のところなのだと思う。もちろん子ども理解には果てがないが、でもとにかく目の前の子どもたちと毎日毎日向き合って過ごしていく、そこにおいて、担任を超えるどんな権威も教育システムもない。

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息子や娘の学校の様々なことを、不満や批判、当惑など様々なネガティブな感情を持って、SNSに表出する学校関係者もいる。そのことそのものについて、個々の文脈を共有しているわけではないから、ぼくには否定はできない。ただ、ぼくは多分、決してそのようには書かないと思う。

ぼくは50歳で一度教職を降りて今の仕事をしている。また再び現場で授業をする道を選ぼうとしてはいる。が、ぼくの目の前の担任の先生は、65歳までの時間を多分完走するのだろう。ぼくの知らない経験しない15年間をさらに日々に耐えようとされているのだと思うと、心が震える。教員とは、すごい仕事である。

ちょっと陽に当たってぼやけてきてるけど、多分タヌキの足跡だ。この街には、タヌキが住んでいる。

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今後のリアル講座(1月22日現在)

3コロナで学校訪問もいくつか中止になり、ぼくの動向も変えざるを得ない状況になっています。現在開催しようと思っているのは下記のものです。まだ中止が出てくると思いますが、ぜひ可能な限りお会いしたいと思っています。

22/1/23 日曜日 連続講座20(名寄)

22/1/30日曜日 連続講座21(新大阪)

22/2/8 火曜日 連続講座23(あざみ野)

22/2/9 水曜日 連続講座24(国立)

22/2/14  月曜日連続講座25(奈良)

22/2/23 水曜日連続講座26(稚内

22/2/27 日曜日連続講座27(名寄)

22/3/3 木曜日 連続講座28(園田)

coming soon

22/3/18 金曜日 連続講座29(本八幡

coming soon

22/3/21 月祝日 連続講座30(大宮)

comin soon

22/3/22 火曜日 連続講座31(新山口

coming soon

22/3/23 水曜日 連続講座32(博多)

coming soon

22/3/27 日曜日 連続講座33(札幌)

coming soon

22/3/29 火曜日 連続講座34(国立)

coming soon

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すぽんじのこころでつぶやく 2022年1月上旬

1 同じものを見ているのに、どうしてこんなに違ってしまうのだろうと思うことはよくあるが、それは当たり前のことなのである。当たり前がそもそもみんな違っているわけだから。

2 ちょんせいこさんと出す予定の国語の本。企画が上がり執筆に取り掛かり、もう4年になっているだろうか・・・。これをちゃんと出版すると決める。これを出さないと次に進めない。今日は数十項目ある「註」のうちの3分の1を書いた。原稿も古くなってしまっているところもある。直さなければならない。

3 ぼくは、来年度から現場に半分戻れるわけだが、おそらく「探究」も「個別最適な学び」もしないと思う。ただただちゃんと腰を据えて「授業」をするのだと思う。「探究」も「個別最適な学び」も目指すものではなく、結果としてそうなったものにつけられた暫定的な名称に過ぎない。「目指した結果実現したと称されるもの」のほとんどがろくでもないものになることは、歴史が雄弁に証明してきているはずだ。

4 彼を一時でももてはやしたぼく(ら)の責任は重い。いつかどこかで自分の責任も果たさなくてはとずうっと思っています

5 フリッチャイ&ベルリンフィル新世界より

6 ぼくがここしばらく方々で見ている「評価」に伴う激症は教師自身の「子どものことを知らないと気が済まない病」と「評価の妥当性への疑問を突かれたくない病」の合併症だろう。評価(特に総括的評価)は子どもが納得しているかどうかでしょ? 評価者被評価者の信頼がベースにあるかどうかに尽きる。

7 繰り返し書いてきたことだが。個別最適な学びは、真面目な教師によって、詳細なカンファランス的アプローチや詳述されたルーブリックアプローチになっていきがちだ。それは生徒指導でスカート丈まで測るようになったあの馬鹿馬鹿しさと紙一重だ。子どもは大人に「生暖かく」見守られたい存在なのでは?

8 暑さ寒さも彼岸まで。とすると老いて死ぬとはその暑さ寒さが分からなくなる向こう側(彼岸)へ行くってことか。今朝は寒かったのに寝ている時全くそう感じなかった。目のひどい痛みは風呂に入ると治った。身体の冷えに気が付かない彼岸の身体。死に向かっていくとはそういうこと。今日は亡き母の誕生日。

9 あすから1on1オンライン対話スタート。実は1on1対話には課題がある。とにかくお腹が空くので終わった後深夜に食べ過ぎるのだ。対話はシビアなものも多くすぐに眠れないこともその状況を助長。大きな課題だ。ほとんどの対話にメモを残し共有する。昨年メモは1000を超える。頭は栄養を必要とするんだ。

10 セブンイレブンまで歩いていくと、雪道を向こうへと動物の足跡がたくさん続いていた。タヌキだ。

11 電子ケトルにしようかなと思いながら、何年も使っているやかんに申し訳なくてずうっとそのままにしている。

12 本州はもう学校が始まるんだな。北海道の学校がよかったのはこの3学期始まりの遅さだ。ぼくは在職時はこの時差を利用して本州の先生の教室やフリースクールを見せていただいた。逆に夏休み終わりは半月早いから、本州の先生は北海道の気になる教室があればその時期に観に行けばいいのになと思う。

13 「教室で、暮らすように過ごす」は文字通り比喩なのだ。教室はどこまで行っても暮らす場所にはならない。そういう当たり前の前提があってはじめて「教室で、暮らすように過ごす」の比喩が成立し、しかもその言葉の重みが了解される。

14 秀逸な比喩がいつの間にか現実と入れ替わって雄弁に語り始める場面に時々出くわす。もちろん秀逸な比喩は現実世界を拡張したり時には変えたりする力を持っているのだが、それが元々比喩であったことはやはり心に留めておかなければならない。

15 新しい実践に取り組むたびに、少なからぬ同僚を苦しめることになった。原稿を書くたびに、誰かを傷つけることになった。若い時はそれでもいいといきがって思っていた。後年は、いつもいつも申し訳ないと思っていたし、苦しかった。

16 100メートル先のゴミステーションにゴミを出す。氷点下24℃。死を感じるほどのこの恐ろしい青空の下で生きている生物たちの凄み。フォーレのレクイエム。今日はずいぶん久しぶりにアンゲルブレシュトで。らんちゅうと聴く。

17 ぼくはずうっと考えている人が好きだ。すぐにわかったという人が苦手だ。ずうっと思索し続ける人に憧れるし、自分もそうでありたいと思っている。

18 『わかるさんすう1 』「こどもがでてくるひきざんのもんだいをつくりましょう」。うららは「でてくる?」と問い返します。『でてくるは、使ってという意味だよ』というと「ああ」と言う。おもしろいね。なぜ前のたしざんの問題で、車庫から自動車が出てきますと説明したのか理由がわかった。

19 朝からお二人と。お二人とも採用3年目。若武者だ。最近の若手の先生に「武者」という言葉が重なることは少ないか。議論の場をを迂回するから…。健全な論争か。教育論争多くは不毛な展開という指摘もあるがでも明らかにかつての方が質も互いへのリスペクトの点でも健全な論争が展開されていたようだ。

20 学校単位・地域単位での変革。僕はキーマンが去った後の継続性にのみ関心がある。継続「性」なのは、同じことのやり続けではなく、変革のマインドの継続がなされているかという意味だからだ。目鼻立ちのくっきりしたリーダーがブイブイ席巻した後、草も生えない荒野になる例をたくさん知っている。ぼく自身も、ほとんどうまくいかなかった、ということ。自戒です。

21 マイマイガの大発生が、幼虫に着く菌?の増殖によって、まさに不意に終わるのを目にしたことがある。それは本当に不思議な光景だった。コロナも間違いなく人為ではなく自然の摂理によって終わるのだと思う。

22 CLPの件非常に深刻。立憲民主党の対応の鈍さも十分に幻滅と諦めを感じるに足る状況。ぼくのように思想的にはリベラルからレフトに寄るポジションの者に議会制民主主義における投票先が見通せない状況は甚大だ。雑駁に言えば右も左もちゃんとあるから選択も成立する。今のこの状況はもう絶望に近い。ぼくの場合はだからと言って、山本さん的なポピュリズムには与したくない。そうした振れ幅で物事を判断するのは、少なくとも政治的には成功例はないと思っている。

23 体調の悪い1日だった。とても悲しい連絡も一つあった。とことん難しい仕事になった、教員は。諦めてはいけないが、休息が必要だ。

24 何をするにも体力が必要なのだ。無論それは気力ともくっついているから、結局一年間質を保って持続可能に働き続けるには、しっかりした体力が必要ってことなのだ。

25 ただ、ぼくは絵本にはちゃんと良し悪しがあると思っています。読み聞かせでは、選球眼を研ぎ澄ましています。絵本としてはまるでダメなものはちゃんとあります。この辺りは今結構深刻な問題をはらんでると思ってます。

26 以前に子どもたちと星占い作文を書いていて、都合の良い占い結果を書き上げるのはたやすいと実感しあった。一方で野口芳宏さんに指摘されたのだが「上手に書く(書かせる)」のは、ここにも相当の技術・熟練の技があるのだった。

27 マタンゴがトレンドに・・・.

28 大雪でいろんな予定がズタズタに。ここにはまだいないはずだった仙台で朝を迎える。1on1オンライン対話の予定も変更になる。快く変更を受けてくださったみなさんに深く感謝。学校訪問調整も必要になりそちらはこれから。おそらくオミクロンでの変更も出てくるのだろうな…。仕方がないことばかりだ。

29 それは誰に対する親切心なのだろうか。

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アートを旅する 2022年1月上旬

・神田一明、日勝展(道立旭川美術館)。

一明さんの画業を一望することができた。見応え十分。ぼくは、ある時期の一明さんの作品しか知らなかったんだなと再認識した。日勝はその早過ぎる詩も含めて話題に上ることしきりだが、長く描き続けてきた一明作品には、ちゃんと長く生きてきた人にしかない腕前と物語とがある。併設展の北海道の美術1950−70もとても良かった。実家を片付けるたびに目にしてきた菅原弘記作品を美術館で改まった形で見ると不思議な感じがする。我が家の弘記作品は、改めてすごい作品である。

・「アフリカの蝶切手」「カメイコレクション展 Ⅲ期」「世界の蝶」、令和の「新しい伝統こけし展」(カメイ美術館)

豪雪の中で、札幌行きをあきらめ、仙台に戻る。せっかくなので、前から気になっていたカメイ美術館。これはもう、ものすごいぞ。もうほんとすごいのだ。「蒐集家」とは、なんと奇特で横暴で、そして美しいのだろう。亀井文蔵、亀井昭伍の二代にわたる圧倒的な蒐集を見ながら、これは二人の人物の宇宙に出会っているんだな、と思う。仙台に来た人は、きっと見た方がいい。


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最近読んだ本から その33

昔読んだ時は、何にもわかっちゃいなかったのだと思う。一言一言が沁みる。まさに至言。しかも圧倒的な先見性。こういう本を人生の中で一冊でいいから書き残したいと思う。おそらくは人生の途上でまたいつか読み直し、また自分の浅薄さと向き合って、打ちひしがれるのだろう。

ぼくは小さな頃からずいぶん後藤さんに可愛がってもらった。久しぶりに読む1ねん1くみシリーズの本、そこに描かれている風景は、校長先生と担任と子どもたちの小さなせめぎ合いなのに、なぜこんなにユーモラスでやさしいのだろう。同じことが今も学校ではたくさん起こっていると思うのだが、何が違ってしまったのだろう。

 

最近読んだ本から その32

すみっコぐらしは、なぜこんなに地味に受けているのだろう。すみっコたちに「落ち込むこともあるけれど・・・みんないっしょ だいじょうぶだよ」とか別に言ってもらわなくてもいいが、現象としてのすみっコの隅っこでのブームにはとても関心がある。

もう何度目かな。友達を上手に作れないうららへの読み聞かせ。岩瀬成子は児童文学の世界の極北の一つを成していると思う。