ぼくは1989年に大学を卒業し、その4月に教員になった。

大学の卒業証書も教員免許状も、その年の1月までは、別な名前の年号が書かれるものと、天皇の病状悪化は連日報道されていたが、なんとなく思っていた。しかし、もちろん耳馴染みのない年号が付されることになった。

ぼくはその耳馴染みのない年号と以来ずうっと付き合っていくことになったわけである。

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この30年は、一言で言うと、国力がどんどん衰退し、それに伴って、国内は内ゲバのような様相を呈して、分断がどんどん進んでいく、そういう時代だったなあと思う。

経済の失敗も政治の失敗も大きかった。期待された民主党政権は無力でクズだった。

浮かれポンチな気持ちには、とてもなれない。

卒業式のたびに、うまくいかなかった教室の担任も子どもたちも、「でもなんだかよかったよね、みんな頑張ったじゃん」とまとめて、次へ進んでいく様を、たくさん見てきた。この数日は、あの、卒業式前のようなイライラと無力感に苛まれる。

嫌な話だが、今夜沸き起こる感情を、書き留めておこうと思う。