なるほどなあ、と思う

父のところに市の福祉協議会の斡旋の形でボランティアヘルパーがいらっしゃるようになりました。

詳細は書かないのですが、ある小さな出来事があり、それを通じて、ぼく自身が父を手放せないのだ、ということに気がつきました。これはすごく大きな気づきでした。

いつもは、なんでこんなこともわからなかったりできなかったりするのだろうと、父をみながらイライラしています。でも、その感情は、ぼくがいないといけないんだとか、ぼくなしでは厳しいわけだ、というような感情と表裏になっている・・・。ヘルパーさんが入り始めて、はじめて、ぼく自身が誰かに入られたくない、手放したくないという感情を持っているんだということに気づいたのでした。

弟が週末に帰ってきてくれて、父の身辺の世話をしてくれました。弟からその数日のことが彼の感情をも含んだメールで送られてきました。それを読むと、弟も弟自身について同じようなことが起こったのだなと気付かされます。弟は特別支援学校畑を歩んできた、分野は少し違うけれど、介助のエキスパートです。その弟でもまた、身内である父に対してイライラした感情が沸き起こってきたり、自分がやらなくちゃ、やるんだから、という感情が沸き起こってくる・・・。

難しいなああと思います。

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オンライン支援にせよ教室伴走にせよ、しばしば起こる問題の一つは手放しだ、と最近強く思います。この傾向は、やはり、女性の先生に多いとも感じます。ぼくはクラスの子達に概ねドライな教師です。また今のクライアントである先生方に対してもかなり客観的なポジションを保てていると、自分で感じています。しかし身内になるとそれが一気に難しくなる。

多くの教室の先生方は、子供達に対して「親」のように(もちろん、この比喩で気を悪くされる方もいらっしゃると思うのです、ごめんなさい)なってしまっているということがあるようです。元々日がな一日教室で過ごすわけですから、依存関係になりやすいわけですし。結果、実は自立を阻んでいるのは、手放せない先生の側に理由がある、というようなことが、結構な頻度で起こっているんだなと、見えてきました。

先生自身が一番手放すのが難しい。やがて離れていくことが運命付けられている関係であるにも関わらず難しい、この辺りは、ぼくの伴走にとっての一つの肝になりつつあると感じています。

明日の夜は久しぶりに寺崎賢一さんとお食事をします。少しじっくりお話を聞いてみたいところです。