すぽんじのこころでつぶやく 2021年5月下旬ー6月上旬

1 例えば「きつねの窓」。二度と会えない女の子。妹は死んでしまった。家は焼けた……ぼくらの世代は、ああこれは戦争で…と思う。また安房直子はそれを読み手に暗示してもいるのだろう。そういう感覚を既に共有していない世代が教員のほぼほぼを占め、子どもたちに至っては当然…。それをどう考えるか。

 

2 一人一台デバイスは素晴らしかったが、それを支えるものとして普通にあったはずの知性主義の崩壊があまりにも深刻で、ただただ崩壊と分断を生むツールになってしまいそうだ。かなしい。判断選択の背景にはちゃんと「知性」があることが、かつては自明の前提だった。ここが崩れてしまった社会はもろい。

 

3 後は判断を任せますとして、良さげなものを放り込むことは、とても罪深い結果を招くこともある。編集者やキュレーターの仕事の本質は迷いながらも選んだものを構成して差し出すことだ。そこを事実上放棄した仕事のなんと多いことだろう。選べるものがあふれるという状態は、選べるものが何もないという状態と、現象的にはほぼ同じだ。個別最適な学びの一番の難しさは、子どもの前に選択の大風呂敷を広げる「だけ」になることだと思っている。

 

4 年齢受容の難しさの一つは、自分の発言が一つの権威として受け止められてしまうことだ。僭越ながら…マイノリティとして若くして発信されてきたあなたもあなたも…発言が既に一つの権威として反駁しにくく受け止められている可能性がある。マイノリティの代弁はステータスの上昇とともに難しくなる。

 

5 シンプルに、水が美味しくないところには住めないんだよな。

 

6 うちの娘はいつも「学校的なものこと」に苦しんでいる。娘には都心で暮らす子どもたちのような選択肢はない。経済的な問題がクローズアップされることは多くなったが、地理的な条件もとても大きい。いずれにしても最新の話題・実践に触れることの多いぼくは、冷水と熱湯を浴び続けているようでもある。

 

7 こういうことを書かないとなかなかわかってもらえない状況自体がまだまだ残念なのですが。。。授業づくりネットワークは、ここしばらく理事で相談しながらできる限りライターの女性比率を上げることを目指しています。号によっては、女性が半数を超えたものもあります。ぼく自身は今年各地で開催している小さな研修会で久しぶりに対談を企画しています。その相手も女性が半数になるように考えています。こうした取り組みは、女性の方には割とすぐ気が付いてもらえます。しかし男性には、なかなか気づいてもらえないようです。

 

8 国語の授業では、「詳細な読み」への偏りが指摘され改善が求められ、結局、「詳細な構造説明」がそれに取って変わっただけであった。変異ウイルスみたいなもんだな・・・国語の先生はなぜこんなに説明したがりなのだろう。あの「詳細な黒板」の手放しが重要なんだと思う。説明文や物語の構造を詳細に説明する病は、たいてい詳細な黒板またはワークシートとくっついている。あの、読みの愉悦とは無縁な学習過程を手放せない限り、たいていの子どもを読むことから遠ざからせていくだけです。

 

9 昨日は奈良の学校。長い付き合いの若い友人の声掛けでお伺いした。ぼくにも少し気負いがあったのだろう。帰路の電車で振り返り、若者のような自分を少し反省する。だからだろうか。やまと郡山城ホールの反田&JNOは前半だけで出てきてしまった。若者達の気負いに少し気恥ずかしくなってしまったか…。ただ、まあ冷静に少し記録を残しておくと…。ショパンのピアノ協奏曲1番の弦楽伴奏バージョンは、若いショパンと若い奏者達の気負いが重なったような演奏だった。反田さんは素晴らしいピアニストだと思ったが、この日の演奏は繊細さも大胆さも感じる部分はあるが、全般にはやや一本調子に聴こえた。それ以上にぼくにとって問題だったのはオケだった。やまと郡山城ホールは見た目と違って、響きは結構デッドなホールで、結果若い弦楽奏者達の気負いは時々わななくような響きになり、強奏によって歪んでしまい終始課題を感じてしまった。無論指揮の問題でもある。若いオケだ。数年したら必ず又聴こう。

 

10 カリキュラムマネジメントは、正直に感想を吐露すると、働き方の現状においても、個々の教師の技量的にも、やっぱり無理筋だよねぇ。

 

11 センチュリー響。カーチュンウォン。ブラ4。大きな音楽だった。大器。オケも本気で応える素晴らしい演奏。R.シュトラウスのホルン協奏曲2。ソロの日高さん。陽だまりのような暖かな音。大阪の皆さん、センチュリー響、素晴らしいプログラムだよ。支えなくちゃ。

 

12 苦しいなあ。みんな苦しいね。ちゃんと居場所を作り続けたいね。大半の方には全然わからないだろうと思うけれど・・・ぼくは学校教育現場・教員の最終DFをなんとか守っているという実感がある(ものすごい責任感とか、そういう意味ではなく、状態がそうであるという意味であるが)。ぼくは彼らの健康的で理知的な最終ラインでいてあげたいと強く思っている。一方で、破格に抑えた料金設定が、クライアントの受け身の姿勢を助長してしまうことも知っている。これはとてもとても難しい問題なのですよ。そしてそのことで少なからずぼく自身が疲れているということもあるわけです。ぼく自身のマインドセットの更新みたいなもんが必要なのだろうな。

 

13 城にたどりつかないように作られた道。小路。路地。本当に隠喩的な町。4年目なのにまた振り出しに戻るかのよう。いろんなことが見えにくくなっているだけです。目を凝らして見ないとわからない。

 

14 やせ猫二匹。ビャービャー鳴きながら、少しずつ近づいてくる、新世界、通天閣。悲しい。

 

15 話型の最大の問題点は、その形式で話したら、それで終わってしまうことだなあと思う。つまり、円滑に対話を促進しようとして、結果概ね対話を阻害してしまうということなんだよなあ。

 

16 LGBT法案を巡る自民党の迷走に目を覆いたくなる。当事者不在。与党内部は政争・政局の状況になってきているんだな、と見えてくる。一方で野党の不甲斐なさ…同じ顔ぶれ、昔の名前で出ている人たちばかり。こういう時、歴史上は、ポピュリストの台頭を許していくことになるんだな。左右関係なく。

 

17 日本の学校教員に蔓延する病に「把握病」がある。2000年頃から起きたパンデミック。今のところ特効薬はない。感染を広げる条件についての解明は一部進み始めている。変異種として「指導と評価一体化病」「ルーブリック病」「めあてーまとめ病」「PDCA病」「過剰子ども理解病」などが知られている。

 

18 5月25日。もう30年以上の時間が流れたが、ぼくにとっては特別な日。「未だ」と「既に」が交錯する場所。あの日も今日と同じ、霧のような雨だったな。

 

19 何年か前、なぜ先生は教室で政治や宗教の話をしないのか、と何人かの先生に尋ねた。よくわからなくて教えられないということだった。ではそれらはどこで身に付けるのだろうという悪循環なのだなと思った。国会議員を出す政党の主張くらい、目の前の小学校高学年や中学生に説明しないでどうする。

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