あれは、ぼくが教室で行って来た「協同学習」とはどうも違うものだ・・・

zoomのブレイクアウトルームで、ずうっと顔を突き合わせて逃げ場なく話しさせられる苦しみを感じたことのある人は、ぼくだけなんだろうか 笑 あれは、教室で行って来たぼくの「協同学習」とは、少なくとも似て非なるものである。
zoomで、教室で行って来た授業としての協同学習を再現進化させようというのは、どうも根本的に発想が違ってるんじゃないのか、と言わざるを得ない。

ぼくの教室の協同学習では、上手にサボってる子がいっぱいいた。教室の中ではサボる子も取り組む子も、授業内容・課題やその子の置かれている文脈やそういうものによって、都度入れ替わった。ぼくはそもそも授業というのはそういうものなんじゃないのか、と思っていた。

協同学習が、ある意味規律訓練型授業以上に権力でひたひたと縛り上げる環境調整型権力であるということを一度もきちんと考えたことのない人が、テクノロジーで自由自在に学び手をドライブできることに快哉をあげる気持ち悪さについて、ちゃんとここに書き残しておこう。

(追記)FBに何気なく書いたら、たくさんコメントがつきまして、ちょっとびっくりしました。コメント欄に返信の形で追記したのですが、そちらは埋もれてしまって読まずにコメントをつける方がたくさんいらっしゃるようですので(当たり前ですね)、コメントをこの下に追記しておきます。

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えらくコメントがついてびっくりしました・・・。
まとめて返信します。コメントを拝読して、だから自由に出ていいんだよというPAでいうところのチャレンジバイチョイス的オプションを明示すればいいという解決策を提示する方が一定数いるということがわかりました。
でも、ぼくは、中2病みたいな言い方になりますけど、「あんた、出ても出なくてもいいんだからね」と言われたら悲しい。そして、そういう感情と向き合わない先生のことは嫌いです。
オンラインでの学習において、そもそもこれまでのように生徒が全員がくるということを想定しているからそういう発想になる。オンラインが一定程度影響力を持つようになれば、受けるかどうかそのものが学び手の判断に委ねられることに気づくはず。それはコロナの暫定お試し期間にはっきり見えて来たはず。これまでの教室が、協同学習であっても、先生の権力性みたいなものを背景にしているのだ、ということがあらわになってくる実態に、教師自身がどのくらい自覚的かってことだと思います。