途中からは暑い一日でした

夜、Nスぺ。ミッシングワーカーを見ました。

違和感。「ミッシング」は誰にとってのミッシングなんだろうか。

番組全体を貫くテイストと、この用語設定との間の、齟齬を強く感じるのはぼくだけだろうか。「働き方問題」、ぼくは、これにもほとんど発言をしていません。どうも、労働人口が減るうんぬん…いわば大文字の話と、個々の人々の苦しみの話…小文字の話とが、ぐちゃぐちゃに議論されて、結局大文字の話に回収されていくんじゃないか、という…。

今日はうららはじめての運動会。

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朝はとても寒かったのですが、昼前から日差しが強くなって、初夏を思わせる感じになりました。うららは、たいして速くもなく(いや、遅いくらいで)、球を投げたり跳んだりするのもぱっとせず、いい感じです。

6年生のマーチングバンドを見て、リーダーに憧れて、帰宅すると、バンドリーダーの持ってる大きなタクトみたいのを紙で作り、それを振り回して、家のどこかにあった笛を吹いて、なぜか三三七拍子をする。憧れと、模倣。子どもの学びの基本はこれだよな、と思いました。

明日からは実家へ。父と過ごします。

原稿、書けるかな。

教養主義のリハビリテーション (筑摩選書)

教養主義のリハビリテーション (筑摩選書)

 

合間に読んでいる本。学校教育を蝕んでいる状況は、その外側と全部地続きだよな。

原稿を少し書き始めました

次号の授業づくりネットワークへの3本の原稿。ようやく一つ書き始めました。

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「教師にとって」読むってどういうことなんだろう。

このところ、ずうっと考えています。

これ、飲みながら。

 

 

TODOリストを創る

ほとんどそういうことはしないのですが、TODOリストを創りました。

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6月9日の名寄の会

www.kokuchpro.com

6月10日の授業づくりネットワーク北海道・江別集会

www.kokuchpro.com

準備しなくてはいけません。

次号のネットワーク誌の原稿も3本あるのです。

今年度大阪でぼくを通年で教室・学校に呼ぶために尽力してくださった先生の申請が通りました。旅費・宿泊費の心配なく、大阪に行くことができます。

いろんな方がたくさんの願いや思いを寄せてくださって、小さいけれど大切な場所が生まれていきます。丁寧に伴走したい、と思います。

そういうもろもろに関わるTODOリストを創りました。

 

追い詰められるとは、どういうことか

先週末は、ほぼ唯一の予定空白の週末でした。日程を空けておかねば絶対いけないところに行こうと思い、天橋立と但馬のコウノトリ公園に行きました。

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小学校の中学年の頃、ひどいいじめを、長く受けました。

就職して交通事故を起こした時、関係者の一人に、お金をだましとられました(この人はぼくのお金をだましとろうとしているんだなと、わかっていながら、そのまま言いなりにすることにしました、まあ、ちょっとよくわからないでしょうね、読んでる方の大半には)。

人も生き物も、どのように追い詰められていくのかということにとても強い興味があるのです。追い詰められていくというのは、「老い詰められていく」ということとも、ぼくの中ではほぼ同義でもあります。ぼくの家族のことも、下記の本などに書いてありますし。

学校でしなやかに生きるということ

学校でしなやかに生きるということ

 

ぼくが幼少期から青年期までを過ごした旭川市の神楽には外国樹種見本林があり、そこはぼくの遊び場でした。ぼくは動植物への関心が極めて高い子で、林内の動植物地図を自分で描いたりして、日常的に「調査」していました。林内の乾燥化や周辺開発に伴って、どんどん追い詰められていく植物や動物を見ていました。エゾサンショウウオ、コミヤマカタバミミズバショウカワセミ…。

 

コウノトリ公園、衝撃でした。兵庫豊岡のはずれ(そもそも兵庫のはずれ)。沢筋を詰めていった場所。狭い田んぼ、山から出てきたばかりのおそらく冷涼な水。おそらく耕作に最上とは言い難い場所…メインストリートで暮らしているとはいえない人たちが、時に田植えしたばかりの苗を踏みつけるコウノトリを苦々しく思いながらも、完全には追い立てず、そこに住まわせてきたんだなと思いました。泣きそうな気持ちになります。

コウノトリペリカンみたいでした。子育てに一日何キロもの餌を必要としている環境は、相当に豊かでなければならない。飛翔に向いている鳥とは思えませんが、必要なら周辺の広い地域に捕食に行かなければならないでしょうから、営巣のテリトリーの広さとしては、あまりにも不十分な広さの中に、コウノトリは追い詰められていったのだなあ、と。

だんだん年を取り、老い詰められていくであろう自分、そもそもメインストリートを歩くことをよしとしなかった自分の姿と重ねながら、考える、そういう時間になりました。

ここから何かをやり抜いていくには、執念のようなものが必要なのかも、と思います。しかし、ぼくのように何かへの執着の乏しい人に、ここからを生き抜いていく力があるのかなあと、思ったり。 

崩れ (講談社文庫)

崩れ (講談社文庫)

 

 久しぶりに、読み直したい気持ちになっています。

 

 

 

 

とりあえず寝る

ぼくは体調が思わしくないととりあえず眠ってしまう。

今日も結局昼過ぎまでひたすら眠りました。

ここから10日ほどで、結構な量の原稿と向き合うことになります。

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しっかり執筆ベースの生活に舵を切れるか・・・ここがポイント、か。

執筆のために下記の雑誌を再読中。 

教育 2018年 01 月号 [雑誌]

教育 2018年 01 月号 [雑誌]

 

 「教育実践」への誘い。

実践記録を書く、読むという連綿とした営みが、まさに危機に瀕しているという、そのことと誠実に向き合う誌面です。ぼくらの雑誌(ムック)の次号も、ぼくらなりの方法で、まさにそのことと向き合う一冊になるはずです。 

授業づくりネットワークNo.28―実践!  道徳授業 (授業づくりネットワーク No. 28)

授業づくりネットワークNo.28―実践! 道徳授業 (授業づくりネットワーク No. 28)

 
授業づくりネットワークNo.29―現場発! これからの授業とクラス~ひらく・つくる・つくり続ける~

授業づくりネットワークNo.29―現場発! これからの授業とクラス~ひらく・つくる・つくり続ける~

 

まずは、道徳号、そして、これからの教育号も、引き続き、ぜひお読みください。

 

 

過労だよな

渋谷を経て成田空港へ。そこから新千歳へ。さらに札幌を経て旭川へ。

特急カムイで珍しくひどく酔う。吐き気がしました。

f:id:suponjinokokoro:20180530234821j:plain過労だよな、と思います。

 

ベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ全集

ベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ全集

  • アーティスト: クリストフ・バラティ(Vln),クララ・ヴュルツ(pf)
  • 出版社/メーカー: Brilliant Classics
  • 発売日: 2012/10/10
  • メディア: CD
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少し休みましょう。父のとこで休憩。

父は今日も孤独に突き動かされるように物書きになっていました。

佐藤喜一―記録への傾斜・内的表白の封印

佐藤喜一―記録への傾斜・内的表白の封印

 

 ぼくには孤独に耐える力が足りないな。

 

「個別」「協同」「プロジェクト」の「見え方」・・・メモ書き

苫野一徳さんが『教育の力』で投げかけた問いに、どう応答するか。

教育の力 (講談社現代新書)

教育の力 (講談社現代新書)

 

今日は筑波大学駒場中・高等学校のRW(リーディングワークショップ)に入る二回目。筑波、学芸、東大の学生、それにここをフィールドとしている勝田先生と見て、その後、授業者の澤田さんも含めたメンバーでリフレクション。

前回見せていただいた時にも少し話題になったのだが、このRWは、「ぼくら」が見てきた教室の像と反対の方向から「個別」「協同」「プロジェクト」問題へのアンサーを示そうとしていると思えます。

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つまり、かつて青山新吾さんがよく使っていた(青山さんは今は慎重に、この表現を避けているようにも思いますが)「集団の中の個」をどう支えるかという表現に引き付けていえば、「個」の集まりが「集団」なんだということを、まざまざと見せつけられる場だなあということです。

ぼくらは、教室で「授業者」として立ちながら、ある時ふと、この子たちは「集団じゃなくて個の集まりなんだ」という当たり前のことに気付かされて戦慄したりします。「個別」「協同」…ということでいえば、「協同」を教室に担保することで、子どもが「個」になれる場面も保障してあげたいというようなアプローチ…。

しかし、澤田さんの授業では、そもそも「個」であることが当たり前だということを前提にして、「個を含む時々集団」が形成されていくというイメージなのです。協同によって「個」も保障されるのではなく、「個」を十分に保障することで「時々協同」も選択できる・・・。

 

メモ書き、ここまで。

 

 

 

オーストラリア室内管弦楽団を聴く

よみうり大手町ホール。

猛烈なエネルギー、斬新なプログラム、清新な解釈。

素晴らしい二時間でした。

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今回はヴィヴァルディの四季を核としたプログラム。

でも、ウード奏者ジョセフ・タワドロスと共に編曲した四季は、リズムが際立ち、トネッティの即興性豊かな演奏も相まって、実に新鮮でした。そもそも4つの曲を前後半のプログラムにばらして配置し、その間に、タワドロスの中東風に楽曲や、バロックの曲を配して、独創的なプログラム。東洋と西洋の文化の共鳴がテーマだという演奏会のねらいは、見事に伝わっていたように思います。

トネッティ、それにしてもすばらしい、たのしい。オーストラリア室内管弦楽団は、内山田洋とクールファイブタイプのチームでした。

 

Teach For Japanのフェロー支援プログラムのお手伝いにいく

昨年から、関わっているお仕事。

今日は、実際のフェロー支援ではなく、フェローを支援するプログラムについての相談で、新橋の事務所へ。

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担当の山田さん、それにぼくよりも長くディープに支援に入っている大和信治さんと。

お二人との話はいつも刺激的です。今日も、ぼくの考えたことがないこと、知らないこと、気が付かないことがいっぱい。TFJのフェローは、他にもたくさんの方々に支えられて、二年の学校任期を進めていける。幸せなことだと思います。

teachforjapan.org

ぼくは、学校の外から学校の中に様々な人が入ってくることにとても大きな価値があると思っています。TFJのモデルだけでなく、様々な形で専門職である学校教員の領域に外から人が入ってくることに批判的な立場があったり、否定的な方がいたりすることは知っています。

でもぼくは、合法的な可能性の追究の範囲内で、あらゆる可能性をためしてみることが、ぼくらの国の教育現場には喫緊の必要課題だろうと考えています。

ここは、初任者がどのように育っていくかを、リアルタイムで検証する場所でもあります。その現場に関われ、その現実と向き合う機会をいただけていることは感謝です。

どこかで、広く様々な人たちに還元していく機会を持ちたいなと思っています。

ミッション終了。

今夜は、オーストラリア室内管弦楽団