すぽんじのこころでつぶやく 2021年12月初旬

1 エヴァ・ポブウォッカショパンピアノソナタ3番。

 

2 ぼくのエンドユーザーは、子どもではなくて教師なんです。

 

3 今日の河内松原の学校での授業(プラタナスの木)は本気で『なってみる学び』を読み解いてチャレンジしていた。2年目の先生とそれを支える中堅の先生のトライに胸が熱くなってしまった。ぼくでは力不足な一時間二十分、でも精一杯一緒に動きながら検討した。授業も2本させていただいた。

 

4 大好きな、プレミアムカー

 

5 ザ・タロー・シンガーズ。小さな空。

 

6 京都の大学。講義をしながらたくさん刺激をいただく。ロレンゾの、ぼくの定番道徳授業。昨日は学生さんからのフィードバックにとても揺さぶられた。いやあ、ありがたかった。人間ルーラーではなく、葛藤のトンネルを当初選択していたことには、自分の中の勘が働いていたんだ。気付かされる。

 

7 京都はぼくが生まれ育った場所とは全然違うな。ここで生まれ育った人たちは、やっぱり北海道のぼくとは違うメンタリティを宿すだろうな。久しぶりに日なかを歩く。

 

8 京都のバスの運転手の車内放送は音楽に聴こえる。 ♪うしろとびらがしまりませーん、もういっぽまえにでてくださーい。

 

9 おや、つぐみが鳴いている。

 

10 奈良フィル。第九。ハイドン軍隊は残念ながら退屈。音量が足りない。第九は力演。指揮の長峰大輔さんは超快速を選択。これでオケが息を吹き返す。市民合唱団もややフラット気味だが力演。ソリストはさすがの三原剛さん。テノールの田代さんは不調。ドンマイ、どこかで良い時を聴かせていただきます。

 

11 エルンスト・オッテンザマー(クラリネット)/ヨハネス・ヴィルトナー(指揮)/ガブリエル・マーティン(オーボエ)/シュテパン・トゥルノフスキー(ファゴット)/ウィーン・モーツァルト・アカデミー。今朝はこれから。どの演奏も穏やかで安定の名演。

 

12 頭が痛いな・・・次年度は、一月に入ってからの日程検討に入った学校・個人の調整は、とても付けられそうにないぞ・・・。

 

13 大切にされてはいないんだなと思うことは無論ある。そういう時はまあ目をつむる。距離は時間と共に変わっていく生き物みたいなもの。その時本当に必要とされていた、それは本当だ。そこからいろんなものが遠くなっていくことをぼくの仕事は静かに受け入れねばならない、むしろ喜ばしいこととして。

 

14 今日は珍しくスマホ(キャリアなし端末だが)を自宅に忘れてしまった。乗り換えもわからなくて不便。でも、びっしり本が読めた。この方がいいなあと思う。

 

15 子どもたちは一斉授業的・従来の教室的なデザイン、一斉授業的・従来の教室指導的な声掛けや声質の前で、見事に一斉授業的な身体になると感じている。これは本当に凄まじく、そうなのだ。同化するにせよ、拒否するにせよ。

 

16 ぼくは人生の中で後何回イヤホンの絡まりをほどく朝を過ごすのだろう。3年間お世話になった江戸川区の小学校のばん走も今日で一区切りになった。ずっと演劇的なアプローチにチャレンジしてくださってきたが、今日は心が震えるくらい素晴らしい授業だった。感謝。本当に何者かもわからぬぼくに賭けてくれて感謝。

 

17 誰とでも議論して傷ついたりはしない。というか議論するまでもないことまで議論するのは「議論の文化」なんかじゃない。

 

18 通級も固定級も個別支援も巡回指導も、通常級に子どもを戻すための下請けじゃないんだぞ 怒

 

19 あざみ野、5名の先生と。今日はちょっといつもとは趣向を変えて進めたが、なかなか良かった。この方法、少しやってみよう。夜はオンラインお一人。しんどさが伝わってくる・・・。大変だな。明朝はお二人。

 

20 朝から、FBで。尊敬する先生の授業参観報告を見て、少し複雑な気持ちになる。「優れた実践」とはなんだろう。そういうことを考えて心がぐさぐさする。もやもや、ではない。ぐさぐさである。

 

21 今日は都内の老舗の私学。低学年棟にシンボリックな中庭。砂場や遊具で、木漏れ日の下、木の葉に包まれながら、歓声を上げて子どもたちが遊ぶ。樹上にはひっきりなしにヒヨドリ。ここでは鳥たちは逃げないのだ。

 

22 ぼくは学生を育てるということについては、継続的にどっぷりやりたいという思いは相対的には低いんだなと、自分と対話しつつ今のところそう感じている。

 

23 SNSを介して学生の思いに触れ、支援要請を受け入れて協力する。するとしばしば別な企業、個人、団体からアプローチがある。難しい。学生や若手イノベーターのすぐ外側に「金」を巡る策謀が渦巻いているんだなあと実感する。それを用心深く排除していくのは学生や若手には難しいことだろう、とも思う。

1on1オンライン対話。昨日の夜は三人。今朝はお二人。しかし辿り着けたのは五人のうちお二人だけでした。しんどい季節です。みんな、なんとかなんとかしのいで欲しい。この時期の感じを「しのぐ」という言葉で表現した野中信行さんのセンスは残念ながら一層輝く状況になっている。。。

 

24 ぼくはぼくのところまで辿り着けた人しか助けられない。正確に書けば、辿り着けた人のうちのさらに少数の人を助けられる可能性がある。

 

25 小谷美紗子が沁みる。ピアノの和音一つ一つが杭になる。

 

26 いろんなことへの無力感を、建設的に積み重ねた1日。札響の第九は、広上さん、厚みのあるダンス。ああ劇音楽なのかも、と思った、そんなことを思ったのは初めてだったと思う。合唱団はいまひとつ。ソリストは声質は苦手だったが、良かった。

 

27 ぼくは50歳になって東京に出てきた。出てくるまで、ぼくは日本が本当はどんな国なのか知らなかった。日本は差別と貧富、不平等の国でした。土や風や緑や生き物、そして人は全く大事されていない国でした。

 

28 別に死にたかったわけじゃないのに、気づいたら(気付くことなく)飛び込んでいたという人もいるのだろう。電車の灯に眩惑されて。眩惑とは、まあそういうこと。人もまた蛾のようなものか、時として。

 

29 Mr.children“SOUNDTRACKS”

 

30 毎日毎日、小さな跳躍を繰り返す仕事なのである。

 

31 久しぶりの文芸研の詩の授業だった。しみじみよかった。一貫した社会認識を背景とした授業。授業がアート(芸術)なのである。

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