すぽんじのこころでつぶやく 2021年7月上旬

1 ネットの工事が始まった。そう、餅屋は餅屋に。いろんなことをちゃんとシンプルにしようと思うんだ。

2 民間教育運動(研究)団体は集合離散が本質だったとさえ言える。それは個人にとっては出会いと別れの繰り返しでもある。さようならに耐えられる人だけがそこで何事か爪痕くらい残すことができる。さようならさいなら。ぼくは背中を向け合って去っていくよりも相手を見送るのがいい、小さく手をあげて。

3 行政執行する側からすれば全ての教室が安定して同じように行政が必要とすることを過不足なく教える状態で運用することは宿願なのだろうな。問題はそこに自分が学び手としていたいかどうかだがそういう自分の問題として考えられる人は少ないのか。様々な先生がいる場から学んだ経験は大きかったがなあ。

4 他の人がしないことをしていれば、比べられることはない。同じ土俵には登らない。他の人が思いつかないもの、できれば怒られそうなことをもっともらしくやりたい。競合他社(他者)がいないこと。ぼくの憧れの人は、シュバイツァーや田中信昭さん・・・自分とはそもそも領域の違う人で、だから方法とはくっついていない。方法とくっつきすぎる人は、ぼくにとっては、憧れの対象にはならなかったなあ。民間教育研究の世界のトップリーダーには、これまで、比喩として、武道の世界を持ち出す人が多かった、でも、それは持ち出す本人たちも、途中から比喩でなくなっちゃった感がある。別に教育は武道じゃない。何かと何かの共通点は、その気になれば、あらゆるものに見出せる。鍋の蓋でも子どもの喧嘩でも動物飼育でも、学校教育との共通点を語ることはできる。比喩は、わかりやすさのためのものであり、そのものを指し示す道具にはならない。そのものについてを惜しみなくそのものとして理解しようと試みることを避けてはいけない。

5 結局、大きな傷を負ってしまったな。万国競技会の名前の前で判断を間違えてしまう。ある意味愛おしいほど人間的ではある。ぼくはぼく自身が人格形成に及ぶひどいいじめ加害を受けた被害者だ。だが一方で間違いなくクラスにいたアイヌ系の友人をいじめた加害者でもある。ぼくは当時彼や彼女へのいじめがアイヌ系子女であることによるものだとわかっていなかった。無知は深い罪であり、過去にはできない。忘却が罪であることもある。

6 行事をメインにして学級の団結力を高めようという実践は中学校においてはもう20年近く前から終わりに向かっていて、先生方は苦心している。合唱コンクールも体育祭も子供たちは確かに楽しむけれど、それが学級の求心力につながりにくい。翻って、時代が変わった今、オリンピックで団結を高められると思っている為政者は、やはりオワコンとしか言いようがない。オリンピックは成績次第でそれなりに盛り上がるが、それが国や政権への求心力に結びつかないと、とりあえず予言しておく。

7 スター教師像も、教育状況や社会状況とくっついている。状況が変わった今、それらも大きく変わったはずなのだが、かつてのスター教師像を追いかけるほんの一部の若手教師が、大多数の学校教師が捉えているものと、大きなずれを起こしてきているのに、そこに気付いていない。

8 みんな夏休みに入る前から、夏休みに教材研究する話をしているんだなあ・・・。こういうの、昔からそうだったとも言えるが、かつては、プラス1のために、だったとも思う。今は夏休み明けの日常を支えるためにって必死のストック作りという文脈なわけで、これは・・・。

9 ポリコレか・・・この流れを推し(押し)進めることで、どのように幸せになるのか。巨視的歴史的に見れば、強者のポジションの奪い取り、マイノリティとマジョリティの入れ替わり、分断の強化なのではないか。そう自問自答する。運動に力がついてくる時に本当に必要なのは推進する側の内省・自分に問い返す力だと思う

10 詩の言葉評論の言葉がないまぜになって今を語るものが読みたい。詩人の言葉評論家の言葉ではなく。

11 中野・高円寺。妹が暮らした町。たった一度だけ泊めてもらった安アパートは一体どの辺りだったのだろうか

12 それでもプレイヤーが頑張るしかないのが学校教育。これだけ非科学・似非科学陰謀論が溢れ始める状況を食い止めてきたのが学校でもあるのだが、プレイヤーにもこれらの信奉者がたくさん入り込んで来ると、これはもうほんと厳しいよ…。

13 ヤナギランが咲いている。この花が咲き始めると、Yさんのことを思い出す。ヤナギランが大好きだった。発達支援のあるお子さんを苦にし、家族をあやめてしまった。

14 うーん。「学ぶ」ことのゴールが「ぺけぺけ資格を取る」というところに暫定的に行き着いてしまうことにすごく違和感がある。それを目指す人を否定したいわけではないので慎重に発信しなくちゃいけないのはわかるが、○○士、△△免許を持っていても、また□□チング学んでます、◉◉リング学びました、●●テーターの資格があります、が、内実を伴わない例もたくさん見る。一方で、そんなもんなくても、素晴らしくできる人たちもいっぱいいる。その違いはなんだ? 日ぺ○の△子ちゃんあたりに端を発し、□ー△ャンあたりまで行き着いた資格認定主義は、内実を伴わないただのお墨付きで、社会に貢献できてないじゃんと思えてしまう。 社会のお墨付きがないと学んだことにならない、技量が認められない、ってことが普通になってるのならやばいよなあ。難しいなあ、資格ビジネス時代…。

15 寝るつもりだったがもう一言だけ。某官僚さんが、「教師のバトン」を話題にして「過剰労働問題に憤る学校の先生たちにかなり盛り上がっていただいていることを知る」と書いている。「盛り上がっていただいている」………。なんだろう、この上から目線は。結局最初からずうっとこの辺りの話に乗れないのは、実務者をコマのように見ている匂いがぷんぷんしてくるからなのだ。それにしても、すごい表現だな。かなり絶望的な気持ちになる。ぐっすり倒れて眠れそうです。

16 さて、寝よう。明日の運動会は、「同居親族2名以内のみ参観」。ぼくは「同居」じゃないんでね・・・どこかの隅っこから、見るのです。学校って、どうしようもなく面白いところです。なんというか、まあ学校劇場は、悲喜劇の舞台です。

17 カルトやトンデモ本、悪徳セミナーの情報案内などが、SNS上のぼくの知人の中からも湧き上がってくるようになってきて、哀しくなる。ぼくに洗脳を解く力はないから、そうっと目を閉じて、その場を離れるしかない。

18 この「態度」の評価について、多くの教員が受容してしまっているように見えるのはどういうわけだろう。自分の「態度」が評価されても受け入れてしまえるってことなのか。。。

19 マキシム・ショスタコーヴィチ&プラハ響のショスタコーヴィチsym5。気が付いてなかったが最後の一撃の前にマキシムの唸り声らしきものが入っている。彼は唸る指揮者なのか?!

20 接種30分。副反応って難しいよね、判断。ぼくらは普段は身体のいろんな部位の反応に関心を寄せたりしていない。でも接種の後はあっちもこっちも気になる。そうするとなんかだるいような痺れるような痛いような気がしてくる。そもそもぼくらは本物の副反応がどういうものか身体感覚としては知らない。

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