アシュケナージが引退するのだそうだ。ぼくの最初の妻はアシュケナージが好きだった。初めてkitaraに行ったのは、そのアシュケナージを聴くためだったと思う。
結論から言えば、そこにいるのは、圧倒的にバランスの取れた音楽家の姿であった。彼女がどの季節のアシュケナージを愛していたかと言えば、多分ハイティンクとのラフマニノフ全集以降だろうが、ぼくにとってのアシュケナージは、むせ返るような青春がアンバランスに横溢する季節のアシュケナージであり、もうそうした姿はステージ上の、どこにもなかった。成長するということが、何かを失うということでもあることを、初めて実感したのは、あの日あの時であったかも知れない。
まして指揮の仕事がメインになり、NHK交響楽団を振るアシュケナージには、全く関心が持てなかった。いつも及第点のアシュケナージは、誰かが聴けばいいアシュケナージだと思う。
人生で一枚だけCDを選びなさいと言われたら、ひょっとしたらこれを選ぶかも知れない。1971年。
1月15日水曜日。東村山市の教育研究会学級経営部会。
もっと対話ベースでみんなの話を聴くべきだったのだが、この日のぼくは、話したいことがいっぱいだった。そういう日だった。
1月16日木曜日。練馬区小学校。どの教室も一年間を経て、子どもたちが健やかに伸びたことを実感できた。こういう日々を積み重ねてきた学校は、今や決して多いとは言えないんだ。
1月17日金曜日。小金井市小学校。授業の質をあげるということはどういうことだろう。授業とはなんと奥の深いものであろう。その深淵のほんの端っこでも舐めてから、好きなことを言っても遅くないんじゃないかと、その後の週末のtwitterでの薄っぺらなやりとりを見て、尚更思う。夜は国立講座。学校づくりに関してぼくが思っていることを概ね四つの資料のキュレーションによって語る。
1月18日土曜日。公務員受験学院で文章理解講座。短い時間の中で、若者たちに彼らが短期的に必要としているタイプの読解の力をつけていく。試される時間だ。
1月19日日曜日。東京ニューシティ管弦楽団のニューイヤーコンサート。ゲストの若手のソプラノ歌手が華もあり演技力もありとてもよかった。オケに興味があって行ったのだが、ヨハン・シュトラウスの明るさは、ぼくには眩しすぎる。それに指揮の内藤彰さんは、ちょっと饒舌にすぎると思った。一曲ずつ説明しなくてもいいのにな。夜は授業づくりネットワークのオンライン理事会。たくさん仲間に支えられていて、ありがたいことだと思う。
1月20日月曜日。新聞社の取材。とっ散らかっている自分の日常は、インタビューでもとっ散らかったままである。