2月最終週をトボトボと歩く

2月最終週は、まさに最悪の週だった。

こうなる予感を十分に1月以降の流れで感じていたので、驚きはない。むしろ、本当にそのようになってしまうこの国の状況に胸が詰まってしまった。

たくさんの先生方の顔も目に浮かんだ。今年で退職する尊敬する先輩。卒業生を担任している先生、転勤が確定している先生・・・。卒業や転勤をことさらに大きく取り上げる学校社会に大きな疑問を呈し続けて来た自分だけれど、学校教員のメンタリティは、よくよくわかり、身も寄せられるつもりだ。言葉もない。

この間ぼくが考えていたことは、半月くらい後に発刊になるwe誌の連載原稿にした。できればそちらを読んでいただきたいと思っている。

2月最終週は、トボトボと歩くことさえ許されない週になった。そういう比喩で言うなら、3月は家から出ることさえ許されない月になるのだろうか。

2月22日土曜日、多賀一郎さんと神戸で小さな集会をする。多賀さんとは、こうして定点で話していくことにとても大きな意味がある。だが、ぼくにとっては、潜り続けた深海から海上に息継ぎに上がるような一瞬であり、しゃべりすぎてしまうようだ。20 数年来の友、佐野さんも来てくれて嬉しかった。

2月23日日曜日、糸井登さんを顕彰する授業づくりネットワーク集会。関西の先生方の手作りの研究会が嬉しい。授業づくりネットワーク、みんなで手触りのしっかりした場を作っていけばいいんだと思う。

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2月24日から26日は様々な連絡に忙殺される。

2月27日木曜日、岸和田の小学校。ここに入れてよかった。ここが今年度最後の学校訪問になると思った予感はその通りだった。

2月28日金曜日、岸和田で塩田千春の個展を見る。夜は新大阪で小さな研究会。連続講座は忖度せずにやり切ると決める。

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2月29日土曜日、原稿を書き、方々との連絡に忙殺される。夜、首相と報道各社のシナリオ読みの立ち稽古のような記者会見。絶対忘れない。

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