すぽんじのこころでつぶやく 2023年8月下旬

1 ゆっくり現実に戻っていくが、もう少し自分の時間を確保する。北の海が見たいな。

 

2 思索1

巣立ちの後こそが一番生き残るのが大変な時なのだろう。ある者たちはそこに弱りそこに汚されそこに死ぬ。

 

3 思索2

思索の隙すらないこともあるよな、驚くと。

 

4 すぐに答えなければならない思われがちなことは、5年くらい後に答えればいいような気がする。

 

5 何もできない夏だったな。しなかったんじゃない、できなかったんだな。

 

6 ぼくは革命家ではないことを断った上で(笑)、大衆蜂起か党派重視かみたいな話は戦後の民間教育運動においても見事に二極化して試されてきたと思う。結果としてそれが学校教育を変えられなかったことから学ばずに、ツールや仕掛けだけ更新して出発しても、目前のちょっと変わっている事実に目が眩む愚を繰り返すことになってしまう。

 

7 ALPSの除去作業。水俣病の責任企業によるザルだった濾過装置をどうしても思い出してしまう。原発事故以降、プロセスの折々に水俣病のプロセスが重なって見えることが多い。

 

8 そもそもぼくは原子力発電に否定的である。それがぼくの前提なのでトリチウム放出について近隣諸国はもっと大々的にやっているじゃないか、みたいな反論については、根本ですれ違っている感じている。本来放出しなくて済む物質を流さなくても良くなるように、早く政策の立て付けそのものを見直すべきだと思っている。

 

9 神楽見本林。三浦綾子文学記念館には思い出せないほど久しぶりに入った。いろんなことを思いながらゆっくり歩いた。

 

10 これだけ熊が増え報道で人間慣れしているなどと言われると北海道内の登山は難しくなるよな。大雪山のメインなど以外のなんとか維持している山道はどんどん廃道化してしまうのかな。

 

11 日本では労働争議することは悪いことだと、特にそれを経験していない若い層には染み付いてしまっている。そもそもそれが労働者の権利の本丸の一つだと理解されてもいない。このアンラーンの難しさこそが、働き方改革が珍妙なものになっていく核心の一つだと感じている。

 

12 稚内まで汽車は走らず、講座ができなかったのは残念だった。それと同じくらい楽しみにしていた汽車に乗れなかったのが残念で、それと同じくらい汽車で書く予定だった原稿が書けなかったのが残念だった。中川付近が24時間くらいで20ミリくらいの降水。音威子府が50ミリ弱。JR北海道の脆弱さは想像以上に進行しているのかも知れないね。

 

13 ブロムシュテット&ゲヴァントハウス管。ブラームス3番。冒頭から、ちょっと驚く演奏。思わぬ音が聴こえて来る瞬間がある。

 

14 間違ってアールグレイを買ってしまっていた。飲んでから気づいたけれど、これはこれでとてもおいしい。

 

15 すごく疲れたな。心がつかれているんだ。ブルックナーを聴きながら、希望とかポジティブとか、そういうのと無縁な時間を一人きりで過ごしたい。

 

16 すぐ近くのおにぎり屋さんに今日はまだ、うまそうなおにぎりがいくつか残っていた。買う。ぼくはぼくの中身にも外身にも似合ったつつましさを纏うべきである。

 

17 本音の一部がポロリとでも聴けるのは、5回誠実に傾聴し続けて一回くらいだ。無論それを繰り返せば頻度は上がっていくが、そこまで本当に長い。相手への深いリスペクトがなければたどり着かない。そこをわかっていない人は多い。ちょっと聴いて自分は十分に聴いているし信頼されていると思い込んでしまう。

 

18 アオマツムシ。

 

19 今朝のオンラインでは、教科担任制で苦労している先生とお話をした。以前から折々に話しているがぼくは小学校教科担任制についてはかなり明確に推進に反対である。現実にもう方々で致命的な状況が起きつつあることに頭を痛めてもいる。少なくとも中学校の教科担任制が何を背景にしてある程度安定して成立してきたのかを学ばずに、別な論理だけを放り込んでいるように見える。少なくともこれまでの中学校は(今は苦しんでいるが)部活動経営・行事運営、進路指導(という名の個人面談)などとの一体的な動きで教室経営に割けるリソースの少なさを十分に補ってきた。また人的余裕もあり、生徒指導に授業を割かずに対応できる条件がそれなりにあった。それらがない小学校がどうなるかちょっと考えてみただけでもわかるではないか。負担を減らす(手間を省く)ということは、慎重にやらないと 信頼関係も省くことになる。本来、信頼関係は手間暇をかけないと育たないものだからだ。

 

20 まあ小学校の教科担任制について反対を表明することは自分の食い扶持を奪うことになるが仕方がない。ぼくは国語(だけではなく教科メイン)に絞った校内研修にもいささか懐疑的なので、ぼくが考えている通りになればぼくは路頭に迷うことになるがしょうがない。

 

21 作家の時間をやることになりそうだ。

 

22 昨日までの夏休み明け最初の授業では、戦争のこと、処理水放出のことを、授業でしっかり扱うことができた。時事を、今を、授業に取り戻す。ここにこだわっていきたい。国語。

 

23 若い友人の教室を見、肩の力の抜けた普段の授業を感じ、おいしいラーメンを食べ、幸せな時間をお裾分けしていただいた。ありがたかった。

 

24 夕方からずうっと、犬は吠えるがキャラバンは進む、をリピートしている。1993年のアルバム。時の経つのは残酷なほど速い。このアルバムと、ぼくは自分の教員生活のほとんどを過ごしてきたことになるんだな。希望を真っ直ぐに歌っても恥ずかしくなかった時代。北海道を引き払う時に持ち出してきた数少ないアルバム、サブスクでも聴けないレアな音源になるとも知らず。

 

25 「感情」と「科学」では(という本来全く違うものを対立概念として見せること自体変なのだが)感情が劣ると考える風潮はどの辺りから強まってきたのだろう。ぼくには受け止められたふりをしてその実リリースされ続けている感情の不遇が気になってしょうがない。

 

26 なぜ甲子園の監督だけ、毎年毎年この時期に騒がれて、そのあとは誰も何も言わなくなるのだろう。箱根駅伝の監督もそうだが、とにかく指導法まで年中行事になってしまったのか。はっきり言って馬鹿馬鹿しいと思う。

 

27 あれこれ毒づき始めた時は、アートが足りない時だ。

 

28 今年もクスサン。