塩田千春展〜永遠の糸〜 岸和田市立文化会館(マドカホール) 2020.2.28

2月27日、岸和田までやってきて、定例の小学校に一校入る。しかし、途中で翌日の学校の担当者から連絡が入り、28日はキャンセルになる。岸和田の安いホテルの宿泊を取ってあるし、これはもう、塩田千春のインスタレーションに会いに行くタイミングなんだなと感じる。

森美術館の個展はあまりの忙しさの中で行くことはできなかった。

今回の岸和田の個展は彼女の事実上の故郷であるこの町での初めての個展とのこと。個展そのものへの予備知識は全くなく訪問。森美術館での個展とは全く違うものだった。ここで制作されたメインの作品に会う、そのことがメインの個展。

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塩田の作品を初めてみた時、ぼくは、これも大好きな草間彌生の作品との類似性を感じずにはいられなかった。それは塩田が草間に影響を受けたという意味ではない。同じようなハイマートロスの感情を抱えたアーティスト、しかも日本という女性性の生きにくい社会の中に生まれたことを敏感に感じ取り、動的制作を通して世界との距離を計り続けることでしか、自分の存在を肯定できない一人の人の作品なのだろうなと感じていたということだ。

今回の作品には、岸和田市内の小学校(彼女自身の出身である小学校も含む)の子どもたちによるメッセージ作品が糸の迷宮の中に入れ込まれている。「故郷に錦を飾る」という言葉があるが、「故郷に糸を紡ぐ」とでも言おうか。素朴な子どもたちのメッセージが、赤い糸の中に絡めとられている様を、どう表現したらいいのだろう。それは、土地にしがみつけられていた彼女の少年期の姿でもあると言えばいいか。というか、インスタレーションへの子どもたちの参加という清々しいほどに明るい話題が、このようにアイロニカルな展示の一部になるというのは、衝撃的でさえある。

彼女のヒストリーを見ると、初期からの海外彷徨、そして世界と同質化するための息苦しいまでの増殖的インスタレーション指向(草間の水玉増殖のような)がやはりあったことがわかり、ぼくが感じていたものが、多分そんなに外れていなかったのだなとも思う。

それにしても、「故郷に受け入れられる」というのは、どういうことなのだろう。岸和田の義務教育の現場を少なからず知るぼくにとって、この小さな展覧会がどれほどの意味を持つ「和解」の行為であるのかと考えると、涙がこぼれそうになる。思えば、草間は、長野県知事田中康夫だった)からの表彰を境に、ポップアイコンへと変貌していく(とぼくには見えた)わけだから・・・。

かつてぼくも、学校の文化祭で、子どもたちと様々なインスタレーションに取り組んできた。例えば、こういう作品とかを思い出すと、ジョイント部分が結構ざっくりしていたりするところにも共感を覚える。そうそう、きっとそこじゃなかったんだよね、と。

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ぼくは、飛び出してきた故郷と自分との折り合いをどうつけるのだろう。

ぼくの行為もまた、世界との距離を動的にしか計りえない不安による、水玉増殖や、永遠の糸、なのだろうか。

今日は、まさに「間」の時間であった。学校が休校になるまでの「間」。そして美術館や博物館がおそらく休館になるまでの「間」。

ありがとう岸和田。また来年度も来るね。