「トリミング」されている風景

いろんな教室に入ってみて、実感できたことは、ぼくも含めて、誰もが、状況・現実を、いわば「トリミング」してみているんだと言うことです。教室の様々な状況を、関わる先生は「トリミング」してみている。ぼくは、これを、暫定的に「トリミング効果」と呼んでいます。

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そして、トリミングしている外側は目に入っていないわけですから、外側にあるものを、いきなり議論の真ん中に持ち込んでも、怪訝な顔をされたり、相手にされなかったり、拒否されたりするわけです。

ちなみに、解像度にも、個々の違いがあります。

学校というところは、個々の「トリミング画像」を、みんなで持ち寄って合わせて、大きな全体像を共有することが必要な場所なのですね。そのようにして持ち寄り話し合うことで、個々の「トリミング」の範囲も解像度も、少しずつ変わっていく、そういうことなんだと思います。