すぽんじのこころでつぶやく 2023年3月下旬

1 ぼくは十分に「構造」に「絶望」しているが、でも、自分の地上戦を戦うことが、戦いだと知っている。

 

2 今年度のばん走(だけではないのだが)状況を整理した。延べだが、小中高100校、大学・センター等13施設、民間研修会62回。このうちオンラインのものは記憶も曖昧だが3、4回だ(そのくらいオンラインの場については印象が薄いということ)。つまりほぼ全部現地に赴いたということになる。まあ横浜で月ー水は基本、小学校に入っていることを考えれば、十分すぎる数かな。

 

3 さて、今年学校で関わりのある児童の皆様、多分、そのご本人ではないかという方から、フォローなどが入る時期になりました。基本的には、義務教育相当の時期が終わるまでは、こちらからフォロー返しはせず、ご返信なども差し上げませんので、悪しからずご了承ください。

 

4 内ゲバ当事者は相手は自分とは全然違うと主張するわけで、内ゲバかどうかは外にいる人にどう「見えているか」なんだ。内ゲバっぽく見え始めると、内心での支援や同情を寄せていた多くの人たちはどんどん立ち去ってしまう。

 

5 日韓首脳会談はとてもよかったと思う。隣の国と回覧板も回さないような状況が良いわけがない。

 

6 NHK朝のニュース。新潟少年院10代青年たち。1/5が特殊詐欺関連。彼らに教官が「授業」をしている映像があったのだが、おそらく元々学校の授業にも前向きではなかった彼らにとって、この授業は難しいだろうなあと率直に思う。授業が「罰」になってしまう感じは厳しいなあ。できることがありそうだな。

 

7 あさイチ福原遥さんを見ながら、芝居を生きる、ということばが浮かんできた。まいんちゃんから、ずうっと見てきたぼくも含めた「お茶の間」(死語だが、この場合ぴったりだ)の人々は、福原さんの覚悟に感動しているだろう。

 

8 そうか、「過剰品質」って言葉で説明するのか。どういう切り口で説明するかで、事態の理解も、深刻性そのものの角度(見え方の角度)も、全然違ってきちゃうな。

 

9 みんないろんなことに腹を立てたり、がっかりしたりしているんだな。

 

10 キレンジャク。シベリアに帰るんだね。

 

11 今朝6時のお約束の方はお時間に現れず。いつも10分ルールを決めていて、10分経って辿り着けなかった方には、「次回の日程をまた調整しましょうね」とメッセージを送ることにしています。次があるということがどれほど安心なことであるか、ぼくがたくさんの先輩にしていただいてきたことです。

 

12 雪がすごい勢いで解けていくな。

 

13 ずうっと粘り強く対応し続ける大庭さんに、驚嘆しながら、昨日今日とタイムラインを見ている。

 

14 らんちゅうはね、腎臓が悪いんです。老猫なんだね。以前からぼくが来ると、風呂場にダッシュして、風呂場の蛇口で水を飲ませるよう要求するのですが、最近はその頻度が多くなってきました。

 

15 いつも晋の字を普と間違えられるのですが、石川の川を間違えられたのは新鮮でした。 笑

 

16 多くの方がぼくに依頼をしてくださるのですが、ほとんどお引き受けできない感じです。ぼくは今、まとまった時間を自分の現場以外のところに向けるのが困難で、事実そういうことで書籍の発刊などもほぼありません。ぼくの学校に来ていただくか、ばん走現場に来ていただくのが一番です。あとは、授業づくりネットワークを読んでほしい 笑

 

17 多一さんが亡くなりました。若い日のぼくを日本児童文学者協会の会員に推挙してくれたのは、多一さんと柴村紀代さんでした。ぼくは、彼らの願いや期待には応える道を選びませんでしたが、公私に渡りたくさんお世話になりました。ありがとうございました。

 

18 スキー場はもう今季営業終了なので、スロープは貸切だった。入口の簡素なゲートは車が入れないように施錠がされているだけで、歩いて入る。達郎の歌に、真夜中の遊園地に忍び込むのがあったね。残念ながら「錆び付いた金網」はない。

 

19 残雪のピヤシリは実に勇壮である。

 

20 ぼくはいつまでも、ここに、います。

 

21 いかに「国語っぽく」するか。

 

22 かつて一番ルーズだった国語という教科は今や一番不自由になっているのかも知れない。

 

23 ぼくの講座はぼくの半径数メートルのところでしか開けない。だから時々遥か遠くから来てくださる方もいる。研究者や常勤ではない働き方を選択している方はいいのだけれど…ありがたいと思いつつ、でもかつての民間研修会でたくさん出会った「研修ジプシー」の姿を思い浮かべてしまうこともある。学ぶ人誰もが通る道なのかも知れないが、結局地に足を付けて自分の現場の半径で学ぶ人、学びの場を作る人が、たくさんの花をひらいていくと、思う。大きな研修会開催や、オンラインでどこでも誰でも参加みたいなのに関心を向けないのは、日常の場所で熱の伝わる距離で、の学びを大切にしたいからだ。学びたい人は自分で本気で学びの場を作ることにエネルギーを注いでほしいなあと思う。大変だけど絶対その方がいい。ぼくも協力する。明日が卒業式や終業式という方が参加申し込みされる。それは多分今日は来ちゃダメだよ…どうぞどうぞドタキャンしてください。ぼくの講座にそこまでの熱を入れてくれることは本当にありがたいけれど、多分何かが間違っていますよ。何度も書くけれど、基本のコンセプトは学校帰りにぶらっと二時間くらい学ぶという学び方を創出したいってことなんですよ。。。あくまでも「ぶらっと」なんですよ。。。まあ講座を開いている側なのだから、あれこれ言うなよって話だよな。そもそも講座を開くことで目指しているものが参加者に伝わってないとしたら、そりゃあぼくのプレゼンスの悪さってことだよな。参加者にしてみれば、ぼくがどんな学び方や学びの場を創出したいと願っているかなんて、実に押し付けがましい、鬱陶しい話だよな。

 

24 一年が終わった。壮絶だったな。来年もしご縁があって同じ子どもたちと関われたなら、関わりも成熟するだろうから、一人ひとりに詩を送ってみようと思った。忘れないためのメモ。

 

25 少しぼうっとしている。雨。

 

26 WBCを教室で見せるか見せないかという本当にどうでもいい話について、野球が嫌いな子はどうするのかというさらにすごい話が被っていく状況。久しぶりにガクッとなる。つまり普段の授業はその授業が嫌いで受けたくないと思っている子はいないのだね? なんで子どもがWBCを見たがるのかまず考えようよ。

 

27 少し話がずれるけど、ぼくは子どもたちにコンサートはガンガン行きなさい、休みとって行きなさい」と言っていた。親が反対することも多いので学級通信にも書いた。「ジャニーズを超えるエンターテイメントな学校の授業が用意できるわけがない。最高のものをお子さんと堪能してください」と。

 

28 リヒテルの素晴らしいチャイコフスキーを聴いている。ぐずついた空に似つかわしい。本当は、もう少し寒い方がいい。

 

29 今作は、書き手や授業提供者、座談会登壇者の総計が28人。うち男性が16人。そんなことを考えることが残念と思いつつもいつも女性が半分を超えたいと話し合っている。今回は△。

 

30 「教育は人なり」は、古めかしい言葉なのか。死語なのか。

 

31 アラン・マリオンのフルートが素敵。快速で随分近代的なオーヴェルニュ管。ドイツのモーツァルトじゃない感じもいいな、今日は。

 

32 「chatGPTは何ができないのか」という問い立てで議論を組み立てていくのは、なんか違うよな。ぼくらは全部それで代替できるようになってもなお、それを選ばないということも普通にある。

 

33 政治家って冷静な対応が求められるよね。調子に乗って聞くに耐えない言葉で信用を失う小西さんも、ペラペラ饒舌に国会で人の時間を奪い続ける高市さんも、器の小ささを、見せつける流れだったな。国会議員さんなんだけどね…飲み屋の与太話でもあるまいし、このレベルでは国家政治は任せられないね。

 

34 ホッツェンプロッツ、めちゃ面白い。今回、うららとのペア読書をこのシリーズ選択したのは、よかった。ぼく自身は内容もほぼ忘れているのだが、読み直すと、やっぱり面白い。

 

35 4月14日あたりでいいと思うんだけどな…。

 

36 「ロケットスタート」とかも気持ちはわかるんだけれど、ぼくは一貫して、そういう煽りには反対だよな。無論、発信者や書いている方は煽っているわけじゃない、善意だと思うし、ぼくの見えていないこともあるのだろうけれど、でも煽られるよね。。。

 

37 「退職して私学へ行きます」は発信しやすい。そもそも公立よりも一部の目鼻立ちのはっきりした私学の方が発信しやすい。多くの


38 先生は、これまで同様公立学校にいる。日本の学校は大半は公立学校だ。一方先生と子どもの流動化は軌を一にしている。最大3割弱はその流動化の中で存在感を発揮するはずだ。

 

39 ハクチョウの声が窓の外いっぱいに聴こえる。「北帰行」って言葉は、本当は、この辺りに暮らす人だけが実感できる言葉だろうと思う。

 

40 管理監督度合いをどんどん高め、「詰め」ながら、一方で自治体や学校・教員サイドで自主的に判断を、というのはなかなか難しいよ。少数の行政官・教員以外は上のお達しを伺うマインドになってしまうよね・・・。まあ、ぼくはそれでも、自分で考えましょう、それしかないと言い続けようと思うけれども。まあ、こういう流れがどこから生まれてきたのか、そしてそれが、教育行政官・教員にどんな時間軸とプロセスで「当たり前になってしまった」かは、ちゃんと知らないといけないよね。やはり分岐点は、教育基本法の改悪でしょうね、あえて「改悪」という言葉を使うが。

 

41 年度はじめに決めたことなんて、ほとんど徹底できないんですよ。なし崩しになっていく。やりきれないことを決めない。どうせやり続けられないことは決めない。基本的には、その都度子どもたちと一緒に考えればいいんですよ。子どもたちの大多数は穏当で適切な判断をしますよ。