アートを旅する 2022年8月上旬

帰ってきた木田金次郎(木田金次郎美術館)

没後60年。岩内の町にやってきて金次郎の作品に触れた人たちの幾人かは、様々ないきさつによって自分の手元にやってきた作品をここに寄贈する決心をしていく。金次郎は東京も知っている。そしてそこから地元へと戻って来なければならなかった人物だ。岩内で柊生描き続ける決心はたいへんなものであったろう。ぼくの父も多くを語らないが大学生活を都内でスタートし家庭の都合でそこを離れて北海道に戻ってきた人だ。今逆に北海道を離れて都内に拠点を置くぼくの頭の中は、それでもってぐるぐるとし始める。実際、土地に張り付いて描き続けることを選んだ金次郎作品はここで見てこその輝きを持っている。そしてそのことに気づいた人々が手元の作品を、この場所へと置いていくのだろう。大火を挟んでの作品の輝きには毎回驚かされる。失って身軽になり失って真価を発揮する。遠く岩内まで、ぼくは自分の人生であと何回これらの作品に出逢い直しできるのだろうか。


前田真三 丘から丘へ(拓真館)
前田真三の写真に対してはずうっと複雑な感情が蠢く。美瑛の景色はぼくが少年時代から見ていたものだが、その美しさを「発見」したのは前田真三だと思う。だが、例えば晩秋の丘の斜面を客土したものが長雨と共に流れ落ちて丘の裾色を変える様子もまたぼくらは知っているのである。あの景色は、他に耕作仕様のなかった土地と向き合って暮らしていくしかなかった農家の生活の色である。もちろん前田はそのことを繰り返し方々で語り書いているのだが、今や青い池とパッケージングされて界隈を観光する人々には、そんなことはやはりどうでも良いことだ。発見されたことによって、見えなくなっていることもある。いや、これでは十分に語れていない・・・いつもいつも前田真三の写真をめぐるぼくの感情は複雑だ。そしてそれが故に拓真館にも何度も足を運んでしまうのだろう。今回は企画展の最中。展示作品は少なかった。町内の別会場で同時開催の展示もあったようだが、ぼくは、ここだけでよい。


古代エジプト展(北海道立近代美術館
大変な人。北海道では珍しい入場制限。すごい人の数に最初からかなり気持ちを削られる。見応えのある展示だが、ぼくはミイラの気持ちになってしまう。ぼくなら掘り起こされたくない。まして、CTスキャンとかかけられたくないのだ。ミイラの作り方の説明は興味深かった。これは要するに干物なのである。


札幌演劇シーズン夏 風蝕異人街「THE BEE」(シアターZOO)
札幌のアングラ劇団(今もそう言って差し支えなかろう)、風蝕異人街の芝居。芸達者な役者を揃え、NODA・MAPの元々の芝居がどんなものだったのかはわからないが、おそらく全然違うテイストの、おぞましい出来栄え。この劇団の芝居は、このおぞましさをかぶりつきで見るのが一番なんだなと思う。見応え十分だった。野田演出でも元々演者と役どころを変えて上映する形をとっていたようだが、今回も4パターンが用意されていた。あいにく一度しか見れなかったが、これはもう絶対4パターン見て、俯瞰できた方がより逃げ出せない感じは深まったろうと思う。能面、割り箸など、小道具も冴え渡る。もっとも、こういうおぞましい芝居に関する拒否反応はあるだろうな、過剰などもりとか、ひどい差別的なセリフとか。


他にも、知里真志保展、後藤純男美術館などなど。音楽が聴きたい。