役に立たないとダメなのでしょうか・・・フレデリックよ、フレデリックよ

数多ある絵本の中で一冊だけ選んでくださいと言われたら、ぼくは悩んだ末に、きっとフレデリックを選ぶと思う。(実際最初の結婚式の時に、お土産として用意したのは、この絵本と、キーツのゆきのひ、だったと思う)

フレデリック―ちょっとかわったのねずみのはなし
 

周知のことだと思うが、この作品の中のフレデリックは、実質的には何の役にも立たない。最後に素晴らしい詩を読むけれど、だからと言って、周りのネズミたちはおろか、自分自身のひもじささえ解消されない。ひょっとして、このまま冬の寒さが長引けば、あの絵本の描かれなかった次のページで、ネズミたちはみんな餓死しているかも知れない。

では、フレデリックは、本当に「何の役にも立たない」存在なのか。あるいは役に立たない存在と見えるフレデリックのような存在は必要ないのか。

ここに、詩や文学や芸術やある種の学問・・・おおよそは人文、が、直接的にひもじさや社会変革に寄与するものでなければならないということを前提に論法を進めようとする人たちとのどうしようもない断絶がある。そして、それを理解してもらうことはかなり絶望的だが、「それだけではないのですよ」となんとかアプローチしようとするのもまた、人文の側ばかりなのである。というか、人文の仕事というのは、そもそもそういうものなのかも、と思う。

明日の横浜の講座では、フレデリックを読もうと思う。何年ぶりだろう。