すぽんじのこころでつぶやく 2021年12月下旬

1 久しぶりの文芸研の詩の授業だった。しみじみよかった。一貫した社会認識を背景とした授業。授業がアート(芸術)なのである。

2 こういう道が好き。バスや電車から降りて今日の学校まで歩く、こういうわずかな道を歩くのが好き。毎朝その道の途上でぼくは息を吹き返す。

3 自分がやられてることを子どもにも同じようにしているのである。指導も評価も。

4 考える時間がほしい。来年度は貧乏でもいいから考える時間を確保したい。

5 ぼくにとって話すことは広く考えることであり、書くことは深く考えることである。

6 餌を前に置いて、お預けして、忍耐力を育てるとか、もう学校はしつけの場所なのか、って感じ。タブレットの指導をめぐって、教職員の諍いと分断が起きて、誰得なんだよって感じ。理想を振り回す段階は終わりに近づいていないか? そろそろ冷静に考えなくちゃいけないよ。

7 ねほりんぱほりん児童相談所職員。今日もすごい・・・。若い時児童相談所職員になったばかりの若い職員に失礼を言ったことを覚えている。もっと言い方があった、と時々思い返す。ぼくの認識もあまりにも浅かったのだ。学校の大変さばかりを言い募ったが、当時から児童相談所は大変だったのだろう。

8 「変化が激しく不透明な時代」に対応できる「探求的能力」がいかなるものかを確定することは、論理的にも時間的にも実践的にも不可能なのである。  『追いついた近代消えた近代』(苅谷剛彦岩波書店、2019,170頁)苅谷さんの諧謔的高踏的でニヒルな言述にイラッとするのは的を射ているからだな。

9 まあ冷静に考えれば、「予測不能な社会変化に対応する力を育てる」なんていうのはよく言っても「地震予知能力付けましょう」みたいな話とさして変わらない。そもそも人類は未来が予測可能だったことはないのである。

10 午後は床に倒れて寝ていた。その間にテーブルの上にあったチーズケーキをらんちゅう(ねこ)が食ってしまった。歳を取ると慣れてだらしなくなる。俺と同じだ。

11 東響と札響のトップ奏者によるアンサンブル。水谷晃さんの美音を中心に、暖炉を囲んでいるような気持ちになる演奏でした。北の星座音楽祭。EN-RAYホール、今年は何度か聴きましたが、良い響きです。

12 ミュージカル嫌いのぼくがアイの歌声を聴かせてがOKなのは、この作品が突然歌い出すことそのものが歌い出される物語だからだ!

13 今日はここから羽田経由で横浜まで辿り着き徳島へ入れるはず。久しぶりの夜行バス。全てがうまく流れますように。

14 京急蒲田スイッチバックが好き。遠軽を思い出す。進むために戻る。

15 夜行バスはいろんなことを思い出す。チップスター食う。

16 タブレットが、いろんな意味・場所・角度で、旧来の学校が持つ価値観や指導観とぶつかって、先生、子ども、保護者、みんなが傷つき、教育委員会の仕事が増えるという事案が、どんどん耳に入るようになってきた。

17 結局、欲望を抑え込むという話になるはずなのだ。

18 企業を突き上げていけるだけのパワーが市民にない。なので企業主導のぬるいサスティナブルが進んでいく。企業主導のサスティナブルを全く否定しないが、それが企業自身の生き残り策であることはちゃんと考えておかねば。

19 働き方改革大賛成。だがおそらく失ってしまうものも大きいだろう。これまで学校が人海戦術で提供してきたボランティアに等しい仕事は教職員の社会的信頼を担保する機能も担っていた。現状、運動としては典型的な権利主張の構図なのだよ。どっちに進んでも、大雪原なのである。メリークリスマス。

20 この時期の空港は、怒っているお父さんやお母さんの声で、いっぱいだ。

21 今日は飯村さんと2時間話す。素敵なお客さんに囲まれながら、二人で丁寧に話す。出会ってからもう10数年。若手と中堅の関係だったぼくらは、すでに、お互いの見ているものを持ち寄る中で気づきを深め合う友人である。年末に深々と良い時間であった。

22 本日、1on1オンライン対話二名の方と。これで2021年のオンライン対話は終了しました。12月はわずか41時間。リスケがたくさんあって現場のしんどさを肌で感じる12月でした・・・。

23 ハンス・シュミット=イッセルシュテットウィーンフィル。第九。どこまでも誠実。最も安心して聴ける名演。タルヴェラがすごい。

24 多分、肋骨にヒビが入ってるなぁ。

25 ぼくは、来年度から現場に半分戻れるわけだが、おそらく「探究」も「個別最適な学び」もしないと思う。ただただちゃんと腰を据えて「授業」をするのだと思う。 「探究」も「個別最適な学び」も目指すものではなく、結果としてそうなったものにつけられた暫定的な名称に過ぎない。「目指した結果実現したと称されるもの」のほとんどがろくでもないものになることは、歴史が雄弁に証明してきているはずだ。 

26 何かを変えてやろうと強く思いつづける限り、それは自分を変えようとするものへの強い絶望や抵抗感として顕れて、自分をも蝕み壊していく。ぼくらは、一人一人、真剣に自分のできることを、自分の場所でやればいいのだと思う。ぼくは実は、それが「政治」なのではとも思っている。

27 十二月三十一日 言葉の旅

 西暦二〇八年、セレヌス・サンモニクスはローマで『医の本』という書物を著し、治療術に関する彼の発見を記していた。

 二人の皇帝に仕えた医師にして詩人、当時最良の書庫の持ち主であった彼は、さまざまな治療術をその書で明かしたが、そのなかでも三日熱に効いて死を追い払う確実な方法を提案していた。ある言葉を胸にぶら下げて昼も夜もそれをお守りとするというものである。

 それがアブラカダブラという言葉だった。古ヘブライ語で「死ぬまで、自分の火を送れ」という意味で、現在もそういう意味である。

(『日々の子どもたち あるいは266篇の世界史』岩波書店エドゥアルド・ガレアーノ、久野量一訳、2019 二八四頁)



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