撤退戦を生き延びる・・・11年目に

11年前の震災を契機に、ぼくは、初めての単著を書き、以降数冊をまとめて出版していきました。それまでは断り続けて仲間との共著しか出さないと言ってきたぼくにとって決意の転機でした。特に原発事故は衝撃であり、持続可能な社会に本気でシフトしていくために、(つまり、ぼくにとっては、生活水準を下げて緩やかに撤退していくために、ということでした)対話ベースの教育が必須だと強く感じたからでした。

でも、正直、あの時もコロナ後の学校のように粛々といろんなことが元に戻っていきました。授業も教室もぼくが願ったようには変わっていかなかったと感じています。we誌への連載を始め、それをまとまったら出版していこうという自分の中の変化は、地道な記録を積み上げて書き残していこうという、ぼく自身の持続可能へのアプローチの一つの形でもありました。

11年間、ぼくは十分に絶望し、コロナ下の様々なことにも、さらに絶望しています。絶望の向こうに絶望があったということは、かつてはまだ十分に絶望しきれていなかったのだということにも気付かされます。きっとこの後もさらに絶望し、あの時にはまだ絶望しきれていなかったのだと思い知るのでしょう。

どこまでも絶望しきれない自分は、ちゃんと希望を持っています。あきらめずに自分の発信を続けていこうと思っています。

学校でしなやかに生きるということ