すぽんじのこころでつぶやく 2022年2月上旬

1 安藤裕子。”shabon songs”。2007年。そうかあそこからもう15年経ったのか。

 

2 オカルト・ナショナリスト、か。

 

3 みなさん、どうぞ正気で。正気とは、自分で納得して優先順位を決めて決定できる精神状態のことだと思います。

 

4 不平等を許さない方法を学んでほしいのではなく、不平等を許さない思想、不平等に気付く見方、を感受してほしいんだよなぁ。

 

5 新しい方法はやがて消費される。消費されないためには機能させるための「構成化」や「システム化」を目指すか、クライアントと「思想」や「考え方」や「哲学」を共有して共犯関係になるか、いずれかを指向することになるんだな。

 

6 スターバックス…もう少し明るいといいなあ。いたんだぼくの目にはちょっと読書が苦しい。で、スターバックスではコーヒーは飲まない。

 

7 ロッテリアのコーヒーを飲み、スタバよりこっちの方がよっぽどマシだと思うのだ。食習慣も食味も嗜好も後から来た企業が操作可能なのだ。後は水で良い。

 

8 黙食「させる」ことが当たり前と思っている先生が子どもを説得するプロセスをツイートし、まともな感覚の人たちが「それは先生が<正しい>指導として紹介」したりすることじゃない、とたしなめている。先生は押し付けられていることを押し付けられていると感じないほどネジが狂い始めてるってことか。改めて誤解のないように補足する。黙食させられている教員の立場の脆弱性は十分理解している。だが教員はその行為が外からどう見られるかも考えるべきなんだ。猛烈部活しかり漢字の止めはねしかり。ぼくは一つずつ同情しているがそうした指導をしたり顔でSNSに発信する感覚はどこかずれていると思う。もう少し書くと教室は個々の子どもの濃密な文脈が錯綜している。だが今や実践記録発信はマスをどう動かしたかしか発信しにくい状況だ。「黙食」は現象として全員黙って食うだけの行為だから個々の文脈を切ることの価値が優先される場。そういうんじゃないことを発信したいなあと思う。

 

9 ペレーニにたどり着く。ペレーニのチェロは最後にたどり着く場所の一つ。今日はドヴォルザークヒンデミットのチェロ協奏曲。イヴァン・フィッシャーとブダペスト祝祭管弦楽団

 

10 今日はこの後、山の方へと向かうバスに乗る。その向こうは山梨。境が好きだ。境にはこちらもあちらもあるから。

 

11 昨日から大阪ハインリッヒシュッツ合唱団の木下牧子無伴奏合唱曲集を聴いている。ぼくにとってカモミールのような音楽。

 

12 母が、松岡享子さんと話しながら涙を流したのは静かに衝撃的だった。松岡さんはそのように日本の各地で小さなともしびを灯し続けた女性たちの言葉と涙を一身に受けてきたのだろうと思う。

 

13 長く使っている温泉ホテルの洗い場のシャンプーはDHCになっていた。。。泊まるのをやめたりはしない。でも客の一人としてアンケートにはちゃんと書いて帰ろうと思う。

 

14 痔がきつい。やばい。

 

15 全く免罪できないけど、教育系出版社の追い詰められ感は半端ないんですよね。。。また教員採用の知的水準の担保が難しくなりつつある状況と編集者の状況とは軌を一にしているものと思います。もちろんこれは「傾向」の話。素晴らしい方もいっぱいいますよ。

 

16 いろいろどうしようかなと思う。当たり前だが何かを実現させるためにはタイミングが大きいこともある。そしてぼくはしばしばそれを逃してしまうらしい。

 

17 小野領一さんの教室学校のばん走が終了した。夜はそれを真ん中に置いて対話する会。良き聞き手の中でじっくり話せた。オフラインの研修会。このところずうっと濃密な時間になっている。ありがたいありがたいと思う。今夜はなによりも小野さんに感謝だ。

 

18 学校における「仕事術」が「生き残りのための仕事術」になったのは野中信行さんの最初の本出版がくっきりとした境目であると思う。野中さんの本は2004年刊行。あれから18年になる。ただただ生き残るための仕事術本がこれほど流布することになると、野中さんも予期していなかったに違いない。

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