すぽんじのこころでつぶやく 2022年11月上旬

1 この時期の6年生は色々と授業の舵取りが難しくなっていくと、由香里さんが言っていたのを、ふと思い出した。それでも彼女は、ずうっとそのように、していた。素晴らしいことだな。

 

2 怯まずに。作品に合った読み方をシンプルに考えないといけない。ダメなのは基本私がダメなのである。なんか泣きそうだな。55歳にもなってけれん味いっぱいの情けない授業だな。チャラにしてもらおう。じゃないと子どもたちにも、何よりも作品に対して、申し訳ない。「森へ」は森の周りをぐるぐる回るようなことではしょうがないんだ。ちゃんと分け入らねば。それが森へ向かうものの流儀だ。

 

3 決心が付かなかったが、ぼくは6年生に読む本を決めた。ぼくが読みたい本を読むのだ。本を決めたら、じわっと涙が出てきた。明日から読もうと思う。

 

4 赤裸裸。ものすごい熱量だった。最高だ。この劇団、客も玄人層も多く支持も高いがtwitterレビューはいつも少ない(ちなみに今日も満席!)。既存の言葉でレビューしにくいんだと思う。かくいうぼくもその一人なのだがとにかく体感した者だけが感じる衝撃痛烈で爆笑の芝居だ。

 

5 4日は初雪かも、と。遅い初雪。見れるといいな。大酒を呑んで迷惑をかける夢を見た。

 

6 かつて音楽・絵画作品は作者を狂おしく追い詰めるほどの「酷評」を浴びた。マネ「草上の昼食」とかラフマニノフ1番交響曲とか。今この社会のどこにも酷評なんて言葉はない。テキストと読み手との相互作用の生月は結局のところ作家と消費者(読者、批評者)の馴れ合い内なのか…微温的文化の日に。

 

7 これから高橋要さんのところへ。絵を持っていく!!

 

8 高橋さんご夫妻に無事に渡すことができた。なんか、ホッとしました。

 

9 北海道までやってきたが、実家の片付けをし、絵画を運び出し、食品の買い出しをして玄関先に届け、ぼくは旅館に泊まるのだ。

 

10 ○○さんを推すっていうので、署名が始まったりした時点で、もうその人の可能性はないのである。署名なんていうのは、した本人がなんの責任もない、実にいい加減なものであるということを分かった上での運動には共感できるけど。

 

11 あ、てんてん、うまい!

 

12 さて、どんどん撤退していかなくては。あなたは幸せですかと訊かれると、それはなんともわからないな。

 

 

13 空港。取材案件猛速対応。原稿を書く時間がない。子どもたちにもいうのだが書く営みは考える時間も含めた全ての時間を言うのだ。学校で子どもが作文を書かない(書けない)中核的な事情は教師自身の書き手としての経験不足。結果手を動かす時間だけが書く時間だと見誤ってしまうからだと感じている。

 

14 今日はよい天気。この時間までずうっと今日の授業をどうするか迷っている。考えてみれば、初任の時からずうっと迷っている。迷っていない朝はなかったと思う。

 

15 音楽が見つからない時はモーツァルト。今朝はアンダの20番協奏曲。

 

16 ダブルヘッダー。目黒区の小学校へ。握り飯を流し込む、ジャスミンティーで。

 

17 セブンイレブンのパスタの量も減ったね。

 

18 ブランデンブルク協奏曲。ルドルフパウムガルトナーとルツェルン祝祭管。ジャコッテのチェンバロが素晴らしい。もう一枚フェーバーとヴュルテンベルク室内管。こちらはラウテンバッハーが素晴らし過ぎる。行ったり来たり。

 

19 10月。本務校以外の記録。観察授業32時間。飛び込み授業10時間。校内研修&リフレクション12時間。民間研修会:5回。1om1対話62時間。

 

20 月食、少し見る。

 

21 毎年やってくる暗黒の季節がやってきた。大したないはずの原稿が溜まり始めた・・・。

 

22 ずうっとこんなことをしていていいのかなという気持ちと、ずうっとこんなことをしていなくてはいけないはずだという気持ちと。

 

23 今日もとても悩んでいる。ぼくは教職のスタートが筆舌に尽くし難き困難校だった。授業中の喫煙。音楽室の暗幕を締め切られて放たれて飛び交うコウモリ。スノーモービルで登校する生徒…。無力感に苛まれながら毎朝家で吐いていた。授業に行く前はいつも震えた。以来授業に行くのは今に至るまで勇気の必要なことであり続ける。ぼくはそこで立ち尽くし方を覚えた。ぼくの立ち尽くしは年季が入っている。今はあの時子どもたちがぼく以上に立ち尽くしていたことが想像できるようになった。学校は当時から既に誰もが立ち尽くす場所だったのだと思っている。

 

24 テレマン室内オーケストラ。ブランデンブルク協奏曲。前半終了。この曲全曲演奏をこんな気軽な値段でトップレベルの演奏で聴ける。東京は気が遠くなりそうな街。浅井さんのヴァイオリン素晴らしい。素晴らしかったです。泣きそうになりました。バッハにはもう全てがあるんだな、すごいよ、ほんとすごい。全曲演奏なんて北海道の片田舎では生涯接することのないものだと思っていた。たくさん愛聴盤があるが実演に接して初めてわかることが多すぎるね。バッハの音楽には本当に全てがある。構造もうたも遊びもオスティナートも逸脱もユーモアも。テレマン室内オケ素敵な演奏でした。

 

25 軽井沢。ぼくは、ここや又都内や関西の私学を訪問するたびに、娘うららのことを考える。学校教育の世界がトリクルダウンに絡め取られていかないかと、注意深く見つめている。

 

26 ぼくが一人一台タブレットを歓迎しつつ、GIGAがどうしても苦手なのは、そこに立ち込めるトリクルダウンの悪臭に耐え難かったからである。たくさんのたった一人を見つめ続ける限り、教育は豊かな海なのである。

 

27 ぼくはいつも自分が「一部」「わずか」「その他」に組み入れられる想像力を手放さないでいたいと思っている。「一部だから仕方がない」という人にも自分が別なジャンルや条件下では「一部」とみなされる可能性があるってことを共有できるといいのだけれどなあ。そうしてはじめて教育の話ができる。

 

28 今日は司書の本と子どもとを切り結ぶ執念。国語教師のたった一人へのこだわり。理科教師の現実的な闘い方。の三本立てでした。

 

29 今日は、玄関に入ると聞こえてくるさざなみのような音がよかった。人の姿をした声があり、衣服や身につけたもの、持ち込んだものの様々な音が、ちゃんと聞こえてくる。こういうものを、立ち止まって聴きたい。そこから少しずつ考えたい。

 

30 メモ。そういえば@1130Kimuraに「しんさんは、今の動きをいつまでやるんですか」と訊かれた。何度も訊かれたことがあるが、今日はとてもタイムリーだった。ぼくには目標やゴールはない、だから続けられる。誰かを変えられるなどと思っていない、だから関係性問題に埋め込まれない。そういうことだな。

 

31 GIGA高揚バブルが終わり現実的活用だけが生き残り進展する段階だ。特別なソフトやツールに踊り性能をフル活用してみる時期は終わったのだ。スポーツカーを買うとアウトバーンで一度200キロ出してみたいみたいな心情は多少理解できるが、日常の買い物に200キロもそもそもスポーツカーもいらない。

 

32 人間が目視で情報処理できる量などわずかだ。だからあのロイロで40人分の意見を総覧みたいなのはあまり効果がない。人は結局その中から親しい人や見やすいもの、同じような意見を探す。まあこに問題は一斉的やり方の延命問題とそもそもくっついているのだが。

 

33 昨日のシティフィル。RVWのタリス幻想曲、ついに聴けたこの曲は絶美。シティフィルは十分うまいがそれ以上に藤岡さんの各声部を豊かに響かせる指揮にちょっと感動。寺田さん渡邉さんの二台ピアノ協。硬質な楽曲なのに滲み出る年輪にじわっとする。後半のドビュッシーがまた素晴らしい。大満足。

 

34 南紀白浜へ。そうか、コート、いらなかったか。羽田空港。すごい人。今日はものすごくいろんなことを考えた。ぼくはぼくというミクロコスモスとどう向き合い付き合うか。自分をクリアに説明しうる言語能力がほしい。

 

35 けぶるような雨だ。南国の雨なんだ。ぼくの人生にはなかったいろ、なかったにおい、なかったはだざわりの、雨。音。

 

36 ひどい偏頭痛。今日は仕事をちゃんとこなせれば合格という日になりそうだ。こういう日もある。今朝は今年一番厳しい出勤。偏頭痛との戦いはとにかく一度は必ず敗退することになる。今日は敗退の日。

 

37 年間7回研修にばん走させていただいた学校の仕事が今日で終わりました。ぼくのばん走は、そこで時間を共有した人たちにこそシビアに評価していただけるものだと思う。シビアに。

 

38 長い友人とオンラインで阪倉篤義の『改稿日本文法の話』を丁寧に読んでいる。今日も楽しかった。今日の授業もイマイチだった。問題はぼくの側にある。根っこにあるのは多分勇気の問題だな、ぼく自身の勇気の問題だ。

 

39 それにしてもクリュイタンス&ベルリンフィル。田園、なんと高貴な。55年盤を愛聴していたが(それも素晴らしいのだが)60年盤には神が細部に至るまで宿っている。