1月5日(大阪)、6日(東京)。二日間、せいこさんとご一緒して、セミナーでした。ぼくは自分の仕事の質をセルフリフレクションするのが苦手で、いつも、残念な自己評価になりがちです。が、今回は、一緒に本を書いているということがあって、かなりクリアな、腹の据わった提案ができたなあと感じました。
特に5日については、吉永さんの実践報告が白眉の内容でした。記録としての精度が高い。また事実としての子どもたちの変容が明らか。このくらいクリアに結果が見えると、圧倒的ですね。
せいこさんのホワイトボードミーティングというか、ホワイトボードを活用したファシリテーションは、ファシリテーショングラフィックなんだよなということも改めて感じました。せいこさんは、ぼくの授業提案もホワイトボードに可視化していきますが、それは、はっきりと「レコーディング」なのです。グラフィックレコーディング。
一方せいこさんが場作りをする時にはホワイトボードは、場をファシリテーションするツールになっていく。
こうしてみていくと、教育界での利用は、概ね残念なほど、ただのレコーディングだなと思います。ファシリテーションのツールとして、何よりも、子どもたちが、使っていけるようにしたい。また、教師のリフレクションのツールとして機能するものにしたい。
そのために必要なことは、美しく構造的に書く(「板書」以来の教師を縛り付ける固定観念だね)ことを教師が手放せるか。また美しく構造的に書いたものを褒め合う文化と切り離せるか、だと思います。ここに教師が子どもを信頼して委ねていくのか、教師が保安官バッジを外せず知を手放さないのかの、決定的な、価値観の違い(変換ポイント)が表れてくると思います。
そのためには、具体的にグラフィックを指差しながら書いたものに協同的に人々の営み・匂いがマーキングされていくグラフィックになるといいと思うし、隙がないグラフィックを描くのではなくどこが明らかになっていないのか隙がどこにあるのかが場にいる人に可視化されるグラフィックであるといいと思うし、みんなが書き込んで豊かにしていけるグラフィックであるといいと思う。そういうことを、せいこさんとの二日間で考えていました。
おそらく、ここを見る参加者の方も多いと思いますので、いくつか書き残しておきます。
「教室の文化になるまで(先生と子どもがその学びの価値を了解するまで)やり続ける(3ヶ月が目安と思っています)」
「学びによる傷つきは学びによってしかケアできない(伊藤晃一さん)」
授業づくりをまなびほぐす ここからはじめるクリエイティブ授業論
- 作者: 阿部学,伊藤晃一
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「遊ぶように学ぶ経験をくぐってこれなかった子どもたちは、どこかで必ずその経験が必要になる」
「レディネスを考えることは大切だが、子ども個々の課題は、それぞれ固有である」