すぽんじのこころでつぶやく 2022年7月下旬

1 名寄線。永山まではビロードモウズイカ。あんなにたくさんあったオオハンゴンソウはずいぶん減ってしまったように思う。

 

2 リベラルのリベラル同士の攻撃し合いは既視感満点だと思っている。それはかつての新左翼内ゲバのようだ。市民的支持の減退と内部組織の弱さとが何よりも当事者たちの視野の狭さを強化していく構造に、当事者たちが気が付いていない。歴史に学べないリベラルなんて、なくなったほうがいいくらいだよ。

 

3 地方の特別支援関連「補助員」の問題はとても深刻だと思う。この問題をちゃんとどなたか分かりやすく提案してほしい。全く学問的・教育実践的文脈も共有していない、普通の市民が一番専門性を要するところに貼り付いてしまうということが、どれほど深刻な事態を生むか容易に推測できると思うのだが。

 

4 オンライン対話8−9月継続の方の連絡用グループチャットを無事立ち上げた。今日はこれで寝よう。遅くなってしまった。

 

5 本が読みたいな。今学期、6月中旬以降はほんと壊滅だった。

 

6 京都アニメーションの放火事件から3年。そうかまだ3年なのか。ものすごい時間が流れたような気がする。コロナのせいか、それともあまりにも大きな出来事が次々と起こったから、ということなのか。

 

7 国府弘子。ピアノ一丁。久しぶりに聴く。2015年。よみうり大手町ホールで聴いた演奏は素敵だった。夏川りみがゲストだった。ぼくはまだ北海道にいた頃、7年か。長い時間が流れたな。幸せな音楽。ちゃんと真ん中にずうっと幸せがあるようにと祈ります。久しぶりに国府さんのピアノを聴きに行きたいなあ。

 

8 アシュケナージマゼールが残したスクリアビンのピアノ協奏曲。このセンチメンタルに過ぎる演奏をぼくは40年近く愛してやまないのだな。人類が残したもっともセンチメンタルなものの一つだ。ずうっと雨が降っている。そういう風情。

 

9 二度目の出版なので、今日明日は自分のクラスの仲間の作品へのラブレターに集中してもらおうと思う。

 

10 たまに身体のどこかに蟻がくっついていることがある。蟻も行った先のコミュニティで温かく迎えられたりすることもあるのだろうか。

 

11 学校に起こっている深刻な事態を教師の心持ちひとつ「だけ」だと言わないようにしたほうがいいと思う。苦しさも楽しさも自分次第、考え方や捉え方次第などと言いながら、30年、ここまで行き着いてしまったのでしょうから。

 

12 30年前勤務してた田舎に鬱休職なんてなかった。遠くの都市部にいると聞いてびっくりしてた。クラス中を走り回る子がいると聴いてすごいこともあるんだと思ってた。やがて身の回りにどちらもポツポツ現れた。教員も学校も大変だけどがんばりますと言い、少しずつ増える度に努力でカバーして、今、ここ。

 

13 学校は昔から大変だったと「だけ」言わないほうがいいと思う。大変さの内容はとんでもなく大きく変わっているんだもの。変わらず大切にしなくてはいけないものがあるということには同意。でもそれを誰でもある程度できる感じでやれない状況が生まれていることは全ての人にとって不幸だとぼくは思う。

 

14 そういえばゼロ年代の真ん中くらいに、授業づくりネットワークの研修会の講座を取材したいと世界日報から依頼があったことがある。あれは何だったのだろうか。無論断った。

 

15 ぼくは一体いつになったらプロに転向できるのだろうか。

 

16 朝1名、夜3名の方とお話。1名はキャンセル。今日も学校でオンラインでたくさん話した。ぼくはやっぱり1対1のオンライン対話が限界だな。zoomもteamsもとにかく集団に話すことには結局何の確信も持てなかった。ビジネスチャンスだったのにね 笑

 

17

それだと思ったら

止まったままの電車だった

時間も止まっているのかは定かでないけれど

何かを溜め込んでいる感じではある

 

車内の記憶なら確かに何度も次の駅をアナウンスしている

そこにぼくもあなたもいなくても

アナウンスはそもそも誰かのためのものだが誰のためのものでもない

 

フルートが聴こえるから

多分4楽章なのだ

さえずるから

大きな波がやってくる

 

それだと思ったのはなにゆえだろう

ぼくは昨日も見たこの場所を

なにゆえはじめて見ているのだろう

おそらくは明日も

 

18 夜道を這うゴキブリは美しいと思う。這うという行為は夜道にこそ似つかわしい。

 

19 夏の民間研修会の季節。20年以上前山田洋一さんたちといろんなこと試した。開会式にサークル員のピアノ演奏を入れたことも。でもそこじゃなかったんだな。非日常演出はできても個々の地上戦に接続する道筋の用意がぼくにはできなかった。若い先生方!叡智を集めて本物を追究してほしいと願っています。山田さんは今もトライし続けてる。すごいと思う。

 

20 今日から関西。ぼくの夏休みはまだ始まらない。最後に一番やりたい、でも一番過酷な地方ロードが待ってくれている。羽曳野ー舞鶴那智勝浦ー岸和田。そう。でもこの関西行脚は今年細切れだった長い長い思考の旅でもある。本もたくさん持ってきた。

 

21 今日は中日。ずうっと全く隙間なく動き続けてきて、今日はやっと1日だけある空き日。調整日。お金のやりくりの確認、講座の準備、学校研修の準備、旅程の確認、連絡していないところへの連絡。もう、あっという間に半日が終わってしまった。新今宮のホテルからは、ひっきりなしに電車の音が聴こえる。

 

22 魂を吸い取られる街。

意識を奪う気温。

どうせなら記憶を吸い取り奪ってくれればいいのに、と思う。

 

23 大阪交響楽団コンマス森下さん、指揮ガブリエル・フェルツ。ブラームスの悲劇的序曲と二重協奏曲(白井圭と門脇大樹)。ものすごい田舎臭い!感激!温か。ソロのアンコールはブラームスの愛のワルツ。28年前の連弾ぶりの再会。涙が出た。後半のベト7。以前このオケを奈良で聴いた時と同じ。楽しみ。後半。フェルツ。かつてPMFで聖チェチーリア管とティーレマンで聴いた超快速の7番以上の快速だが、なんだろう温かく小気味よい7番だった。随所に際立ったみずみずしい解釈あり。聞き慣れた曲なのになあ、すごいぞ。大阪交響楽団。上手。ティンパニ熱演。

 

24 プレイフル・・・子どもも先生もワクワクドキドキする学校を取り戻すにはどうすればいいのかな、夏休み、ぜひ読んで共に考えましょう! 授業づくりネットワークNO.42(通巻350号)「学校にプレイフルを取り戻す」 - すぽんじのこころ

 

25 この夏もオンライン研修はどうしても断れなかった一つのみ。動画で済むことは動画で良い。だが授業教室に関わるほとんどは具体的な運用。大半の人の助けにならないことにエネルギーを割きたくない。かつて40人のリアル研修でさえ多くの現場人に届かなかったのにオンラインじゃ届かないと思うのです。

 

26 ぼくは、ねがいとあがないといのりとおれいとでずうっと動いているんだと思う。いつもいつも遠いところで待っている人のところまでたどり着きたいと思っている。ぼくもずうっと長いこと、そこでひとりだったもの。そしてぼくを拾ってくれ声をかけてくれ膝についた砂をほろってくれた人がいたんだもの。

 

27 今日はここから長い。たくさん資料のコピーもできた。出発しよう。夏休みはまだもう少し先だ。東京に戻ったら、久しぶりに近くの養老乃瀧の応援に出掛けよう。コロナ下も歯を食いしばって頑張ってきたお店だもの。ノンアルで。

 

28 串本。初任地で出会った同僚を思い出す。今になって彼が大人物だったと思う。ここからオホーツクへ。彼はなにを思っていたろう。ぼくは彼に初めてカツオのタタキを食わせてもらった。

 

29 岸和田の小学校へ。今日と明日ニ校。今の仕事の原点。自分の仕事の意味を来る度に丁寧考える場所。

 

30 空港について、どうっと疲れが出てきた。関西ロード、終わったんだな。なんとか死なずに辿り着けそうだ。関空は閑散としている。

 

31 再審請求中であったことは重大だ。だがぼくは再審請求中であったかどうかに関わらず、広義の意味での人権の視点から死刑には反対です。一方ほぼ同じタイミングでミャンマー民主化活動家への死が執行されました。死刑制度は、時の権力者に都合よく利用されやすいものだという点も指摘しておきたい。

 

32 学校は確かにひどいが、そのひどさを市民は、他のものと横並びに考えている。学校だけでなく、多くの職域状況が悪くなっているので、学校は、悪くなっている職域の最前線「グループ」に横並びになったに過ぎないという感じ。

 

33 この市民感覚がわかっていないと学校の窮状理解のための戦略ミスが起きる。阪神高速を2年くらい止めて補修工事をしているのだと、関西で聞いた。日本の状況をわかりやすく示す案件だと思う。要するに、この30年ほど、ぼくらの国は、根本的な解決をせずに、ほとんどを絆創膏を貼ったり、接ぎ木をしたりする感じで凌いできてしまったということだろう。

 

34 緩やかな坂道を下っている時に引き返すことほど難しいことはない。

 

35 一人一台デバイスへの違和感はそれで人的確保の肩代わりをさせようとするところが透けて見えてくるからだ。一人一台デバイスもその定期更新も当たり前。それとは別に人の確保も当たり前でそのために定員制度の抜本見直しも当たり前。でもデバイスで労働力の肩代わりをしようとしていると見えてしまう。

 

36 マイクロスクールを創る人が居てもいいし、オルタナティブスクールで腕をふるう人が居てもいい。一方で公教育に踏みとどまって最終ラインを守る人へのリスペクトが払われなければならない。リスペクトとは、感情だけではない、具体も伴うべきだ。豊かな時間・休息・金銭・・・。

 

37 豊かな時間とは、「時計の時間心の時間」(笑)でいうなら、心の時間である。タイムカードを押して出勤時間が減っているので、働き方改革が進んでいますというような、阿呆みたいな量的認識に、問題を矮小化してはいけない。

 

38 専科制導入で4時間空き時間ができた。でも専科制を維持するために20歳も年上の外部講師数名と2時間動き回って時間調整する・・・。この精神労働の2時間と空き時間4時間を差し引きして「2時間働き方改革が進みました」というような数量的な認識は、対人援助職の本質をわかっていない。

 

39 人を育てるということには膨大な時間とコストがかかる。それをみんなで飲み込んで30年先の社会を思い描くマインドを市民に醸成する工夫を図らないと、学校からの声はたくさんある遠吠えの一つにしか聞こえないままだ。

 

40 今日も暑くなりそうだな。6-7月の1on1オンライン対話も後3名を残すのみ。もうすぐぼくの夏休みが始まる。