すぽんじのこころでつぶやく 2022年12月下旬

1 ぼくは新卒の時分から性に関わることや排泄に関することなども(まあこの二つを列挙するのも微妙だが)結構あけすけに話してきたと思う。新卒に学校が壮絶に荒れており、荒れた教室や授業において性や排泄に関わる用語が汚いことを示すものとして大量に投げ込まれることが民主的とか人権とかそういうことの崩れを象徴する事態なのだと感じてきたからでもある。今、学校は狭い意味での公序良俗の範囲を出る言葉を教師も生徒もそれがまるでないかのように透明化している。その矛盾は至る所に噴出してきている。この傾向はいわゆる人権活動家の過剰なポリティカル・コレクトネスの状況とそれを巡る深刻な対立と軌を一にしていると個人的には感じている。少なくとも学校において抵抗する子どもたちの一定数が取る態度の一つは人権的に許されないと学校的に見なされている行為発言の発動である。

 

2 しっかりした靴を買わなくちゃな。

 

3 ぼくが多人数を集めた講座でずうっと頭を痛めてきたのは方法(ツール)にも思想がきっちりくっついているということを知らない方がたくさんいるということだった。例えば「ダウト読み」という楽しい方法を一つ「ミリーのすてきなぼうし」の講座で知ると、そうした方の幾人かは、それをあろうことか「一つの花」でやって、「先生すごく楽しかったです」と報告されたりする。。。

 

4 イーロン・マスクさんは、きっと、もうこの遊び道具に飽きたんでしょうね。このままCEOを退任されるのだろうと思うが、なんというか金持ちの玩具遊びに付き合わされている感じが、ちょっと、たまんないな。

 

5 そうかぁ。授業づくりネットワークと全教の関係が深いとか、仕方がないことけど、時計の針は1990年代半ばで止まってしまってるんだろうなぁ。

 

6 手稲。大きな病院が見えるマックで、いつもとは違って照り焼きチキンバーガーを食べる。歯が痛い。ずうっと調子が悪い気がする。年の瀬。藤女子大学の講義。今夜はその後、道北にたどり着いたら八戸の準備をしよう。

 

 

7 裁判所(裁判官)は大変な時代になったんだろうなあ。部屋の隅の猫パンチ合戦について、先にパンチしたのはどっちだとか、パンチの時に爪を出していたかとか、そんなことを一つずつ精査しなくてはいけない状況か…。本人たちには大問題なんだろうが…右派左派問わず対話の成立しない時代よねぇ。

 

8 アリーナ・ポゴストキーナ。すごい決断だな。自分のキャリアに大きく関わるわけだろうから。僕は今の自分の仕事や生活のことを考えると、航空機に乗らないという選択はできないな。してみたいけれど。

 

9 何度も書くけど、ぼくは、教師が子どもの伴走者であるべきだなどと一度も言ったことはない。ぼく自身「ばん走者」を仮に名乗っているが、「ばん走者」としての僕のエンドユーザーは学校教育関係者である。子どもではない。そもそも教師は子どもの伴走者には構造的になり得ない。

 

10 もう何年も、映画はぼくには最もハードルの高い体験だ。他人の構築する論理に二時間前後縛られる勇気がいつも持てない。見たい作品はたくさんあるのに。

 

11 なんか色々苦しいなあと思う。ひとつずつやっていくしかないことはわかっているのだが。私が大切にしたいことが日常に埋もれていくことが、この歳になってもなお許容できない。

 

12 ダンタイソンのポロネーズ。リズム感の際立つ硬質な音で、結構愛聴している。

 

13 年内最後の1on1オンライン対話が終わった。最後は授業づくりの話をみっちりとすることができた。これで仕事納めの予定だったが、授業づくりネットワークの次号に関する臨時の理事会を明後日の夜行うことになったので、それが仕事納めになる。原稿も書きたいし、本も読みたいのだが、きっとダメだろう。

 

14 町内会費徴収。お出掛けのご様子の家にはまた行かねばならない。

 

15 ワタリウムに磯崎さんの仕事を見に行ったのは、2014年か。もう8年にもなるんだな。ご冥福を。

 

16 ぼくは、在職の時期から年賀状はやめている。北海道から東京へ引っ越ししたこともあり、今は、ほとんど年賀状は届かない。年賀状との縁は数年前に事実上切れているが、ぼくのことをそのことを持って不義理だと感じている人は多分ほとんどいないのではないかと思う。

 

17 それにしてもワインなど飲むべきではなかった。もう酒を美味しいと思う瞬間などほとんどないのに、たまに間違って手をつけてしまう。自傷行為に近いと思う。